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【D.J.FulltonoのCrazy Tunes】Vol.10 RPブーが語り継ぐシカゴのレガシー ~フットワークが進化し続けるために必要なものとは

前回、来日を前に同連載で紹介したRPブーD.J.Fulltonoジューク/フットワークのオリジネイターと言われていることの(若干の)誤りを指摘したうえで、彼の凄さはいったいどういうところなのかを詳細に解説し、ついにはRPブーと草書(書道の書体)の共通性を見い出すなど、そのオリジナルな視点に注目が集まりました。そして今回は、2013年以来の来日を果たしたRPブーに、Booty TuneD.J.April氏にも同席していただきつつFulltonoと共にインタヴューを敢行。積年の疑問をさまざまな角度から直撃しました。

驚くほど穏やかでチャーミングなRPブーは、静かにコーヒーをすすりながら、彼が音楽キャリアをスタートさせた際のエピソードや、シカゴのシーンにおいて重要な活躍をしていながら長きに渡って表舞台に出てこなかった理由、シカゴ/日本のシーンへの想いなどをじっくり語ってくれましたよ!

★第9回 RPブー、世界の誰もが知り得なかったもうひとつの裏ストーリーの存在

 

自分の内側から聴こえてくるものを、そのまま音楽に反映しようとしている

――もともとはDJからキャリアをスタートされたんですよね? 実際にトラックを作ったり、フットワークをするようになったのは、いつ頃からなんですか?

RPブーDJスラゴの家に遊びに行って、Roland R-70と小さいサンプラーみたいなのがあったので、彼に〈これでトラック作ってるの?〉と訊いたら、そうだと。それでどういうふうに曲を作っているのかデモンストレーション的に見せてもらって、その1年後、94年か95年あたりに自分でもR70とAKAI S01といった機材を買ったんだ。フットワークに関しては、もともとはダンス・クルーのためにミックステープや音源を作っていたんだけど、メガ・ムーヴ(Mega Move)というチームのリーダーに〈お前にもフットワークを仕込むぞ〉と言われて、そこから自分でもやりはじめたよ」

――トラックを作るようになって、具体的に影響を受けたアーティストはいるんですか?

RP「特に誰かに影響を受けたというのはなくて、いろんな人がステージでエナジーを発しているのを観てインスパイアされているんだ。コントロールとまでは言わないけど、自分がダンスと音楽をやることによって、それぞれのステージにアダプト(対応)するようにしている」

D.J.Fulltono「前に来日した際(2013年)には、70年代のファンクをよく聴いていたと言ってたよね」

RP「それは70年代にラジオをよく聴いていたからだね。(当時の)ラジオではいつもディスコやファンクがかかっていたから、それに自然と影響を受けたとは言えるかも」

Fulltono「それはハウス・ミュージックが誕生する前?」

RP「そうだね」

Fulltono「初めて作った曲は“Baby Come On”?」

RPブーの97年の楽曲“Baby Come On”
 

RP「そうだなぁ……“Icecream Truck”が初めての曲かな。自分がまったくひとりで初めて作った曲がそれさ。それまでは自分がビートを作って、スラゴがヴォイス・サンプルを乗せたりっていう共作だった。ポール・ジョンソンのレーベル(ゲットー・シリーズ)から出ている“Grip That”と“And Then I Let Go”というのも俺がビートを作って、スラゴがサンプリングをしたものだよ」

※“Icecream Truck”が聴けるRPブーのミックスはこちら

Fulltono「そのレコードはリアルタイムで手に入れていたんだけど、スラゴだと思って聴いてたよ」

RP「スラゴの『The Switch Over』(96年)に収録されているからね」

Fulltono「いま考えると、あの曲は(スラゴにしては)ちょっと違う作風で来たぞ、と思うものだった」

RP「いい耳を持っているねー(笑)」

Fulltono「4つ打ちのハウス・ビートに囚われないというか、ロックのビートやエレクトロ、それこそファンクみたいなテイストを感じるよ」

RP「他とは違うようにやろうとは心掛けた。いまでもそうだけど、(自分の)内側から聴こえてくるものをそのまま音楽に反映しようと思ったんだ。それが上手くいってる」

4月2日、大阪公演にて Photo by Jun Yokoyama
 

――あくまでも自由というか、他の誰かを意識することなく作っているから、ああいった斬新なスタイルのビートが生まれるんですね。

RP「そうだね、ナチュラル・ギフト(生まれながらにある才能)ではあると思うけど、そういう能力に気付くのにはしばらく時間がかかったよ。周りの人たちに言われるようになって初めて、自分には恵まれた能力があることに気付いたんだ」

