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「狂言の語り」、「パントマイム」、「パフォーマー」による斬新な演出で、運命に操られる男を描く。ジャズからの刺激を受け、新生ストラヴィンスキーの開幕を告げた音楽舞台劇。

 〈魔の楽器〉といえばヴァイオリンと相場が決まっている。もちろん銘器の相場の話ではない。ストラヴィンスキー「兵士の物語」はまさに、ヴァイオリンと引き換えに悪魔に魂を売り渡してしまった男の話だ。

 主人公の兵士が休暇をとって帰郷する途中、小川のほとりで戯れにヴァイオリンを弾いていると、老人(実は悪魔)がやって来て、未来の相場の動きがわかる(つまり金儲けできる)という本と引き換えに、ヴァイオリンを兵士から取り上げてしまう。そして3日間という約束で、兵士は悪魔にヴァイオリンの弾き方を教え、代わりに悪魔からその本の使い方を教わった後、やっと故郷に帰ると、実は……。

 音楽史上最大のセンセーションを巻き起こした“春の祭典”パリ初演から5年、故国のロシア革命で身動きの取れなくなったストラヴィンスキーが、〈旅回りの巡業芝居〉での上演を想定して、1918年にスイスで書いた舞台作品。〈読まれ、演じられ、踊られる〉という副題の通り、〈語り〉、〈音楽〉、〈マイム又はダンス〉という3つの要素によって構成される。しかし演出により、この三者の要素はかなり変化を見せる。ストラヴィンスキー自身、この作品の舞台設定や衣装などは、上演の機会に合わせて変えるべきだと考えていた。実際この作品は近年だけでも、バレエのアダム・クーパー、デーモン閣下、腹話術のいっこく堂、近藤良平……など、実に多様な上演が試みられている。この作品の持つ、テクストの寓話性、音楽の簡潔さ、マイムの即興性、それらの自由な空間がこうした多様な取り組みを喚び起こすのであろう。

 今回も実に異色の取り合わせだ。〈語り手〉を狂言の安東伸元、〈兵士〉をパントマイムのKAMIYAMA、そして〈悪魔〉をパフォーマーのウヴェ・ワルターら。全編で活躍することになるヴァイオリンには荒井英治。なんと演出はコントラバスのトップ・プレイヤーである黒木岩寿。KAMIYAMAの大道芸的パントマイムは、この巡業芝居的な性格にまさに打ってつけといって良い。東京文化会館 小ホールの額縁的ではないステージも魅力的だ。

 さて音楽だが、これを下座音楽と侮ってはならない。次々に作風を変化させたストラヴィンスキーの初期の荒々しい原始主義の時代から、その後の新古典主義的スタイルへの移行を決定づける作品であり、「ストラヴィンスキー作品の真の中心に位置する」(アドルノ)とさえ言われる重要作品なのだ。編成はヴァイオリンの他、コントラバス、クラリネット、ファゴット、トランペット、トロンボーンとパーカッションの7名。経費的な事情から、このような簡素な編成になったとされるが、〈3大バレエ〉作品に見られるようなリムスキー=コルサコフ仕込みの絢爛たるオーケストレーションから、新古典主義的書法に移るためには、一度あの巨体を屈めて、このようなコンパクトな編成から再出発する必要があったのではないだろうか。

 全編は硬質な躍動感に溢れ、〈タンゴ〉、〈ラグタイム〉と題された部分など、特に親しみやすいのだが、これは当時のジャズの一種のフェイクだ。思わせぶりな身振りで、重くなったり軽くなったりするカバンや、ありもしない透明なガラスを現出させるパントマイムように、そう見えるだけ。新古典主義~新即物主義特有のきびきびとした運動性と、翻弄される運命にのたうつような旋律に乗せて舞台は進行する。悪魔の踊りは音楽同様、まるで腕や脚の関節がもう一つ必要だというように、どこかぎくしゃくしている。

 ストーリーは「ファウスト」と「浦島太郎」を合わせたような寓話的物語なのだが、見ようによっては、ストラヴィンスキー自身の生涯を予言しているようではないか。故郷を逃れた都会で、時代を先取りした音楽によって華やかな成功を遂げ、禁じられた帰郷を一度だけ果たして亡くなってしまう……。

 もしかすると、この作品こそ、未来が書き込まれた悪魔の書なのかもしれない。

 


STAGE INFORMATION
舞台芸術創造事業 ストラヴィンスキー「兵士の物語」
2017年3月18日(土)東京・上野 東京文化会館 小ホール
開場/開演:14:30/15:00
原作:シャルル・フェルディナン・ラミューズ
演出:黒木岩寿

■出演
語り手:安東伸元(狂言方能楽師)
兵士の声:井上放雲(狂言方能楽師)
兵士:KAMIYAMA(パントマイム)
悪魔:ウヴェ・ワルター(パフォーマー)
ヴァイオリン:荒井英治
コントラバス:黒木岩寿
クラリネット:生方正好
ファゴット:吉田將
トランペット:長谷川智之
トロンボーン:倉田寛
打楽器:高野和彦

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