ジェームズ・ディーンを彷彿とさせるポップ・アイコン、伝説のトランペット奏者の波瀾万丈な人生を、イーサン・ホークが渾身の演技で挑む!

 ブルース・ウェーバーが撮影した『Chris Isaak』(86年)のジャケット写真。クリス・アイザックの憂いを帯びた横顔を捉えたその写真には、50年代のチェット・ベイカーエルヴィス・プレスリーを重ね合わせたイメージが投影されている。ブルースが晩年のチェットを追ったドキュメンタリー『レッツ・ゲスト・ロスト』(88年)の撮影を開始したのは。このジャケット写真の撮影から間もない翌87年1月のことだ。ごく最近では、ジェイミー・アイザックの『Couch Baby』(16年)にチェットの“青い影”を感じることができる。チェットの信奉者を自認しているジェイミーは、94年生まれの英国のダブ・ステップ系シンガー・ソングライターである。

 このようにチェット・ベイカーは、単なるジャズ・ミュージシャンを超えたポップ・アイコンであり続け、常に新しい世代の人々を魅了してきた。ガラス細工のように繊細で脆く、深い孤独の味がするトランペットと歌。だからこそ人々は、半ば宿命的にチェットの音楽に惹かれるのだろう。

 ウェストコースト・ジャズの旗手として人気絶頂だったチェットは、54年5月に名門クラブの「バードランド」で颯爽とニューヨーク・デビューを果たした。しかし、その後彼はどんどんヘロインに溺れ、約1年後に麻薬の売人から暴行を受け、あごを砕かれ、前歯の大半を失った。『ブルーに生まれついて(Born To Be Blue)』は、こんなチェットが地獄から這い上がり、再び「バードランド」で演奏するまでの空白期間にスポットを当てて彼の人生を描いた作品である。ただし、史実に完璧に沿った伝記映画ではなく、ストーリーや逸話は脚色されており、しかも彼を支えた女優とのラヴ・ストーリーが織り交ぜられ、ひとつの重要な軸となっている。

 その一方で、ロバート・バドロー監督はジャズ・ファンだけあって、チェットのレコードを使うのではなく、彼がレバートリーにしていた曲をジャズ・ピアニストのデヴィッド・ブレイドにアレンジさせ、曲によってはあえて拙い演奏を劇中に使用している。チェットはしばらくの間、思い通りに演奏できなかったことを伝えるためだ。加えて、チェット役のイーサン・ホークには、実際に歌わせている。また、本作のカットの中には、チェットのファンには見覚えのあるポートレートやジャケット写真と同じような構図で撮られたものがいくつかあり、こうした演出がリアリティをもたらしている。

 チェット・ベイカーは、1929年にオクラホマ州イェールで生まれた。つまり西海岸ではなく、南部の出身である。両親は、彼が生まれてからすぐに都会に引っ越すのだが、本作ではオクラホマ州の田舎町で暮らし続けていることになっている。

 チェットの父親は、ギタリストとして成功することを目指していたものの、挫折した。だから自分の夢を息子に託したいという想いはあっただろう。しかし、彼はチェットの女性のような歌声を昔から嫌っていた。父親は、白人と男性優位の思想が社会全体を支配していた50年代の米国の、しかももっとも保守的な地域で生まれた白人男性の典型である。だから彼にとってチェットは、一家の恥さらしでしかない。放蕩三昧で、いまだに女々しい声で歌い、しかも2回も離婚したあげく、カラードの恋人を連れて帰ってくるような息子なのだから。

 両親との別れ際、チェットは父親が昔好きだった曲「Born To Be Blue」を録音した自分のレコードを渡すが、彼の思いはまったく伝わらない。この帰郷の場面には、どこまでも広がる麦畑の美しい風景がたびたび映し出される。ただし、それは収穫された麦畑の風景なので、美しいけれど、同時にもの悲しい。チェットの音楽と同じように。

 イーサンが《I've Never Been In Love Before》を歌うシーンが心に深く染みる。父親に愛されなかったチェットは、心の底では愛されることを望んでいたに違いない。ただし、チェット自身はどうかというと、彼は生涯誰も本気では愛せなかったのではないか。おそらく自分自身のことすらも。イーサンのたどたどしくも純朴な歌は、虚空のどこかにあるチェットの傷ついた魂の在りかを探しているかのようだ。