INTERVIEW

エリカ・バドゥが寵愛するRC&ザ・グリッツ、ダラス・シーンの最先端サウンドとクリス・デイヴら交えた相関図を紐解く

エリカ・バドゥが寵愛するRC&ザ・グリッツ、ダラス・シーンの最先端サウンドとクリス・デイヴら交えた相関図を紐解く

ソウル、ファンク、ヒップホップ、ジャズを均等に混ぜ合わせたような漆黒のサウンドで注目を集めるUSの現在進行形ブラック・ミュージック・バンド、RC&ザ・グリッツ。テキサス州ダラスを活動拠点とする彼らは鍵盤奏者のRCウィリアムズを中心として2004年に結成され、2013年にエリカ・バドゥスヌープ・ドッグらが参加した初作『Play Your Tab』、2016年にクリス・デイヴらが参加した2作目『The Feel』を発表している。NBAのダラス・マーベリックスからオフィシャル・バンドに抜擢されるなど、地元の信頼も厚い。そんな彼らがこのたびローパドープ発となる2016年の最新作『The Feel』の国内仕様盤リリースのタイミングで来日、2月23日(木)・24日(金)にブルーノート東京で公演を行う。

メンバーはRCウィリアムズを筆頭に、ドラムスのクレオン・エドワーズ、パーカッションのタロン・ロケット、ベースのブレイロン“ブラザー・B”レイシー、MPC担当のジャー・ボーン、紅一点のヴォーカリストであるクラウディア・メルトン、サックスのエヴァン・ナイトの7名(来日メンバーは若干異なる)。RC&ザ・グリッツとしての単独来日は今回が初となるが、実はエリカ・バドゥのツアー・バンドであるカンナビノイズのミュージカル・ディレクターをRCウィリアムズが務めており、彼を含むメンバー数名は2014年に千葉・幕張海浜公園で行われた〈StarFes.'14〉でのエリカのステージをサンダーキャットらと共にサポートしていた。今回はそんなRCウィリアムズに、ゴスペルのルーツからバンド結成の経緯や音楽性、ダラスにおけるミュージシャン同士の繋がりなどを訊いてみた。カーク・フランクリンとの仕事について触れながら、エリカを中心とするダラスのソウル・シーンを解き明かすような貴重な発言が満載。これらを頭に叩き込んでおけば来日公演も10倍楽しくなるはずだ。

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ゴスペルのルーツと〈南部版ソウルクエリアンズ〉の交流

――まず結成のきっかけやバンドのコンセプトについて、グリッツ(US南部で主に朝食に出されるトウモロコシをお粥状にしたもの)という名前を付けた理由も含めて教えてください。

「2004年にバンドを始めた当初はまだ僕とブレイロン(・レイシー)、スナーキー・パピーゴースト・ノートでお馴染みのロバート“スパット”シーライト(以下:スパット)の3人だったんだ。当時はそれぞれがエリカ・バドゥなんかとツアーをしたりしていたんだけど、みんな街に戻っているタイミングでジャズ・クラブなどで演奏して、少しでも稼げるようにと思って始めたんだ。そこから頻繁に演奏するようになって、ヴォーカリストがいたほうがいいな……となった時、北テキサス大学に通っていた頃にブレイロンの紹介で知り合った同期のクラウディア(・メルトン)に声を掛けた。その時はまだちゃんとしたバンドの名前はなくて、〈RCと愉快な仲間たち〉みたいな感じだったんだけど、しっかりバンド名を付けてブランディングすることになって、クラウディアの〈GritsのsをzにしたGritzはどう?〉という提案から名前が決まったんだ」

――最終的にどうやって現在のメンバーに落ち着いたのでしょう?

「当初の3人にクラウディアが加わって4人になったんだけど、途中からスパットがスナーキー・パピーや他のツアーで忙しくなって、ダラス出身の若手だったクレオン(・エドワーズ)を代役として立ててきたんだ。その後は毎週水曜日に僕が主催しているジャム・セッションで頻繁に演奏するようになって、スパットがグリッツに参加できない時はクレオンに来てもらった。当時はまだクレオンがエリカ・バドゥと仕事をする前で、クリス・デイヴがエリカのレギュラー・ドラマーだった頃だね。それからタロン・ロケットも学校を卒業して街に戻ってきて、ジャム・セッションに顔を出すようになったから、ドラマーとしてだけでなくパーカッショニストとして演奏するのはどう?と提案して、時には(クレオンとの)ツイン・ドラムのスタイルを取るようになっていったんだ。その後にジャー・ボーンが加入して、サックスのエヴァン(・ナイト)もNYからダラスに引っ越してきたばかりの頃にジャム・セッションに参加してくれたのもあって、バンドに入ってもらったんだよ」

