3部作は本当に3部作だった。季節の到来を待って届いた『blackSUMMER'Snight』は、変わらぬこだわりと美意識で世界観を磨き上げながら、時代の息吹も吸い込んで新たな生命力を獲得した傑作だ!

 

自分でもわからないよ

 何度、夏が通り過ぎていったことだろう。2001年作『Now』発表後にコロムビアとの契約があと3枚残っていることから思いついたという3部作の第1弾として2009年にリリースした『BLACKsummers'night』。3年連続で出す予定のシリーズだったが、第1弾が予想以上のヒットとなったせいもあってか、第2弾の『blackSUMMERS'night』は翌年には出ず、声帯の治療を経た2013年に出る兆しを見せるも、それからさらに時間がかかり、結局7年ぶりに〈夏〉はやってきた。

MAXWELL blackSUMMERS'night Columbia/ソニー(2016)

 40代になって初めてのアルバム。ちょうどデビュー20周年にも重なったが、それは偶然で、すべては彼の完璧主義のせいだ。前作も8年待たせるなど一切の妥協を許せない性分を本人も「なぜこういう人間なのか、どこがおかしいのか、自分でもわからないよ」と笑いながら認めている(発言はすべてオフィシャル・インタヴューからの抜粋)。〈海のそばの湖で静寂に包まれて僕らはひとつになる〉と歌う先行曲“Lake By The Ocean”は、恋愛模様を大自然に喩えた幻想的かつスケールの大きいスロウ・ジャムだが、これを書き始めたのは3~4年前。しかし、形になるまでには時間がかかったという。

 「いったん完成させたものの、その後も少しずつ修正を加えて……とにかく音楽作りを愛していて、アルバムを作るのが好きで。でも、いったんリリースしたら、そこで鳴っている音をもう変えることはできない。そういったことが大きな不安感を生むんだ。聴き直して後悔したくない。やっぱり人々に愛されたいと願っているからね。結果的にアルバムは時間と共に進化し、より良いものへと変化したと思う」。

 2013年にデモを披露していた“Gods”はそれほど形を変えずに収録されたが、収録曲の中には当初の状態から原型をとどめていないものもあるという。そんなマックスウェルの完璧主義に付き合ったのは、今回も馴染みの面々だった。Musze(=マックスウェル)と共作し、共同でプロデュースしたのはマルチに楽器を操るホッド・デヴィッド、および前作には不参加だったもののデビュー時からの付き合いとなるスチュアート・マシューマンで、ミックスには今回もマイク・ペラが名を連ねている。「僕はいつも新しいプロデューサーを探しているタイプじゃない。コラボレーターを限定しているんだ」と話すように、R・ケリー制作の“Fortunate”を歌ったり、アリシア・キーズの“Fire We Make”で共演したのは例外中の例外で、自身の作品ではラッパーなどのゲストを招かず、気心の知れた仲間と音楽を作るのが彼のやり方。それが作品のクォリティーや世界観の維持に繋がっている。

 

新しいエッジと躍動感

 演奏陣には、ホッド・デヴィッドのほか、ベースのデリック・ホッジ、オルガンのシェドリック・ミッチェル、トランペットのキーヨン・ハロルド、サックスのケネス・ウェイラム3世と、前作のレコーディング・メンバーも大半が続投。ドラムはクリス・デイヴから今回はマーク・コレンバーグらに交代した。そうした前作からの流れを見れば今作でロバート・グラスパーが鍵盤を弾いているのも別段驚くようなことではなく、新世代ジャズが……と言う以前からマックスウェルがそうした気運を醸成していたことに改めて気付かされるものだ。

