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ROOTS OF NIAGARA
大滝詠一が少年時代に出会った、ナイアガラ・サウンドの原典

 大滝詠一の音楽は、50~60年代のアメリカン・ヒット・ポップス抜きには語れない――が、彼がはっぴいえんどのメンバーとして書き下ろしていた曲は、その要素がさほど顕わではない。なぜなら、大滝が少年期から親しんできたポップスはもはや前時代からの産物で、保守的な音楽とされていたから。〈ロック〉という革新的な音楽を生み出すにあたって、バンドとしては(はっぴいえんどに限らず)そういった色を切り捨てていかなければならなかったからだ。しかし、そんな彼が自身のルーツを見直すきっかけになったのは、はっぴいえんどのラスト・レコーディング。LAでの現場を共にしたリトル・フィートのメンバーやプロデューサーのヴァン・ダイク・パークスとの会話のなかで大滝は、古いものを切り捨てていくのではなく、吸収したうえで新しい音楽を作っていくという彼らの姿勢を知る。以降、ソロとなってからの大滝は、自身のルーツをしっかりと練り込みながら時代と向き合う音楽をめざしていく。

 大滝は10歳のとき。ラジオから流れてきたコニー・フランシス〈カラーに口紅〉を耳にしたことがきっかけで、海の向こうのヒット・ポップスを聴き漁るようになる。中学生の頃にもなると、おこずかいの大半をレコードに注ぎ込むようになり、ドゥワップ、リズム&ブルース(ヒューイ・スミスやディキシー・カップスなど、特にニューオーリンズ産からの影響は大滝サウンドにしばしば表れる)、カントリー・ポップス、ロックンロール……さらには坂本九や弘田三枝子など、同時期の洋楽を和訳したカヴァー・ポップスなど、とにかく〈良い曲〉と思ったものを買う。大滝の音楽の、緻密でありながら難解さを持たない親しみやすさは、そういった嗅覚によるところが大きいだろう。

コニー・フランシスの59年のシングル“Lipstick On Your Collar(カラーに口紅)”

 大滝がもっとも熱を注いだのはエルヴィス・プレスリー。日本で出ていたシングル盤は全部買ったというぐらい、彼にとって初めての〈アーティスト買い〉だったが、そのコレクションを手放しても集めたのがビートルズだったりする。また、大滝が〈日本において、彼らはビートルズのようなニューウェイヴ的存在〉と讃えていたのが、ハナ肇とクレイジー・キャッツ。そのユーモアに富んだ作風は、音頭調の楽曲などメロディーメイカー=大滝詠一が時折放ってきたアナーキーな楽曲に影響が窺えるだろう。

ビートルズの63年作『Please Please Me』収録曲“Love Me Do”

 大滝を夢中にさせていった音楽のなかで、特に大きなものと言えば、ロネッツを筆頭にフィル・スペクターが送り出していったヒット曲群、いわゆる〈ウォール・オブ・サウンド〉と呼ばれたもの。錚々たるミュージシャン、楽団を従え、NYゴールド・スター・スタジオから生み出されていったラグジュアリーなサウンドは、モノラルとステレオという時代の推移による録音ソースの変遷はあれ、ナイアガラ・サウンドの原典であり(やはり大滝が大好きなブライアン・ウィルソンの原典でもある)、完成間もなかったソニー信濃町スタジオ(当時、国内屈指の環境が整っていた)で制作された『A LONG VACATION』で、ようやくその理想に近づくことになる。 *久保田泰平

ロネッツの63年のシングル“Be My Baby”

 


【PEOPLE TREE】大滝詠一
★Pt.1 コラム〈大滝詠一の足跡〉はこちら
★Pt.3 ディスクガイド〈耳で聴いたピープル・トゥリー〉、コラム〈オマージュから見る大滝詠一の残したイメージ〉〈作家としても眩いスポットを浴びた〈ロンバケ〉以降の大滝詠一〉はこちら
★Pt.4 新作『DEBUT AGAIN』のコラムはこちら