2015年のライヴ映像
 

――あなたは教会で楽器に触れ、エリカ・バドゥやロイ・ハーグローヴらが通っていた地元ダラスのブッカー・T・ワシントン高校でジャズを専攻していたと聞いています。ノラ・ジョーンズや、スナーキー・パピーでも活躍するショーン・マーティンとは同じ時期に通っていたそうですね。

「そうだね。父がベーシストで母がヴォーカリスト、兄妹もギタリストやヴォーカリストで、従兄弟はドラムやオルガンを演奏したりと、本当に大きなクリスチャンの音楽一家のなかで育ったんだ。僕は最初ドラムをやっていたんだけど、オルガンを担当していた姉が結婚して、旦那さんが通っている別の教会に行くようになったから鍵盤奏者が必要になって、母の勧めで弾くようになった。親友のショーン・マーティンはすでにピアノをバリバリに弾けていたから、彼に教えてもらいながらドラムと並行して教会でピアノを弾きはじめたよ」

RC&ザ・グリッツとショーン・マーティンの共演ライヴ映像(クラウディアの右隣にいるのがショーン)
 

「その後、アーツ・マグネット(ブッカー・T・ワシントン高校の愛称)にドラムのオーディションをパスして入ったんだけど、2学期目からはピアノをメインに勉強するようになったんだ。学校ではピアノやシンセの授業が必修で、シンセのクラスではビートを作ったりなんかもした。周りは本当に素晴らしく才能のある人ばかりがいて、スパットやショーン・マーティンにマイロン・バトラー、それにノラ・ジョーンズもいたよ。ノラは僕より2つ年下だったけど、ピアノ専攻なのに学内でやるミュージカルのオーディションで歌ったのを聴いて、一発でみんなが〈スゲェ!〉となっちゃって。あまりにもハイレヴェルな人たちの集まりだから夜10時頃まで学校で練習や勉強をして、みんなに追いつくために必死だったね。それから僕やショーン、スパットは北テキサス大学へ行って、そこにノラも入学してきた。ある日、彼女が〈NYに引っ越そうかと思うの〉と相談してきたから、僕らみんなで〈絶対にすぐ行くべきだよ〉と背中を押したのを覚えているよ。その後の話は知ってるよね(笑)」

※74年生まれのゴスペル系シンガー・ソングライター

――ゴスペルから受けた影響について、もう少し詳しく話してもらえますか?

「父がバプテスト系のクリスチャンで、母はChurch Of God In Christ(以下:COGIC)系のクリスチャンだった。(ポピュラー音楽との親和性が高い)COGICで従兄弟や叔父などの見よう見真似で楽器を始めて、楽譜なんかも使わずに耳だけを頼りに演奏していたから、そこでさまざまな音楽の状況に合わせる力を付けられたかな。そんな感じで自由にリフを作っていたりしたんだけど、父の教会ではゴスペル・クァルテットがベースだったから、音楽はカッチリしていてブルース的というか……言葉にしづらいんだけど、そこでポケット(≒グルーヴ)を身に付けた感じだね。だから両サイドの影響を受けることができたんだ。小さい頃は親や姉たちが家でかけていたコミッションドワイナンズトーマス・ウィットフィールドなんかをよく聴いていたよ。ショーンやスパットと出会ったのも教会の音楽がきっかけだったしね」

――あなたはそのショーンやスパットと共にカーク・フランクリン肝煎りのゴッズ・プロパティのアルバム『God's Property From Kirk Franklin's Nu Nation』(97年)にオルガン/キーボード奏者として参加していましたが、これもテキサスの地元繋がりでしょうか?

「それは19~21歳の若さで参加したプロジェクトだった。アーツ・マグネットで僕の先輩だったスパットは、お母さんがゴッズ・プロパティの前身にあたるゴスペル・クワイアのリーダーで、彼女がゴッズ・プロパティというグループ名に変えたんだ。メンバーはアーツ・マグネットで音楽を勉強していた連中によって結成されていて、当時地元では教会でアース・ウィンド&ファイアのような演奏をするゴスペル・グループが他にいなかったから、教会はショックを受けていたよ、良い意味でね。スパットは音楽的に天才で、ミュージカルや教会でPファンク的な演奏をすると他のクワイアの間で徐々に話題になっていったんだ。そしたらある日、カーク・フランクリンが僕たちの演奏を聴いて気に入ってくれて、スパットのお母さんがカークとレコーディングの話を詰めたりして関係が始まったんだ。カークは本当に良い人で、面倒見の良い先輩といった感じだった。彼と共に世界中をツアーで回り、ゴッズ・プロパティとしてのアルバムも400万枚のセールスを達成したし、僕にとってグラミー賞を獲った初めてのプロジェクトだったよ。カークとはエリカ・バドゥの演奏を始める2000年頃まで一緒にやってたかな」

ゴッズ・プロパティの97年作『God’s Property From Kirk Franklin’s Nu Nation』収録曲“Stomp”
 

――そのエリカ・バドゥもアーツ・マグネットの出身で、彼女の作品では『Mama's Gun』(2000年)から演奏に関わり、以降もプロデュースのほか、ツアー・バンドでミュージカル・ディレクターを務めるなど密に交流を図っていますが、エリカとの仕事はどの程度あなたの音楽に影響を及ぼしていますか?