 とはいえ、力強く推進力のあるミディアム“Fingers Crossed”、穏やかに歌い始めながら次第に感情を剥き出しにして歌う“Hostage”、ハイ・テナー~ファルセットで歌い通す“Of All Kind”でロバート・グラスパー・エクスペリメントの関係者3人が音を鳴らしていることからくる深みや革新性には抗うことができない。特に、マックスウェルのヴォーカルにまとわりつくようなコレンバーグの軽快かつアタックの強いドラムは楽曲に一段と生命力を与えている。こうして満足のいく仕上がりとなった楽曲に対してマックスウェルは、「彼らがそれぞれに絶妙なプレイなどで肉付けしてくれたおかげなんだ。まったくもって神懸かった能力を備えている」と演奏陣を絶賛。8月の来日公演を含む新作のツアーも本作の主要レコーディング・メンバーで固めており、まさしく一心同体と言っていい。

 そうしたなか、ソングライティングや鍵盤演奏で新たに関わったのがトラヴィス・セイルズだ。以前共演していたデリック・ホッジを介しての起用と思われるが、アヴァントの近作をはじめ、最近はアリアナ・グランデフィフス・ハーモニーの作品にも起用されており、彼の参加が、マックスウェルが今作に対して言う〈プログレッシヴ・ソウル〉の一端を担っているのは間違いない。特にアルバムの前半、ファルセットで歌い上げる「70年代ディスコ的なヴァイブ」という4つ打ちハウス調の“All The Ways Love Can Feel”、ジャーメイン・パリッシュのプレイと思われるドラムがつんのめった感じで忙しなくビートを刻む“The Fall”にはトラヴィスが加わったことによる現行感が色濃く滲む。〈俺はミシェル・オバマみたいなタイプの女性が好き〉などと地声で叩きつけるように歌う“III”も含めて前半の3曲には「金曜夜のクラブにいるようなヴァイブがある」とのことだが、これらの曲が持つエッジは本作がもし数年前に完成していたら出てこなかったのではないだろうか。

 

痛みがスウィートな音楽を生む

 ただ、ダンサブルでありながらも、そこにあるのは晴れやかな開放感ではなく、どこかもがき苦しんでいるような姿だ。そして、全体を貫くのはブルーなトーン。マックスウェルが描く夏は決して明るくない。それは本人も認めるところで、「思うにこのアルバムは多くの脆いエネルギーを湛えている。僕はいろんなことを恐れていて、傷つきやすく、怯えた人間なのだということをさらけ出している。男性が表に見せることを躊躇う側面を、いろんな形で表現しているんじゃないかと思うよ。自分が感じる痛みこそが、この世でもっともスウィートな音楽を生むのさ」と。それはビター・スウィートという言葉に置き換えられるだろうか。地声とファルセットを巧みに使い分けながら歌う曲は、甘いが、いちいち苦い。スチュアート・マシューマンが関与した“Lost”や“Listen Hear”といったバラードにおける、かつてのポーティスヘッドにも通じる陰鬱なブルージィネスは、その苦さに止めを刺すかのようでもある。

 多重コーラスなどにおけるマーヴィン・ゲイ作法に加えて、以前から窺えたプリンスからの影響は、新作発表前後のアワードやフェスで“Nothing Compares 2 U”を歌ったことからも明らかだが、今作にも、ある種の狂気を含め、端々に殿下マナーが滲む。壮大かつドリーミーな“1990x”なんかはタイトルも殿下風。地声からファルセットへの移行が美しい歌唱はバックで歌うラティーナ・ウェッブの女声に頼らずとも色気たっぷりで、故人の後継者として改めて名乗りを上げるかのようだ。

 ジェイムズ・ボンドを意識したというポーズをとったジャケット写真を撮影したのも、いつもと同じフォトグラファー。アートワークにも気を使い、フィジカル商品として価値あるものにしようというこだわりも感じさせる今作は、まさにレコーディング・アートと呼ぶに相応しい。「巷にこんな音楽は見つからないと思う」と語る彼の、衒いのない崇高さに惚れ惚れする。

 〈Written by Earth〉とクレジットされたクロージング曲“Night”は波のSE。次作を匂わせるタイトルだが、完結編となる第3弾『blacksummers'NIGHT』はかなり出来上がっているようで、今回ほど発表までに時間がかからないという。夜はすぐそこまで来ているのだ。