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GREAT3誕生の背景にある!? パイドパイパーハウスの影響力

片寄氏がパイドで購入したシングルのなかでも印象深い一枚だというエルヴィス・コステロの“From Head To Toe”をかけながらトークは進んでいく。アトラクションズが繰り出すシャープなビートがすこぶるゴキゲンだ。

エルヴィス・コステロ&ジ・アトラクションズの82年のシングル“From Head To Toe”
 

片寄「カウンターの奥の壁に7インチがいくつかディスプレイされていて、そこで見つけて買った一枚ですね」

長門「入ってすぐのフロアには売れ線のレコードが置いてあって、一段上がって奥に行くと、ニューオーリンズやカリプソのようなマニアックなモノが置いてあった」

片寄「F・ビート系の品揃えはかなりのものでしたよね?」

F・ビートからリリースされたエルヴィス・コステロ&ジ・アトラクションズの80年作『Get Happy!』収録曲“Possession”
 

長門「スタッフみんな好きだったからね。そういやコステロがパイドに一度だけ来ました。2回目の来日のときだったかな」

片寄「本のなかで、コステロがヴァン・ダイク・パークス『Discover America』のイタリア盤カセットをパイドで買ったというエピソードが語られていますが、実は僕も同じものを買ってるんですよ(と言ってカバンからカセットを取り出す)」

長門「お~。あの当時『Song Cycle』や『Discover America』はとっくに廃盤だったから、イタリアの廃盤カセットを大量に入荷させて売ったんだ。来店した際にかけてみたら買ってくれたわけ。で、翌年彼のマネージャーがやってたレーベル(デーモン)からヴァン・ダイクのアルバム3枚が再発されたという」

片寄「もしかしたらパイドで買ったことがきっかけじゃないのかって話ですよね。それと、コステロがあるインタヴューで、ティーチャーズ・エディションの“I Wanna Be Loved”をカヴァーしたのは、日本へ行ったときに買ったハイ・レコードのコンピレーションに入っていたのを聴いたのがきっかけだという話をしていて」

エルヴィス・コステロ&ジ・アトラクションズの84年作『Goodbye Cruel World』収録曲“I Wanna Be Loved”
 
ティーチャーズ・エディションの73年のシングル“I Wanna Be Loved”
 

長門「ウチだと思います。そのとき彼が何を買ったかノートにメモしてある。確か一緒にエヴァリー・ブラザーズも買っていったな。あとデヴィッド・リンドレーも来たことがある。彼は日本でしか出てないアトランティック・ソウルのコンピを買って行ったんだけど、その翌年に彼のアルバムでそのなかの1曲をカヴァーしていたね」

ジャクソン・ブラウンの相棒としても知られる西海岸きっての名ギター・プレイヤー。ラップ・スティール、ワイゼンボーン、バンジョーなどさまざまな弦楽器をマスターしていることも知られ、ソロ・アーティストとしても81年作『El Rayo-X』(邦題〈化けもの〉)ほか多数作品を残す。ブルースなどのルーツ・ミュージックや世界各国の音楽を大胆にミクスチャーしてみせるセンスは非常に評価が高い

司会「僕は三重の片田舎に住んでいたんですが、わりと敷居の高いイメージがあったんですけど」

長門「そう言われることもありますね。メディアに取り上げられることも多かったんですよ。田中康夫さんの小説『なんとなく、クリスタル』に登場したりだとか」

片寄「有名な人が集まるトレンディー・スポットみたいな感じ」

長門「場所柄、ファッション関係の人がショウで流す曲を探しに来たりしていた。四方義朗さんとかね。そういうのが雑誌に載ると、普通の人は入りにくい、みたいに思われたりして。そういうのが嫌でね」

片寄「ハハハ。僕も中学生だったからすごく敷居が高かったですよ。結構緊張しながら店に行きましたもん」

長門「でも店に入ったらそんなことないでしょ? お洒落な店みたいに書かれたりしたけど、お洒落らしさなんて欠片もなかったよ。店に来る人の一部がお洒落なだけ。スタッフなんて鈍くさい人ばっかりだったし。天井には畳が張り付けてあったし」

