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実は俺がバンドを抜けようと思ってたんです(松本)

――皆さんがリスナーとしてずっとGOING UNDER GROUNDを追ってきたなかで、松本さんのキツさみたいなのは察していましたか?

福富「うーん、『おやすみモンスター』(2007年)以降の作品からは感じてたかもしれませんね。次の『LUCKY STAR』(2009年)はジャケで〈アレ?〉となったところもあって」

松本「あー、ペンタゴンのジャケね」

福富「さらにメンバー(伊藤洋一/キーボード)が抜けるというので、〈アレ?〉と。レーベルもビクターじゃなくなり、どうなるんやろと思ってました。でも『Out Of Blue』の1つ前にインディーで出した『ひとりぼっちになる日のために』(2014年)は、ジャケも含めてちょっと戻ってきた感があったんですよ」

松本「うーん、でも苦しかったね(笑)。結局苦しいアルバムでしかなかったなと思う。ドラム(河野丈洋)が抜ける直前に制作した作品で、どうにかGOING UNDER GROUNDというバンドの形であろうとして作っているから、結局ものすごく小さいものだったし、〈もうダメだ!〉というアルバムなんですよね」

2014年作『ひとりぼっちになる日のために』収録曲“ALONE AGAIN”
 

――『ひとりぼっちになる日のために』の制作時に、河野さんが抜けることは決まってたんですか?

松本「いや、俺が抜けようと思ってたんですよ」

一同「えー!!」

松本「もうこのバンドはダメだなと思っていたし、潮時だと感じていました。そんななかドラムが抜けることになったんです。俺と(ドラム)の丈さんとでは音楽性がまったく違っていて、その軋轢が良かったのが初期3作だったんですけど、次第にどうにもならないくらい開いていって、『ひとりぼっちになる日のために』はもうバンドの作り方ではなかったんですよ。もっと合理的な作業だった。でも俺は結局バンドが好きだから、ちゃんと作りたいわけじゃないんだよな、と思っていたんです。音源の隙間から聴こえてくる良いほころびこそが、いちばん聴き手に引っ掛かるところなのに、それを整理する作業をやっていて、何の意味があるの?と思っていた。そんななかでドラムが抜けることになって。その前から俺は解散しようと思っていたけど、3人になれば俺が完全に旗振りだから、じゃあ好きなようにできるんじゃない、と思ったのが始まりでしたね」

夏目「よく〈音楽性の違い〉というけど、例えばジャズが好きな人とロックが好きな人でも一緒に音楽はできると思うんですよ。要するに音楽のどんなところをいちばんキラキラさせたいかと思うかですよね」

松本「そうそう。だから(ビーチ・ボーイズの)『Pet Sounds』(66年)を作りたい人と、いやビートルズの『Please Please Me』(63年)こそが最高でしょと思う人では絶対に違ってくるじゃないですか。俺は後者で、演奏や歌がクソだろうがめちゃめちゃ良いなと思えるものをやりたい人。いまのインディー・バンドに感じた魅力もそうなんです。ピッチとか全然合ってないけど、めっちゃ良いじゃんって。俺はそれをおもしろいと思うし、それをおもしろいと思う人にGUGを聴かせたいんです」

――『Out Of Blue』は、いま松本さんが言われたインディー・シーンを好んでいるようなリスナーにも聴かれるべき作品だと思います。3人の感想はいかがでしたか?

福富「僕はもう客観視できない面があるんですけど、このアルバムでもう1回勝負しに行ったんだと思いました。今回またビクターからリリースするのも、熱心なファンにとっては、またドラマが動き出した感じがするんです。(リード・シングルの)“the band”でもそうでしたけど、歌詞が意思表明にしか思えないんですよね。1曲目に収録された“Teenage Last”の〈途切れた青の向こうへ〉という歌詞とかもう……。バンドのストーリーを踏まえて聴いてしまう」