Fulltono「僕はシカゴ・ハウスを90年代から好きで聴いていて、そこからジュークになってゲットー・テックを聴いて、そしていまのフットワークも聴いているんだけど、RPブーの存在を知ったのはわりと最近のことなんだ。(スラゴの楽曲として発表されたものは)自分がプロデュースしたトラックだと言ってこなかったのはなぜ?」

DJスラゴ(とは言いつつ実はRPブーの)“114799”
 

RP「音楽とは別の仕事をしていたからだよ。車のメンテやオイル交換をしながら15年間も働いていたからね。ほかのDJは音楽活動だけしていたかもしれないけど、俺は両方やっていたから」

D.J.April「その状況にもどかしさはなかった? 同じ時代に活躍しているラシャドスピンクレントDJPJにしてもゲットー・ハウスをリリースしたりして注目を浴びていたでしょ」

DJラシャドの2008年の楽曲“Freakin Me On The Flo”
 

RP「特にそういう気持ちはなかったな。とにかく仕事が好きだったからね。音楽はただの趣味で、いろんな人に〈本当にいい音楽を作るね〉と言われては、トラックを作ってみんなにあげて、それを彼らがプレイしていたんだ」

――では、いまのように音楽が生業になったのはどういうタイミングだったんですか?

RP「仕事をクビになったんだよ(笑)」

――それはいつ頃?

RP「2013年。ツアーの話が入ってくるようになったのは、クビになってからなんだ」

――タイミングが良かったんですね(笑)。

RP「そうそう(笑)。ちょうど(2013年作)『Legacy』の仕上げに入っている時だった。しかもワイフでさえ俺が『Legacy』を作っていることを知らなかったんだけど、“Area 72”とか、たくさんの曲があったからアルバムとしてまとめることにしたんだ。で、ちょうどタイミング良くそれ(クビになったこと)が重なったので、〈これはいい機会だ〉って」

 RPブーの2014年作『Legacy』試聴音源
 

FulltonoのDJプレイは、いつだって聴いていたいぐらい素晴らしいものさ

Fulltono「僕らが初めてRPブーの楽曲を聴いたのは、僕とAprilがメインで企画した、ジュークの歴史を紹介する番組をストリーミングでやった時で、その頃はまだRPを知らなかったから、RP抜きの歴史をずっと紹介していたんだ。その後にデイヴ・クアムのフットワークの記事を読んだら〈RPブーがフットワークのオリジネイターであろう〉と書いてあったから、そんなわけがないと思ってRPブーについて調べてみた。そうしたらすごい曲がいっぱい見つかって。まるでゲームをやっていて急にボスキャラが出てきたような感じだった(笑)。その頃にちょうど(RPブーが)SoundCloudにちょこちょこ曲をアップしはじめたんだ。それが2011年くらい」

RP「(ジューク/フットワークに)注目が集まるよう手伝ってくれないか、と言ってきたのがラシャドだった。本当に世界的に広がったのは、俺が初めて来日した後かな。あの頃からどんどん注目を浴びるようになったんだ。とにかく日本で盛り上がっているということを繰り返し聞いていたよ。日本は俺らのやっていることについての知識をすごく持っているという話は聞いていたけど、実際に来てみて本当にそう感じた。それで世界進出の下地が出来たかな。シカゴではまさにいまジューク/フットワークが盛り上がりつつあるよ。より受け入れられて、評価されるようになっている。俺が海外に出て、それを広めていることに貢献していることにも理解があるし。俺の役割は、自分の才能を活かしてジューク/フットワークを発展させることだと思っているし、だからこそ日本は大好きさ。初めて日本に来て、FulltonoがDJするのを聴いた時は本当に感銘を受けたんだ。というのも、シカゴから来ている俺からしても、これまで見てきたなかで最高のプレイだったから。すごいDJだよ。だから海外に行ったら(Fulltonoのプレイが凄すぎて)あちこちでムカつかれるかもしれないよ(笑)」

