蘇る、オール伊福部プログラム「協奏四題」! 歴史的音楽会が再び!

 歴史的コンサートが蘇る。もう33年前。1983年2月10日。「伊福部昭・協奏四題」と題された演奏会が東京・五反田の簡易保険ホールで開かれた。東京交響楽団の主催。指揮は井上道義。曲目も同じ。ソリストも野坂操壽だけ同じ。違うのは会場とソリスト4人のうちの3人。再現性はなかなか高い。

 作曲家の評価は時代に応じて変わる。1983年というとイギリスではウォルトンが逝ったのだが、批評家たちの書きようは概して冷淡だった。初めはモダニストだったのに結局は20世紀の急激な音楽の進歩からずれていった作曲家。そんな評価だった。ところが今日はどうか。ウォルトンの交響曲や協奏曲はすっかり復権している。

 伊福部も似たようなものだった。1983年には69歳。青年時代からの作風をかたくなに守り、音楽史から取り残され、忘れられつつある作曲家のひとり。多くの音楽学者や批評家からそうみなされていた。

 でも変わってきてはいた。1970年代後半から徐々に。レコードが増え、山田一雄芥川也寸志が伊福部の音楽を積極的に指揮するようになり、マリンバの安倍圭子や箏の野坂恵子(現操壽)も伊福部に熱心になった。もしかして伊福部は変わらないゆえに時代から取り残されたのではなく、変わらなかったからこそ何か反時代的な独自の値打ちを持ち始めているのではないか。だがそういう認識はなお一部にとどまっていた。マリンバやお箏はレパートリーが少ないからたまたま伊福部で喜んでいるだけだ。芥川也寸志は伊福部の弟子で、山田一雄は伊福部の「昔からのお友達」だ。あとはゴジラのファンがいるだけだ。「伊福部人気」は局限されている。伊福部の音楽を時代遅れと片付けてきた人たちは相変わらずそう思おうとしていた。

 そんな状況を動かしたのが「伊福部昭・協奏四題」だった。何しろ指揮が井上道義。伊福部の弟子でもお友達でもない。彼が振りたいのなら、やはり伊福部には再評価されるべき何かがあるのだろう。会場は超満員ではなかったが、客層はそれまでにない広がりをみせた。伊福部の音楽には冷淡と思われていた、作曲家で批評家の柴田南雄は、今は亡き文芸誌「海」の連載コラム――音楽好きのインテリなら読むべきものとされていた名物コラム――にこう書いた。

 「筆者のように、東京で洋楽を習わされて育った人間は、少なくとも戦前には伊福部の音楽を感覚的にはまったく受け容れることができなかった。今日でも、西欧風の技術的洗練や劇的展開こそ音楽の生命と思っている人々には、彼の音楽は異質のものでありつづけよう。だが、大河小説さながらの作風は、とくにその生命感あふれるリズムに特徴があるし管弦楽法は堅固で巧妙そのものだ」。

 柴田が好きに書けるコラムで伊福部を自主的に取り上げ、それなりの好意を示している! 驚きだった。そして演奏への賛辞が続く。「才人、井上道義の功績は誰の目にも絶大で、彼は伊福部昭の独特な書法を易々と音楽の流れに乗せ、きき手を楽しませ、興奮の渦にまきこんだ」。

 伊福部を片隅に追いやってよい時代はもう終わり。そういう新しい認識を「伊福部昭・協奏四題」は日本のクラシック音楽界に広める、大きなきっかけになった。そう言ってよい。だから歴史的演奏会なのである。その再現は、伊福部とは何者か、伊福部昭評価の大きく変わったここ30年余りの時代とは何だったのかを問い直す、絶好の機会になるだろう。

 そういえば、柴田南雄は先の批評に次のように付け加えていた。「井上だろうと小澤だろうとアバドムーティだろうと同じだが、要するに現代の流れるようにスマートな演奏スタイルによって伊福部の音楽からスルリと抜け落ちる部分があるのも否定できぬ」。

 つまり柴田は、伊福部の音楽とはもっとごつごつしていちいちつっかかってくるものではないかというのである。33年後の井上道義の伊福部解釈がどう変容するのかしないのか。ソリストたちとどうスパークするか。楽しみでならない。

 


LIVE INFORMATION

ミューザ川崎シンフォニーホール&東京交響楽団
名曲全集第119回
道義念願のオール伊福部プログラム「協奏四題」

○7/10 (日) 14:00 開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
出演:井上道義(指揮)高田みどり(marimba)山根一仁(vn) 野坂操壽(二十五絃箏)山田令子(p)
曲目:伊福部昭:オーケストラとマリンバのためのラウダ・コンチェルタータ
伊福部昭:ヴァイオリンと管弦楽のための「協奏風狂詩曲」
伊福部昭:二十絃箏と管絃楽のための交響的エグログ
伊福部昭:ピアノとオーケストラのためのリトミカ・オスティナータ
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