マーヴィン、スティーヴィー、テディ、ルーサー、マイケル……ソウル・ミュージックの文脈でこれらのファースト・ネームが出てきたら、その後に続く名前(セカンド・ネーム)は決まっている。では、グレンときたら……答えはジョーンズ。それほどの人なのだ。80年代を代表する、いや、年代で括る必要もないほど普遍的なスタイルで永遠にロマンスを歌い続ける男。スケールの大きいダイナミックで開放的なヴォーカルでグイグイと歌い込む姿は、ピーボ・ブライソンジェフリー・オズボーンと同じくらいに眩しく映った。〈歌えるシンガー〉という、よく考えれば陳腐な、しかし、そう言い表すしかないほどの圧倒的な歌ぢからで一流のポジションを勝ち取ったグレンは、真に〈天才〉と呼べるR&Bシンガーである。

 62年にフロリダ州ジャクソンヴィルで生まれたグレンがゴスペルをバックグラウンドに持つシンガーであることは、類稀なヴォーカリゼーションに触れれば想像がつくだろう。サヴォイから2枚のアルバムを放ったゴスペル・グループのモデュレーションズに在籍していた時も、10代後半だった彼の声は際立っていた。やがてノーマン・コナーズの作品に起用されたグレンは、ジーン・カーンの“Sweet And Wonderful”(81年)でデュエット相手も務め、世俗のシンガーに転向。83年にソロ契約したRCAでは1枚のEPと2枚のフル・アルバムを発表し、なかでもララの提供した“Show Me”(84年)はR&Bチャートの3位を記録している。同じ頃にはディオンヌ・ワーウィックの“Finder Of Lost Loves”(85年)にも客演。が、抜群の相性を示したのはサヴォイ時代からの付き合いだったジェノビア・ジーターだった。“Together”(86年)で共演したふたりは、その内容通りに私生活でも結ばれ、以降もグレンの作品で夫唱婦随のデュエットを披露していく。

【参考動画】ジェノビア・ジーターの86年作『GENOBIA』収録の
グレン・ジョーンズとのデュエット曲“Together”

 

 ロマンスな気分はジャイヴ移籍後も続き、87年のセルフ・タイトル作から誕生したハッシュ・スタイルのスロウ“We've Only Just Begun(The Romance Is Not Over)”はR&Bチャート2位に輝いたうえ、結婚式の定番ソングにもなったという。続く『All For You』(90年)ではテディ・ライリーとも顔合わせ。そこからは後にUKのエターナルにカヴァーされ、彼女たちの全米進出にも一役買う“Stay”(86年のヒットとは同名異曲)が話題を呼んだ。さらにアトランティック移籍後はセルフ・プロデュースの割合を増やし、己の道を邁進。同社からの第1弾シングル“Here I Go Again”(92年)はギタリストでもあったグレンのセンスが活きたエレガントなバラードで、流行の逆を行くこのシンプルな曲が初めてR&Bチャート1位を獲得したことは、彼を勇気づけたことだろう。それでもヒップホップ・ソウルの台頭は80年代的な正統派シンガーたちの行く先を阻み、グレンも『Here I Am』(94年)を最後にコマーシャルなシーンの第一線からは離れることとなった。

【参考動画】グレン・ジョーンズの92年作『Here I Go Again』収録曲“Here I Go Again”

 

 だが、もとより流行におもねらない彼のことだ。デイヴ・ホリスターも参加したサーからの『It's Time』(98年)以降、2000年代に出したピークからのアルバムや“Here I Go Again”のリメイクを含むシャナキーからのソウル・カヴァー集でも堂々としたヴォーカルを披露。近年もボブ・ボールドウィンキム・ウォーターズの作品で熱演するなど、スムース・ジャズと手を繋ぎながらR&Bシンガーとしてソウルを貫き通す姿には清々しささえ覚えるのだ。

【参考動画】キム・ウォーターズの2013年作『My Loves』収録の
グレン・ジョーンズを迎えた楽曲“I Wanna Love You”

 

▼関連作品

左から、グレン・ジョーンズの2002年作『Feels Good』(Peak/Concord)、キム・ウォーターズの2013年作『My Loves』(Red River)
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【DISC GUIDE】

初期のグレン・ジョーンズの作品や関連盤
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