片寄「え、畳? 覚えてないなぁ」

長門「吸音するためにね。上におばあちゃんが住んでいたから。2階建ての木造モルタルだったんです」

片寄「田中康夫さんは何回かお店で見かけたことがありますよ。すごい勢いでレコードを抜いていて、片手に20枚ぐらい抱えて。お金持ちなんだなぁと思った(笑)」

長門「週に2、3度来てたからね。彼はDJをやっていたから、ネタ探しだったんでしょう」

もし長門さんがいなかったら知らなかっただろう音楽がいっぱいある、と繰り返し主張する片寄氏。彼の話からは、ソフト・ロックAORニューウェイヴにスウィート・ソウルといった多彩なエッセンスが共存するGREAT3の音楽性の形成に、パイド体験の影響が少なからずあったということを窺い知ることができたりもする。個性的な東京のレコード・ショップによって育まれた特異なセンス。かつて意志を持ったレコード屋が優れたミュージシャンを育てていた時代が確かにあった。

GREAT3の96年作『METAL LUNCHBOX』収録曲“Little Jの嘆き”
 

長門「でも別に、僕が大元でも何でもないんだけどね。そういえば去年、アメリカの大学院に通う女子学生から、〈サンシャイン・ポップを広めたのはあなたですよね?〉って連絡があってね。卒論に書きたいからお話を訊きたいと。どこでそういう話になったのかわからないんだけど、いやいや僕だけが悪いんじゃないと(笑)。あなたたちのおかげで人生が変わった、なんて言う人も結構いるからさ。そうそう、青学(青山学院大学)の近くだったこともあって、毎日来ていたそこの学生さんがいてね。その子は、当時1,200円で売っていたロジャー・ニコルズ&ザ・スモール・サークル・オブ・フレンズのカット盤を聴いていたんだけど、のめり込んじゃったわけ。でも周りの同級生はディープ・パープルとかを聴いているし、自分の趣味は変わってるんだと疎外感を抱いたと言うんだ。その後、ピチカート・ファイヴが海外で評価されることになり、ロジャニコがようやく脚光を浴びるようになったんで、彼は溜飲を下げたと言っていた。同じ青学に通う子供を連れて、会いにきてくれましたよ」

片寄「ロジャー・ニコルズなんてホントそうですよね。あのアルバムはどうやって発見されたんですか?」

長門「もともと大滝(詠一)さんとかがラジオでかけてたんだよ。日本で4人ぐらいが持っていたかな(笑)。もっといたかもしれないけど、4人までは名前が言える。ひとつ言いたいのは、決して隙間を狙っていったわけじゃないんだ」

片寄「好きなものを紹介していただけ、ってことですかね」

長門「そう、メジャーもマイナーも関係なく、いいものはいい、というのがパイドパイパーのポリシーというかね」

片寄「子供ながらに、洒落た音楽だなと思ってましたよ。自分が求めている音楽がここにいけば手に入る、という気持ちでしたから」

長門「そういうセンスをサウンドで具現化したのがピチカート・ファイヴの小西康陽くんだったりするんだろうね」

ピチカート・ファイヴの96年のシングル“Baby Portable Rock”
 

そういえば、パイドパイパーハウス渋谷店には、現在活躍中のインディー系アーティストのアルバムもいくつか取り揃えられている。長門さんの趣味に適ったこれらのポップ/ロック作品は実のところ、パイド系の音楽を継承する若いアーティストが少なくないことを物語っているのだ。ヴェテランも若手も関係なく、いいものはいいってことを打ち出しているパイド的セレクション。一度お店に足を運んで見てみてほしい。間口の広さに驚かされるから。

店長の長門さん(役職はストア・マネージャーとのこと)は、週に3日ほど出勤されているそう(出勤日のスケジュールはショップに掲示されている)。トークショウ当日もタイムカードを押して出勤、9時に朝礼に出席しての終日勤務だった。聞けば、ご飯を食べる暇がなく、差し入れのおにぎりを少し口にしただけというハード・ワークぶりだ。

「いや、売り場から離れたくないんだよ。お客さんと接していたい。だって、レコード屋楽しいんだもん。仮眠するところはあるのか訊いたんだけどね。そうしたらほら、泊まれるからさ。今日は女子高生に話しかけられたよ。〈K-Popコーナーはどこ?〉って(笑)」

カウンターにはコーヒーメイカーが設置されていて、これはお客さんに自由に飲んでもらうために用意しているのだそう(数に限りあり)。売り場のディスプレイが3日ごとに変わるかも、なんて言っているし、これからしばらく足繁く通うことになりそうだ。

★次回は長門芳郎&鈴木茂が出演したトークショウをレポートします!