「エリカは母校へ恩返しするということでアーツ・マグネットまで演奏しに来たことがあって、その時に初めて彼女に会ったんだ。“On & On”(エリカの97年作『Baduizm』収録曲)を一緒に演奏してくれたりしたよ。仕事としては、もともとショーンがカークとエリカの仕事を掛け持ちしていて、エリカが2000年の〈ニューオーリンズ・ジャズ&ヘリテッジ・フェスティヴァル〉に出る際にショーンが僕を代役に立ててくれたことがきっかけなんだ。1日で曲をすべて覚えないといけなかったから凄く大変だったけど、ロイ・エアーズスティングも出演していたから良い思い出だよ(笑)」

RCウィリアムズ、クリス・デイヴ、サンダーキャットが参加したエリカ・バドゥ“On & On”の2011年のライヴ映像
 

「最初に声を掛けられたのは確かに『Mama's Gun』で、“Time's A Wastin”なんかに参加している。『Worldwide Underground』(2003年)ではフリークエンシーとして、エリカやジェイムズ・ポイザーラシャッド・スミスらとプロデューサーとしても関わって、グラミー賞にもノミネートされた。『New Amerykah Part Two (Return Of The Ankh)』(2010年)でもいろんな曲やインタールードで参加しているよ。最新作『But You Caint Use My Phone』(2015年)ではメインのプロデューサーがマイメンのザック・ウィットネスなんだけど、自分が演奏した曲はアンドレ3000が客演した“Hello”だったね。エリカのミュージカル・ディレクターとなったのは2006年か2007年頃。ライヴでは彼女の仕草ひとつひとつから彼女が次にどう進みたいのかを汲み取ったりして、セットリストはあるけど、音楽がエリカを連れて行く方向によって進み方が変わるから、本当に毎回内容が違うんだ。エリカはバレエの経験からそれをステージで見せたり、演劇っぽいことをしてみたり、自身を晒け出してオーディエンスとエンターテイメントを作り上げているんだ。そうした彼女のステージ上での振る舞いやバンドへの指示の仕方を見て、いろいろ勉強しているよ」

エリカ・バドゥの2000年作『Mama's Gun』収録曲“Time's A Wastin”
 

――エリカ・バドゥに関わったダラス周辺のミュージシャンといえば、同じくアーツ・マグネットで学んでいたロイ・ハーグローヴやジーノ・ヤングエンダンビなどがいますし、エンダンビも手掛けるマドゥク・チンワーが制作に関与していたエリカの『Baduizm』(97年)では“On & On”にグリッツのジャー・ボーンが関わっていました。あなたが参加していたキャンプ・ウィズダムというミュージック・コレクティヴを以前私は〈南部版のソウルクエリアンズ〉と評したことがあるのですが、やはりみんな繋がっているのでしょうか?

「エリカの傘下みたいな感じで、みんな同じダラスという樹から出来ているようなものだよ。キャンプ・ウィズダムは大所帯のバンドで、エンダンビやジーノ・ヤング、カーメン・ロジャース、マドゥク・チンワー、ジーノ・アイグルハート、それにスパットやショーンに僕など、ダラスのオーククリフという地域に縁のある人たちが参加しているんだ」

――ロイ・ハーグローヴのRHファクター、それにRHファクターにキーボードで参加しているボビー・スパークスもゴッズ・プロパティにいたので彼とも繋がっていますよね?

「ロイ・ハーグローヴとも彼がアーツ・マグネットの生徒のために演奏しに来た時に初めて会って、そこから国内外のツアーで一緒に演奏したりと仲良くさせてもらっているんだ。RHファクターではボビー・スパークス、それにドラマーのJT(ジェイソン・トーマス)は尊敬する兄貴分みたいな存在だよ。ボビーとはカーク・フランクリンとの仕事で知り合って尊敬していた。いまは大御所プロデューサーになったJ・ロックことジェローム・ハーモンとも、彼がカーク・フランクリンのキーボーディストとして仕事をしていたことで知り合ったんだ。みんなゴスペルから始めて、いまはそれぞれいい音楽を作っているダラス/フォート・ワース・エリアの仲間たちだよ」

ロイ・ハーグローヴ・クィンテットは2月28日(火)~3月3日(金)、ボビー・スパークスとジェイソン・トーマスはスナーキー・パピーの一員として4月16日(日)~18日(火)にそれぞれブルーノート東京で来日公演を行う(詳細はこちら

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