あらゆる楽器には、固有の、多彩な「声」が内在されている。初めてその楽器を手にする人間は、たった一種類の声すら満足に引き出すことができないだろう。しかし、優れたミュージシャンなら、可能な限りの「声」を引き出すことができる。たとえばピアノであれば、優れたピアニストは、打鍵とペダルによって音の強弱や長さを自在に調整し、メロディも、和音も、リズムも奏で、この楽器を生き生きと歌わせることができる。

9月4日の第15回 東京JAZZの夜公演の出演者は、fox capture planケニー・バロン・トリオwithグレッチェン・パーラトミシェル・カミロ×上原ひろみの3組。ケニー・バロン・トリオwithグレッチェン・パーラトは、レギュラーのトリオにヴォーカリストが客演した形だが、ともあれ、この公演では三者三様の「ピアノの声」を堪能した。

(c)15th TOKYO JAZZ FESTIVAL/(c)Hideo Nakajima
 

トップを飾ったfox capture planのピアニスト岸本亮は、83年生まれの日本人。2番手のケニー・バロンは、43年生まれの米国人。世代も国籍も音楽的バックグラウンドも大きく異なれば、当然ながらピアノの演奏スタイルもかなり違う。岸本は、オリジナル曲にレディオヘッドのカヴァーを交え、さらにはディアンジェロの曲から引用したフレーズも織り込みつつ、ピアノから若々しくパワフルな声を響かせた。ときにはピアノをいたぶるかのような強い打鍵やグリッサンドを駆使して、激しい絶叫のような声すらも。

(c)15th TOKYO JAZZ FESTIVAL/(c)Hideo Nakajima
 

対照的にケニーは、熟練したジャズ・ピアニストだけに、滋味あふれるピアノの声によってオーディエンスを魅了した。ケニーのピアノの声は、音量の大小に限らず、ひとつひとつの音に深みがあり、しかも柔らかさと温もりをたたえている。子供の頃に祖父母が優しく歌ってくれた子守歌や彼らの手触りを思い出させてくれるようなピアノの声だ。しかもケニーのオリジナル曲やジャズ・スタンダードなど計3曲に客演したグレッチェン・パーラトは、高級なカシミアで織られたショールのように滑らかで気品を漂わせた歌声で、トリオの演奏と麗しいハーモニーを紡ぎ出した。

(c)15th TOKYO JAZZ FESTIVAL/(c)Hideo Nakajima
 

トリを飾ったのは、ドミニカ共和国出身のミシェル・カミロと日本の上原ひろみによるデュオ。この2人は、それぞれ全身全霊を込めた演奏でピアノから生命力あふれる多彩な声を引き出し、2台のピアノをあたかもオーケストラのように高らかに歌わせた。2人はこれまでも何度か共演したことがあるが、今回は上原の勢いにミシェルが気圧されていると感じたほどスリリングな場面が何度かあった。それほど上原は闊達自在な演奏を繰り広げたわけだが、現在の彼女は、ピアノから威勢のいい声を引き出すばかりではない。初期の頃と比べると、ピアノの声自体がはるかに濃密で、ときには儚げな美しさにあふれた声や、“切ない”という繊細な情感をたたえた声もピアノからこぼれ落としてみせる。

それぞれのオリジナル曲に加えて、デューク・エリントンの曲も披露したこのデュオが、アンコールで演奏したのは上原の代表曲《Place To Be》。2台のピアノから泉のごとく湧き出た清らかな声は、ホール全体に響き渡り、その声に対してオーディエンスは盛大な拍手と歓声で応えた。