――ハハハハハ(笑)。

RP「聴けばすぐにわかるんだ、彼はハートでプレイしているし、この界隈でトップクラスDJだって。FulltonoのDJプレイはいつも聴いていたいぐらい素晴らしいものさ」

D.J.Fulltonoの2015年のパフォーマンス映像
 

Fulltono「ありがとう。シカゴの人は自分たちのクルーの曲を主にかけているけど、僕らは全部を平等に聴いているからいろんなクルーや人の曲を混ぜてかけている。だからシカゴの人とは違うDJができるのかもしれない」

RP「それが正しいやり方だよ。徐々にクリークやクルーの縛りが出てきたけど、昔からやっているトラックスマンやラシャドなんかは(そういうことに囚われずに)なんでもかける。それがDJのあるべき姿だよ。だからプレイが上手いんだ。ゲットー・ハウス最盛期のミルトンやスラゴなんかは縛りのあるプレイをするほうだったけど、俺らはなんでもかける」

※トラックスマン×D.J.Fulltonoのインタヴューはこちら

トラックスマンの2015年の〈Boiler Room〉におけるDJセット
 

Fulltono「ミルトンやスラゴは、クリークの中の曲を主体にプレイすることで個性を出していった?」

RP「実は最近になって、それはもうなくなってきている。昔はそうやってクリークのものだけかけてOKな場所もあったけど、いまはもうないんだ。だから続かなくなっている。頭打ちになったような感じだよ。ダンス・マニアが運営を停止してからはディーオンが体調を崩したり、スラゴやミルトンも何かしらの理由でプレイしなくなった。その頃に浮上してきたのが俺やラシャド、クレントで、トラックスマンもシカゴ西部から頭角を現していた。そのあたりから手当たり次第にダンス・ミュージックを何でもかけるようになったんだ。そういうプレイ・スタイルに移らないといけないと思って、とにかくなんでも可能な限りかけていたよ」

RPブーの2014年の〈Boiler Room〉におけるDJセット
 

 

日本のシーンにはどんな毒素も寄せ付けたくない

Fulltono「前回来日した時にRPブーが言っていた、〈自分はオリジネイターでもあるけど、ストーリーテラーだ〉という言葉がすごく印象に残っているよ」

RP「そうさ、まさに。いつだって自分のストーリーを語るってことなんだよ。そうすることで、よりいいDJになれるんだ。トラックメイクも、何か見たり聞いたりしたものに命を吹き込むわけだし。そうすることによって他人とは一線を画することができる。そうやって自分の伝えたいことをなるべくリアリスティックに表現する才能を磨いていくんだ」

Fulltono「そういう気持ちがあるから、みんながあなたに影響されて、いまあるシーンに繋がっているんだと思います」

RP「それが自分の仕事だね、そのことに気付いたんだ。よくいろんな人に〈もっと金をもらうべきだ〉と言われるんだけど、社会はそんなふうには転がらないわけで、『Legacy』を残しても誰か別の人がひと儲けすることになるかもしれない。それでも俺の名前は後世まで、長きに渡って残ることにはなる。自分が世の中で一番リッチな人間にならなくても、誰かをハッピーにできたらいい。それこそが本望さ」

――ご自身の活動だけでなく、昨年プラネット・ミューからアルバム『Dark Energy』をリリースしたジェリンのような若いプロデューサーをフックアップしていますよね。彼女はどうやって見つけたんですか?

※バトル会場にも行かず、ダンスもしたことがないという、シカゴ周辺のフットワーク・シーンでは珍しいタイプのDJ。RPのプッシュにより、プラネット・ミューのマイク・パラディナスの目に留まりコンピ『Bangs & Works Vol.2』に参加。その後、同レーベルより発表したデビュー作『Dark Energy』がPitchforkをはじめ数多くのメディアで年間ベスト・アルバムに選定されたほか、メジャーなファッション・ブランドのコレクションBGMとして採用されるなど、異例と言える飛躍を遂げた。執拗なまでの三連符を多用したビートが特徴

ジェリンの2015年作『Dark Energy』収録曲“Unknown Tongues”
 

