(C)Bernhard Musil/DG
 

「眠れるチェンバロ」を現代に甦らせる王子様

 9月に2度目の来日公演を成功させたばかり。1984年テヘラン生まれ、ワシントンDC育ちの彼は英国でその非凡なる才能を開花させ、今や古楽界のみならず現在のシーンを牽引する注目のチェンバリスト。

 「大多数のクラシック・ファンが抱いている、チェンバロという楽器に対する固定概念を打ち破りたい。演奏を終え、聴衆の瞳の中に未知の素晴らしいものに出会った時の輝きをみつけた瞬間が、何よりも嬉しい」

MAHAN ESFAHANI J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲 DG Deutsche Grammophon/ユニバーサル(2016)

 先頃リリースされた新譜CD『J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲』では原曲のリピート指定を省略せず、繰り返しの中に独自の解釈を込めて再現。名門ドイツ・グラモフォン(及びその古楽レーベルであるアルヒーフ)が満を持して36年振りに放ったチェンバロ演奏による全曲盤に相応しい、大きな反響を呼んでいる。

 「意図的に過去の演奏家と違うことがしたいと思っているのではない。学術的な考察も嫌いじゃないけれど、バッハは後世の研究者のためにこの曲を書いたわけではないはず。彼が音楽を通して語りたかったこと、当時の非常にパーソナルな気持ちや心の動きが、意味のある繰り返し構造や装飾音符の中に隠されているのを発見するのが楽しい。それに楽譜から物語やバッハの生涯が見えてくるのと同時に、ひとつひとつの音には演奏者である僕自身の人生も映し出されていると思う。世間ではピアニストの演奏を個人的な感情の発露として捉え、普通に論じたりするくせに、チェンバロで自分を出しても、すぐ格式張ったアカデミックな方向に話をもっていこうとするのが理解できない。一度そのことで『ニューヨーク・タイムズ』の批評家に抗議の手紙を書いたこともあるくらいだよ(笑)」

MAHAN ESFAHANI Time Present and Time Past Archiv Produktion/ユニバーサル(2016)

 一方で、チェンバロ=古楽と思い込む聴衆の概念を壊すのも彼。アルヒーフ新譜の『現在も過去も』では、バロックの繰り返し手法と関連づけてヘンリク・グレツキスティーヴ・ライヒといった現代のミニマル・ミュージックを録音。300年の音楽史を一気に凝縮して見事なまでに聴かせてくれたが、その挑戦はまだ終わらないようだ。

 「19世紀に眠りにつかされたチェンバロは、20世紀に起こった古楽復興運動の中で歴史的楽器として甦ったものの、現代作品としては1980年代を最後にまた途絶えてしまっている。古楽の素晴らしさは認めるけど、古いから必ず価値があるわけではないと思うし、チェンバロにももっと可能性があるはず。ロンドン時代に才能溢れる作曲家にたくさん出会ったので彼らに大いに期待したい。これからもチェンバロに対する無知・無関心と戦い続けるよ。それが僕のライフワークだから」

 知性と華麗なる技巧で「眠れるチェンバロ」を目覚めさせる…彼はまさにチャーミング王子そのものだ。