――GOING UNDER GROUNDというバンドの〈青春の終わり〉を告げる作品になっていますよね。

松本「そうですね。だからこそ、それでもロックはできる、こんなにも自由にやれるんだというのを提示しないと、もうお天道さまの下を歩けないなと思ったんですよ。いまの若いインディー・バンドをたくさん聴いて、こんなに才能ある人がいっぱいいるのか!とも思ったけど、そこでそっちに寄せていくというのは、まったく話が違いますよね。まず自分たちがいちばん良いと思うことをやっているバンドでありたいなと考えた」

――おもしろいのは、若いバンドに刺激を受けているにもかかわらず、決して回春を狙ったわけではない。むしろタイトルが象徴するように青の時代の先へ向かったということなんですよね。

松本「あー、だからシャムキャッツホムカミスカートミツメなんかを聴いたときに、自分たちがもう若くないことを知ったんですよね。だったらもう本気出して自分の音楽をちゃんとやらないと、バンドの良さってこういうもんでしょというのを体現できないと思った。じゃあ、それを体現するために、シャムキャッツにもホムカミにも似ないような形で、自分たちの音楽をどうやっていけるだろう、というのはものすごく考えた」

――そのなかで松本さんが見つけGUGらしさというのは、どんなものだったんですか?

松本「実は何もそんなにできなかった、ということなんだと思うな。いっぱい音楽を聴いてきたから、いろいろできると思っていたけど、最初から本当に好きなものは決まっていて、実際にそれしかできなかった。じゃあ、それしかできないんだったら腹を括ってその最良のものをやろうと向かったんです」

 

『Out Of Blue』を聴いて、これをやられたらもう勝てないなと思った(夏目)

――畳野さんは『Out Of Blue』を聴いてどんな感想を持たれました?

畳野「いま素生さんが、もう若くないと言っていたじゃないですか。それをすごく良い意味で感じるアルバムだと思いました」

松本「俺もそういうふうに思ってほしかったんですよ。このバンドは良い歳の取り方したんだなって」

畳野「この間の〈やついフェス2016〉で、私はGUGのライヴを初めて観たんですけど、もう最初から涙が溢れ出てしまって。あまりライヴで泣いたりしないのに、昔の曲も新作の曲でもずっと泣いていて。もう顔がグチャグチャだったんですよ」

福富「僕らの出番の直前でリハに行かなきゃいけなかったんですけど、そしたら“ランブル”が演奏されて」

畳野「もう大泣きしてね。そのあとライヴをしたんです」

松本「良いねえ。GUGに関しては、GUGを心底好きだと思ってくれている人と俺が〈この曲は良いんすよ〉と思うものは外れてないんですよ。だけど、J-Rockのフェスなんかで〈GUG好きなんすよー〉と寄ってくる人の感覚は俺となぜかズレてるんですよね(笑)」

2002年作『ホーム』収録曲“ランブル”
 

――夏目さんは『Out Of Blue』を聴いてどう思われました?

夏目「音楽的に豊かにしようとすると、楽器ごとの音符を合せないというやり方があるじゃないですか。でもこのアルバムでは、むしろ合わせてきている。だからこそ、すごく強いんですよね。さっき若くないとおっしゃっていましたけど、僕はそれを逆手にとって強みにしているというか、ヴェテランならではの敵わなさを感じました。これをやられたらもう勝てないなと。それを意識的にやったのかが気になったんですよね」

松本「意識的に……やりましたね。キャリアもあるけど、俺らはこれだけなんだぜということを伝えようとした。それが良いことだと思ったんですよ」

夏目「そこに超グッときたんですよ」

松本「〈お前はどうなんだ?〉という問いを投げかけているつもりでもあって。俺はこういうふうにやったから、お前はどうやるんだ?って。じゃあ俺はこうするという反応があれば、それが場をおもしろくしていくので。このアルバムに関しては、これからどんな評価をされるかわからないですけど、そんなのどうでもいいなと思えるんです。これまではもっとセールスや評価がどんなものだろうかと、ヤキモキしてたんですよ。でも、今回はこれを作れたから、次はもっとやれるという喜びや充実感のほうが大きい」