RP「ジェリンとはMyspaceで知ったんだけど、すごく特別なものを感じたんだ。それで連絡を取ってみたんだよね。俺のやり方は、すぐに〈俺のチームに入れよ〉みたいに囲うようなことをするわけじゃないんだ。俺のクルーであるD・ダイナミック(D’Dynamic)には誰でも入れるんだけど、その前にまずは腰を据えていろいろと話してみる、人生などについてね。そしてこう伝える、〈これから踏み込もうとしている世界では、誤解されることだってあるかもしれない。でも善良な心で謙虚にやって、メッセージを伝えることにきちんと取り組めばきちんと評価される。人目にさらされるところだ。そしてその才能の拠り所はどこだ、と探られることになる。だから上手く立ち回れば勝ち残ることができる〉と。数年前のEQ・ホワイ(EQ Why)にしてもそうさ。当時の彼はいろいろネガティヴな発言が多かったから、クルーとしての活動は控えてもらうようにしたんだ。というのも、俺は誰にも自分のやっていることに対してネガティヴな気持ちは持ってほしくないんだ。ポジティヴな気持ちでいてほしい。ジェリンはこれらを上手く呑み込んで、ポジティヴに活動している。だからこそ飛躍できたんだ」

※2010年頃のジューク・トラックス(Juke Trax:2004年にデトロイトのDJゴッドファーザーによって設立された、世界初のジューク専門レーベル)でデビューを飾り、プラネット・ミューのコンピ『Bangs & Works Vol.2』に参加したほか、フランスのジューク・レーベル、Moveltraxxからもシングルなどをリリース。スイスのDuck N' Coverから『Enter The Why』(2013年)、Booty Tuneからアルバム『Dynamic Time』(同)を発表した後も精力的に作品を送り出す。とりわけバトル直系のフットワーク・トラックの評価が高い。一時期、D・ダイナミックにも所属していた

EQホワイの2013年作『The Dynamic Time』試聴音源
 

RP「前回日本に来て以降は、悪い意味ではなく自分は保守的になった。日本のシーンが(俺らの音楽を)受け入れて盛り上げてくれたことにすごく感謝しているし、特に日本のシーンについては毒されたくない。守りたいと思っている。どんな毒素も寄せ付けたくないと思っているよ」

Fulltono「地元のシカゴも盛り上げたい気持ちはある?」

RP「盛り上がるかどうかはシカゴ自身にかかっていることで、俺は何も強制することはできないんだ。ほかの要素も入ってきたりして一時は失速したけど、こればかりは自然発生的なものだから。でももちろんシカゴに背を向けるようなことは絶対にない」

April「すごく難しい問題が今後シカゴのみならず、各所でたくさんあると思うんですけど、フットワーク自体がシカゴ・ローカルなものから世界的に広がっていくようになって、音楽のジャンルとして確立されつつあります。その結果として、〈アーティストとして認知される=成功〉というステージから、徐々に〈フットワークという音楽で生計を立てる〉というステージが見えてきていると思うんです。そういった時に、音楽の進化とマーケットのマッチングみたいなことに、シカゴのアーティストが戸惑う時が来ると思うんですよね。そういう部分でご自身が果たせる役割をどのように考えていますか?」

RP「あまりに多くの人が音楽で生計を立てようとしている。シカゴでは誰もが〈顔〉になろうとしているけど、さまざまなことをきちんと勉強するここ(日本)の人たちとは違って、みんな勉強をしない。ただ自分がスターになろうとする奴らばっかりさ。シーンをダメにしたのは、myspaceやYouTubeといったデジタル・サーヴィスだね。気持ちだけで音楽をアウトプットできる場所が出来てしまって、実体のないものにみんな喰い付きすぎている。ほかの国の人がシーンに登場してちゃんと注目を浴びるのは、その音楽が害されていないからさ。シカゴのアーティストがもともともたらしたものを還元しているのさ。ジェイムズ・ブラウンマイケル・ジャクソンでさえも、先人から学んだことを還元してきたというのに。いまのシカゴの奴らの多くは俺のことなどもまず目に入っていない。でも俺は別の場所で人の心に訴えることはできているから、俺の存在が目に入っていない奴らについては気にしないことにしている。だけどいつかは気付くだろう、RPブーの存在を。その時に泣きを見るのは向こうだ」

2011年のコンピ『Bangs & Works Vol.2』収録曲、RPブー“Off The Hook”
 

