オーケストラが、玉置浩二の声に寄り添う静謐なひととき
PREMIUM SYMPHONIC CONCERT - CURTAIN CALL -
BRILLIANT NIGHTS FOR THE NEW WORLD

 親しんでいたり、はじめて聴いたり、という曲がつぎつぎに歌われるなか、自分が浸されている音楽と、その“かんじ”が気になっていた。知らないわけじゃない。でも、いつも感じているものでもない。おなじ「コンサート」と呼ばれても、クラシックでもジャズでも、またロックでも、あまりふれてこなかった“かんじ”がここにある……。

 「玉置浩二プレミアムシンフォニックコンサート」。

 すでに全国数カ所で、指揮者やオーケストラは変わりながらもおこなわれているコンサート。わたしが足を運んだのは1月24日(日)オーチャードホールでの公演。指揮は大友直人、オーケストラは東京フィルハーモニー交響楽団

 オーケストラによる導入があり、拍手。それから玉置浩二がステージに登場する。《あこがれ》《ロマン》《GOLD》《碧い瞳のエリス》と淡々とうたがつづいてゆく。

 玉置浩二が語るのはたった1回、ほんとうに短い挨拶をするだけである。オーケストラを、指揮者を紹介し、こういうコンサートをやっている、つづけている、と、そして遅ればせながらの新年の挨拶を、と、とてもシンプルに語る。

 billboard classicsは、シンガーソングライターがオーケストラと共演するコンサートをつくってきている。昨2015年には八神純子のコンサートをわたし自身、聴く機会があった。バンド編成で演奏されていた楽曲を、オーケストラとともに歌う。そこには、ただシンガーとしてオーケストラをバックにというだけではなく、シンガーとオーケストラが一種対等にステージにあることが目指されている。それだけの力量がシンガーになければならないのは言うまでもないし、よく知られた楽曲の持ち味を生かしたアレンジが生きていなければならない。そして両者が指揮者を介して、ひとつの音楽をつくりだし、聴き手に納得・満足してもらう。そしてこういう機会にオーケストラのサウンド、オーケストラの良さというのにも、気づいてもらうこと―――。シンガーとオーケストラとの相性というのもあるだろう。楽曲がオーケストラに向くかどうか、だってある。それらが過不足なく、そして、相乗効果を生んでこそコンサートは成功に導かれるはずだ。編曲者の力量もある。いたずらにドラムセットでエイト・ビートなんかをきざむようなアレンジでは興ざめになってしまう……。

 第二部のはじめにはブラームスの《ハンガリー舞曲第1番》。誰もが知っているこの楽曲だが、このコンサートでもまったく違和感はない。第一部がバラード調のゆっくりした曲で構成されていたから、この「ジプシー音楽」をもとにした編曲作品が休憩を経た後に、あらためて第二部の開始を示すアクセントとなっていた。

 そうだ、玉置浩二と大友直人はおなじ年齢のはず。そんなことが気になるのは、わたし自身がその1年下だからで、つまらないことだとはおもいつつ、同世代感を抱いているからだ。そんなふうにおもうと、連想は広がってゆく。玉置浩二が安全地帯のメンバーとして井上陽水とコンサートをやっていた頃。1980年代の歌番組。どこでもなっていたヒットソング。そしてCFとタイアップしてひびいた曲と声。おなじ時代、べつべつのことをしていながらも、ポピュラー・ソングは、それを歌う声はどこかでからだにはいってきていた―――きていただろう。そして、きっとオーチャードホールに来ている人たちの多くは、その時代、十代や二十代で、やはりこの声を、これらの曲を耳にしていたのだ。

 アンコール、《悲しみにさよなら》の大きな拍手の後、玉置浩二は大友直人の立つ指揮台の前にやってくる。そして歌うのである。《夏の終りのハーモニー》。マイクを持たずに、オーケストラもなく。井上陽水が詞を書いて、玉置浩二が作曲したこの楽曲が、ナマの声でホールにひびく。スタンディングの聴き手たちが、息をつめているのがわかる。そしてごく小さく、オーケストラがはいってくる。声を妨げないように、かといってけっして遠慮しているわけではない。声に寄り添う。玉置浩二は、そのまま、歌いつづける。声が聴こえなくなって、オーケストラの音も消える。訪れる、ごく短いけれど、とても静かな、時間。

 あの“かんじ”―――それは、ひとつひとつの楽曲が、「スタンダード」になり、その場にいる人たちが楽曲と演奏に身を委ねているなかでこそ醸しだされるもの、なのかもしれない。ときどきミュージカルの、ステージではなく、あくまでも音楽にふれている感触があったのは、それとつながってもいようか。オーケストラのサウンド、その質感とヴォーカルとがつくりだすものも共通するものを持っていたし。

 客席から外にむかう人たちのなか、話し声とはべつの音が、ところどころでしている。歩いているこちらに、ふと、近くなり、また、べつの人と近くなりして、それが《夏の終りのハーモニー》の一節であることがわかる。聴き手のなかにあるものを呼びさまして、それがごく自然に口元にでてきている。たぶん、わたしとほとんど変わらない年代の人たちなのだろう、それももっぱら男性の口元からの一節。そのままきっと自宅にまで持ち帰ることのできる一節。からだのなかにしばらくは残るコンサートの記憶。日常のなかに音楽がふと灯すもの……。

 


LIVE INFORMATION

○3月21日(月・祝) SOLD OUT
会場:[西宮]兵庫県立芸術文化センター大ホール
○4月5日(火) SOLD OUT
会場:[福岡]福岡シンフォニーホール(アクロス福岡)
出演:玉置浩二 
柳澤寿男(指揮)[西宮、福岡]
日本センチュリー交響楽団[西宮]
九州交響楽団[福岡]

◎billboard classics festival 2016
3月12日(土)13日(日)[東京]東京国際フォーラム ホールA
3月29日(火)[富山]オーバード・ホール
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