夏目「最高ですね。あとちょっと職業病でもあるんですけど、気になったのは2曲目以降からヴォーカルとドラムの鳴りを変化させているところで」

松本「そうですね。そこは重要かもしれない」

夏目「こういう方法もアリなんだ、すごいなーと耳を惹かれたんです。僕のなかだと曽我部(恵一)さんが『超越的漫画』(2013年)でやっていた感じ――ヴォーカルとドラムにコンプをかけて、バンドっぽくするのに近い気がした」

松本「いま曽我部さんの『超越的漫画』を出してくれたから言うと、あれを聴いたときに〈やっぱこれじゃん〉と思ったんですよ。ロックンロールはこういうことなんだなって。あのアルバムは、なんだかわかんない曲もいっぱい入ってるし、録り方にも違和感がいっぱいあるけど、それが媚びてないというか〈わかってたまるか〉みたいな意志を感じた。俺は〈お前らなんかにわかってたまるか〉と言われているようなレコードが好きなんですよね」

夏目「そうそう、『Out Of Blue』も媚びてないと思ったし、何も気を遣ってないなと思ったんですよ。僕が『かよわきエナジー』と『ホーム』に感じていたヒリヒリしたものに近いなと。『ハートビート』はちょっと気を遣っている感じがしたんですよね」

松本「最初の頃はわかってくれる人なんていないと思っていたからね。でも『ハートビート』がちょっと売れたから、〈あ、わかってくれたじゃん〉となったんだよ。迷い出したのはそこからなんだよね。いまは、もはやどう思われてもいい」

 

いまは音楽が最高に楽しい。そこに立ち戻るための15年間だったな(松本)

夏目「僕は初期の“アロー”という曲がめちゃくちゃ好きなんですよ」

福富「僕もめっちゃ好き。インディー時代の最後のシングルですよね」

夏目「そういうのも知ってるんだ!」

福富「僕、バンドマンのなかでは日本で1、2を争うくらいのGUGのファンだと思いますよ(笑)。『Cello』(98年)も持ってるし」

※GOING UNDER GROUNDのインディー時代の初ミニ・アルバム。すでに廃盤となっており、オークションでは高値で取り引きされている

夏目「その“アロー”感が新作にはあったんですよね。気持ちがそのままメロディーになっている気がしたというか。そうそう、高校のときに“アロー”が大好きな友達がいて、“ミラージュ”が出たときも、そいつと2人だけで、めちゃめちゃ良いと盛り上がったんです。で、クラスの誰もそれに付いてこないと(笑)」

2001年のシングル“アロー”
 

松本「俺らはそういうバンドなんですよ(笑)。俺はやっぱり渋谷系をギリギリ通っているから、そのバンド・ブームみたいなのとは別の、クラスで言えばど真ん中のノリノリじゃないところのほうが、おもしろい奴がいっぱいいることをどこかで信じているんですよね」

福富「わかります。中3のときに“STAND BY ME”が給食の時間の校内放送でかかったんですけど、僕は〈ふざけんな!〉と思ったんですよ(笑)。僕の大好きなGUGを、ちょっとCMに使われたからって流行ものみたいにすんなよ!って」

松本「“STAND BY ME”の頃はやっぱりセルアウト期なんだよね(笑)。これ言うと怒られると思うんですけど、〈三ツ矢サイダーのコンペがあるからやりましょう〉とレコード会社の人たちがすごく盛り上がっていたんです。で、リハスタに行くと人がわんさかいて、なんでこんなに人がいるんだろうと思ったら、〈今日コンペの曲をみんなに聴かせる日だよ〉と言われて……俺はその日を完全に忘れていたんですね(笑)」

一同「ハハハ(笑)!」

松本「そのときは、そんなのどうでも良かったからね。もう音楽で食えてるし、好きなレコードも買えるし、毎日がパーティーみたいな気持ちでいて、すっかり忘れていたんです。そこでマジかよ……と思ったんですけど、〈作ってきたんでしょ?〉と言われたから〈はい、もちろん作ってきました〉と。いよいよヤバイぞと思いながら、すぐトイレに入った。ギターを持っていくと怪しまれちゃうから、個室の中で頭抱えて考えて。俺はその場さえやりすごせたら良かったから、鼻歌で適当に歌いながら〈ハートの奥に降る雨 抱いて僕らは旅に出る 涙のち三ツ矢サイダー〉と考えて」