真似事や模倣はいくらでもできるけど、俺のマインドを持つことはできない

Fulltono「僕らは後からわかったことだけど、一時期、2000年代の初めから半ばくらいまでフットワークのブームがシカゴで起こったと思いますが、その頃におそらくあなたの音楽を真似したような曲がたくさん出てきたと思います。でもそういう曲を作っているアーティスト自体はRPブーの真似をしているってことに気付いていないんじゃないかなと思うんです」

RP「意識して真似している人もいれば、それが当時の流行だからとやっている人もいたんじゃないかな。ちょうどさまざまなクルーが出来てきていた頃で、俺はサウンド担当としてあちこちの現場に呼ばれていたんだ。そしてダンス大会のようなイヴェントの後に〈ちょっとDJしてくれ〉と言われてやっていた。だからそういう時に自分の曲を仕込んでプレイすることができていたんだ。あともう一つは、ラシャドやトラックスマンなんかのパーティーがある時に、自分の新しい音源を持っていってわざと現場に残すようにしたんだ。そして2、3週間のうちには、その残された音源をいろんな人が作り変えたり、サンプルしたりしていたよ。次々に新しい曲を持っていかず、その1曲を放置する時間が長ければ長いほど、当然みんなはその曲ばかり耳にすることもわかったから、そんなふうに自分の新曲を仕込んで〈プレゼンする〉ということを繰り返してきた。で、それは今日まで続いていることさ」

Fulltono「それで広がっていったんですね」

RP「よく言っているのは、真似事や模倣はいくらでもできるけど、俺のマインドを持つことはできないってこと」

Fulltono「そうやって現場に置いていった楽曲のなかで、特にみんなが喰い付いた、インパクトを与えた曲はありますか?」

RP「“Get Em”“114799”“Heavy Heat”……挙げはじめたらキリがないよ。サンプルはちょっと違っても、まったく同じパターンだから聴いたらすぐにわかるレヴェルで結構使われていたね。“Bangin’ On King Drive”を最初にリミックスしたのは、DJイーモDJ E-MOE)だった。“Bangin’ Down Cottage Grove”って変えてね。DJロックもその曲のリミックスをしていたけど、俺が発見するまでは何も言ってこなかったよ」

 2011年のコンピ『Bangs & Works Vol.2』収録曲、RPブー“Heavy Heat”
 
RPブーの2015年作『Fingers, Bank Pads & Shoe Prints』収録曲“Bangin' On King Drive”
 

Fulltono「ちなみに、僕もちょいちょいリズム・パターンを(RPから)パクっているのを知ってる?」

RP「もちろんさ。俺はその(リズムを作る)才能に恵まれているんだよ。まだ披露はしていないけれど、みんながこぞって使いたくなるアイデアもいっぱいあるんだ。いま考えているのは、プロデューサーの活動も始めようかなって。俺のアイデアを自分一人で実現できるとは思っていないから、それをほかのDJに与えて制作してみたいのさ」

Fulltono「僕もアイデアを真似したい曲がいろいろあるんだけど、これは絶対真似できないというか、どう解釈したらいいかわからない曲があって。それが“Eraser”なんだけど、これはどうやって生まれたの?」

RP「何がどうなったかというと……〈Wala Cam TV〉のイヴェントで、ダンサーたちが〈ぶっ飛ばすぞ〉っていう勢いで威嚇し合うのを見て、それに影響を受けて家に帰って書いた曲さ。ポール・マッカートニー&ザ・ウィングスの“Live And Let Die”をサンプリングした。曲の導入はポリスの“Don't Stand So Close To Me”を使っているよ。で、映画『マイノリティー・レポート』みたいにピースを繋ぎ合わせて完成させたんだ」

※シカゴ拠点のアーバン・カルチャー情報を発信するサイト。〈Da War Zone〉というダンス・イヴェントを定期的に開催し、その模様をYouTubeにアップしている。シカゴ・フットワークの発展と普及に大きな役割を果たした

ポール・マッカートニー&ウィングスの73年のシングル“Live And Let Die”、73年の映画「007 死ぬのは奴らだ」の主題歌。実際はウィングス名義でリリースされている
 
ポリスの80年作『Zenyatta Mondatta』収録曲“Don't Stand So Close To Me”
 

Fulltono「ああ、言われて納得したわぁ。確かにあれは睨み合ってる感じがする」

April「RPの曲ってすごく不思議なムードがあって、“Eraser”もそうだけど“Munsta From Kavain Space”っていうゲットーファイルズから出している曲もすごく暗い」

