撮影:菊地あび

 

すでに開かれていた、ピアノ・ソロの新しい世界

 2012年、東京で生前実現した、最後のソロ・コンサートを収めた菊地雅章のピアノ・ソロがECMからリリースされた。晩年、彼が身に付けた“クローズド・ポジション”というユニークな演奏法を使った即興演奏を中心に構成されたソロをじっくりと聴ける。

菊地雅章 黒いオルフェ~東京ソロ2012 ECM/ユニバーサルミュージック(2016)

 数年前、ポール・モチアンの他界をきっかけに結成した、ピアノ、ギター、ベースというトリオ編成での来日時にも、この特異なスタイルが、彼の音楽を支配していた。その時の取材時に、NYの自宅でレコーディングしたピアノ・ソロを焼いたCDRを幾つかもらったが、そこには、“クローズド・ポジション”による即興だけがびっしりつまっていた。耳慣れないクロマティックなクラスターの不規則なアルペジオが、バラバラと空間に広がり、耳を素通りしていく時間が過ぎていくのだが、そこには不思議な不器用な美しさが聴こえていた。それはピアノの練習で痛めてしまった左手から、また新しい可能性が聴こえたという喜び、だったのかもしれない。

 1989年に発表された自身初めてのピアノ・ソロ『Attached』は、その頃所有していたスタジオで何度もレコーディングし、それを当時まだデビュー前のマリア・シュナイダーが譜面に起こし、その譜面をみながらギル・エヴァンスが彼にアドヴァイスするという作業を繰り返したのち、制作されたアルバムだった。アイディアやアプローチ、演奏をレコーディングしては何度も聴き直し、煮詰めるという作業は、その後もずっと続いていたようだ。自宅には無数のDATが今でも山積みになっている、と教えてくれた。この東京のコンサートに当日行けなかったことを当時から悔やんではいたが、このアルバムにその時を聴いて、行かなかった自分を情けなく思ってしまった。この奏法による即興をずーっと記録し続け、聴き続け、その音楽は育っていたんだと最初の音を聴いて気がついた。おそらくポール・ブレイの『Open, To Love』や、キース・ジャレット『Facing You』と同じようなピアノ・ソロの新しい可能性にこの『Black Orpheus』はたどり着いたと思う。