一同「ハハハハ(笑)!」

松本「それをレコード会社の人に聴かせたら〈良い感じだね!〉となったんですよ。でも俺はトイレでギターも持たずに5分で作った曲が、コンペなんかに通るわけがないと思っていたし、そんなことがあったのも忘れていたんだけど、そのあとに電話がかかってきて〈コンペで受かったぞ〉と(笑)。そこでシングルも出すと。でも15秒尺しかないし、なにしろ気持ちも入ってないから、これどうするよ……と、とにかく大急ぎで作ったんですよ。だから制作したときは、いっさい思い入れがなくて」

福富「いやー、衝撃的なエピソードですよ。それでも好きな曲だということに変わりはないけど」

2006年作『TUTTI』収録曲“STAND BY ME”
 

松本「いまはもう別の思い入れができているけど、そのときは詐欺師の気持ちだよね(笑)。たまにファンの人から手紙をもらうこともあるんですよ。〈昔の作品を否定しないでください〉って(笑)。そう言われても、まあ知らねえよって思うし、自分の作ったものだから自分がいちばんわかってるじゃないですか。まあいろいろありますよね。この曲嫌いだな、もうやりたくないなとか。嫌いな曲は100曲くらいありますよ(笑)」

一同「そんなに(笑)!」

福富「例えばどのあたりの曲になるんですか?」

松本「『おやすみモンスター』以降の曲はそうかもしれないですね。『おやすみモンスター』の曲は好きだからいまもライヴで演奏しているけど、それ以降の『LUCKY STAR』や、ポニーキャニオンから出したアルバムからは全然やってないもんね。“LISTEN TO THE STEREO!!”くらいじゃないかな。いまも、まだそのあたりの時期は冷静に振り返ることができないんですよ。辛い思い出しかないから」

――その一方で、いまのGUGは〈全肯定〉という言葉がキーワードになっていると“the band”時のインタヴューでおっしゃっていましたよね。

松本「さっき“アロー”という曲を夏目くんが出してくれましたけど、あの曲を作ったときは金もないし友達もいない。東京に出てきたけど、貧乏でレコードも買えないし、何も持ってない状態だったんですよ。日々の生活を悶々とやりすごしていた。そんなときでも音楽を作れば〈これこそ良いじゃん!〉という感覚になれたんです。街を歩いている嫌いな奴のことも、そういう奴がいてもいいよなと思えた。だから、俺の〈全肯定〉とは、〈みんなオッケーよ!〉という全肯定よりは、もうちょっと〈そういうこともあるもんな〉と、受け入れていく感じに近い。ライヴもそうだと思うんです。踊っている奴もいれば踊ってない奴もいる。後ろの隅っこで壁に寄り添って聴いている奴もいる。だから、みんなが同じダンスを踊らなくたっていいでしょ、という〈全肯定〉なんです」

――なるほど。

松本「俺がバンドをやるスタンスもまったく同じで、他の誰かがどう思うかはどうでも良くて、俺はただこれをやりたい。そうして鳴らされている音楽の魅力をシャムキャッツやHomecomingsに見た。それが『Out Of Blue』という作品の糧にもなっていて」

――そうやって松本さんが作り上げたGOING UNDER GROUNDの音楽を、福富くんたちが聴いて、また新たな刺激を受けているわけですからね。

福富「まさにそうですね。これまで〈アレ?〉と思っていた気持ちも、このアルバムで完全に吹き飛んだし」

松本「嬉しいな。いまの俺は絶倫ですよ」

福富「比喩的な意味ですよね(笑)?」

夏目「ストレートな意味だと、いま言う理由がわかんないでしょ(笑)」

松本「ただのイタイおっさんだよね(笑)。いまは音楽をやっていても、聴いていても最高に楽しいんです。やっとその場所に帰ってこられた。そこに立ち戻るための15年間だったな」