RPブーが監修した2010年のコンピ『Overkill』収録曲“Munsta From Kavain Space”
 

RP「本当にやりたいんだけど取り掛かれていない曲が実はあって、それなんかはすごくダークだよ。でもアップテンポも好きだね。自分が作りたいのは、ひたすら喜びに満ちた楽しいムードから突然ピリピリしたバトル・モードにスイッチしちゃうような、そんな感情のジェットコースターに乗っているような曲なんだ。そのうちに作るよ」

4月2日、大阪公演にて Photo by Jun Yokoyama
 

見識を広めて、ポジティヴに考えられるよう自分を訓練しておくべし

April「いまの時代のフットワークを変えたのは、トラックスマンやRPブー、ラシャドを含めて4、5人ぐらいだと思うんですけど、全員に共通してることはシカゴのハウスの歴史みたいなものを全員体験していて、それを吸収したものをフットワークとして表現しているということ。でも、いまではフットワークから制作を始めているアーティストがいて、シカゴ・ハウスやゲットー・ハウスをほぼ知らずに作っているシカゴの人がいっぱいいると思うんです。そういったハウスのレガシーを、どうやってシカゴで守っていこうと考えていますか?」

RP「若い世代が気付く必要がある。ヒストリーの勉強はもちろん大事。(過去を)生きて体験することはできないけど、生き証人みたいな俺らがいるわけだから、必要としてくれたらいくらでもサポートするよ。でも、まずは(若い世代の人たちが)みずからいろいろと学ばないといけないという自覚を持つことが必要。そういう自覚を持って活動する人が増えればいいと思う。誰もそれをしないなら俺らが続けるまでだよ。それを喜ぶファンももちろんいるだろうけど、新しいものを観たい人がいるなら、まずはマインドセットを変えていかないといけない。ここで大事なのは、とにかく見識を広めて、ポジティヴに考えられるように自分を訓練しておくこと。ほかの文化や人と上手くやっていく術を身に着けておかなければならないんだ。それができないことには成功はないね。そして働き続けること。ストレスがないと言えばウソになるけど、自分に与えられた才能をそうやって俺は繋いでいく。そして続けていかなければならないんだ、自分一人でも、誰かと組んででも」

――なるほど。

RP「そういう意味で日本が重要な位置付けにある理由は、それをしようとしている人がいるからなんだ。多くの人が〈日本は(フットワークを次のレヴェルに)引き上げることが出来る場所〉だと思っている。だからといって、日本は過剰に自負してはいけない。シカゴにできないとしても、いずれどこかの国がやることだろうことだからね。どちらにせよ、シカゴだけでフットワークのすべてを進化させ続けることなんてできないんだ。だからこそほかの文化や人と上手くやっていく必要がある」

Fulltono「うん、流石! 素晴らしいです。食品まつり a.k.a foodmanと前に話していたんだけど、RPブーは自分の才能の1%もまだ出していないんじゃないかって

※そんな話をしているD.J.Fulltono×食品まつりの対談はこちら

RP「もちろんまだまださ。これからたっぷり出していくよ。まずはツアーをしていきたい。いま新しいEPにも取り掛かっているけど、今後2年以内に全部新曲のアルバムを出せるように準備したいね。いまはツアーをしたりエージェントと話したりといったことで時間を取られている。しかも、いま進めているプロジェクトもスケジュールより遅れているんだ。だからそれらが落ち着いてから取り掛かりたいね」

RPブーの2013年作『Legacy』収録曲“Speakers R-4”
 

Fulltono「楽しみにしています」

RP「ああ、俺も楽しみにしているよ。今回のツアーには機材を少し持ってきているから、もし2、3日の休みが取れたら、ホテルにこもって作業しようかな」

Fulltono「では最後に今後の目標を聞かせください。以前トラックスマンにインタヴューした時にも同じ質問をしたんだけど、彼は〈バッド・ミュージックから世界を救う〉と言っていたよ」

RP「Unstoppable music that everybody enjoys.――誰もが楽しめる音楽を絶え間なく響かせること、かな。バッド・ミュージックを作るのは悪い奴らだ。俺は善良な人の声=グッド・ミュージックをもっと聴かせたい。そしてそのためには、何よりもポジティヴな姿勢でいることだね」

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