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ベートーヴェンとショスタコーヴィチの「両端」を同時に~M・ザンデルリンクとドレスデン・フィルの挑戦~

 かのヤルヴィ家と並ぶ指揮者ファミリー、ザンデルリンク家の末っ子であるミヒャエル・ザンデルリンク。2011年から首席指揮者を務めるドイツのドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団とともにベートーヴェンショスタコーヴィチそれぞれの交響曲を組み合わせた個性的なレコーディング・プロジェクトをソニー・クラシカルで始めた。第1作には、それぞれの交響曲第6番を収めたが、マエストロによれば「単なる番号合わせではない」という。

 「先行する作曲家の多くが室内楽、合奏協奏曲の延長線上で交響曲を発想していたのに対し、ベートーヴェンは人間の意思をこめ、社会や政治へのメッセージとして交響曲を書いた最初の作曲家。ショスタコーヴィチは、この路線で最後の作曲家といえる。2人は交響曲の歴史の両端に位置していて、創作の動機や軌跡にも共通する部分がある。第6番もともに《運命の第5》の激しい葛藤を終えた後、ある意味とても《非交響曲的》に書かれた作品という点で共通する」

MICHAEL SANDERLING,DRESDEN PHILHARMONIC ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」&ショスタコーヴィチ:交響曲第6番 Sony Classical(2016)

 ベートーヴェンの第6番《田園》の演奏は対向配置でピリオド奏法を取り入れ、時折ハッとするほど斬新な表情もみせながら、どこまでも自然に流れていく。

 「パストラーレ=田園とは聖書にも描かれた牧人の生活であると同時に、《自然とともにある人生》の思想を表す概念であり、これだけで1冊の本を書けるほどの内容、解釈の余地がある。チェロ奏者としての自分は非常に伝統的な育ち方をしたので、J・S・バッハやベートーヴェンを現在、指揮で採用しているような様式感で演奏したわけではなかった。13年前に指揮を始めた時、すでにニコラウス・アーノンクールは大オーケストラと共演し、古典の演奏解釈で目覚ましい成果を上げていた。ところがドレスデン・フィルに着任すると、大きな交響曲はひたすら伝統的に分厚く、美しく演奏するだけで、他の可能性は放棄されていた。1990年の統一以前、旧東ドイツではマックス・ポンマーらが小編成の楽団とともにヒストリカルな演奏を試みたが、大編成の交響楽団には波及しなかった。だからドレスデンで、私のやるべきことは山ほどある」

 そして、ショスタコーヴィチでは「重厚」と「諧謔」の対比を見事に描く。

 「ザンデルリンク家はショスタコーヴィチと非常に親しく、私も小学生の時、実際に会ったことがある。父(クルト)はソロモン・ヴォルコフの《ショスタコーヴィチの証言》に書かれた内容が、《ほぼ真実に近い》との見解に立っていた。実際に共産主義社会を体験した最後の世代として、私が伝えられるはずのメッセージは少なくない」

ミヒャエル・ザンデルリンクとドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団のPR動画