COLUMN

ホールもまた〈楽器〉―音響設計の巨匠、豊田泰久が手掛けた最新作はハンブルグのエルプフィルハーモニー

  • Share on Tumblr
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • 2017.04.03
ホールもまた〈楽器〉―音響設計の巨匠、豊田泰久が手掛けた最新作はハンブルグのエルプフィルハーモニー

音響設計の巨匠、豊田泰久氏 ~最新作はハンブルクのエルプフィルハーモニー

 ホールもまた、「楽器」である。どんなに素晴らしいソリスト、オーケストラが懸命に演奏しても、まったく響かなかったり、あるいは響き過ぎて分離の明瞭度を欠いたり、舞台と客席の一体感が乏しかったり…と、音響に問題を抱えるホールは多い。アメの包装を解く際に生じるノイズ、携帯電話やバッグ、財布につけた鈴? の音など、本人はこっそり取り計らっているつもりでも、意外なほど広範囲の聴衆からにらみつけられるのは、客席を含めたホールの空間全体が1個の楽器として機能しているからである。音響家(アクースティシャン)は建築家と綿密に打ち合わせながら、原寸の10分の1とかの模型やコンピュータ・シミュレーションなどを使ってホール内の響を整えていくプロフェッショナルだ。

 ある世界的ピアニストは専属の調律師(ピアノチューナー)とつねに行動をともにし、公演会場に入ると2人して、音響を徹底的にチェックする。何をどう工夫しても響きが改善されなかった場合、どんな大都市の有名ホールであっても、2度と訪れないことで知られている。ある日、ピアニストは私に対し、こんなことを漏らした。「舞台下の空間は弦楽器の胴体と同じで、空洞以外にありえない。あのホール、最初から全然響かないと思っていたら何と、独自の音響理論に基づき、せっかくの空間にコンクリートを充填していると聞かされ、仰天した。本番中もずうっと気持ちが悪く『もう、ここへは絶対に来ない』と決めた」。自他ともに厳しいことで知られるヴィルトゥオーゾなりの見識だが、この人が音の問題に関し、全幅の信頼を寄せる音響家が世界に1人だけいる。

 豊田泰久氏。永田音響設計に所属し、ロサンゼルスとパリの事務所を切り盛りする。1952年(昭和27年)、広島県福山市の生まれで父は尺八、母は琴を趣味にしていたが、息子は高校生時代からオーボエを吹いた。72年、音響設計他3つのヴィジュアルデザイン系の学科計4学科しかないユニークな国立大学として発足したばかりの九州芸術工科大学(現在は九州大学と合併)に入って音響を専門に学びながら、大学のオーケストラでもオーボエを続けた。77年に永田穂氏が設立した事務所へ就職し、86年完成のサントリーホールの音響設計の主担当者を勤めたころから、徐々に頭角を現した。同ホールの開場時点から演奏を続け、音響を極めて高く評価、テクノロジーへの興味も並外れて強いポーランドの名ピアニスト、クリスティアン・ツィメルマンは自ら豊田氏を探し当て、コンタクトをとってきた。

 

豊田氏を中心に世界に広がる「友だちの輪」

 2014年3月末で32年間の生放送に終止符を打ったタモリの名番組「森田一義アワー 笑っていいとも!」(フジ系列)の中に、「テレホンショッキング」というコーナーがあったのを、ご記憶だろうか? トークゲストの著名人が次のゲストを指名してその自宅や仕事先に電話をかけ、翌日の出演を承諾させる際に「いいとも!」のフレーズが飛び交い、「友だちの輪」を広げていった。ツィメルマンからの電話はまさに、豊田氏が全世界にアーティストの「友だちの輪」をつくり、日本はもとよりヨーロッパ、アメリカ、アジア、中近東など、おびただしい数の都市でホール、劇場の音響設計にかかわる人生への扉を開いたのだった。豊田氏と話していると、しばしば国際電話が入る。相手は指揮者のワレリー・ゲルギエフ、マリス・ヤンソンス、ズービン・メータ、サイモン・ラトルや建築家のフランク・ゲイリー、磯崎新ら、キラ星のような顔ぶれである。ロサンゼ ルスのウォルト・ディズニー・コンサートホールオー プン直後に、初めてラトルとベルリン・ フィルが来た時だった。豊田氏のアメリカ就労ビザが失効寸前となったにもかかわらず、なかなか更新されず困っていたら、ゲイリーがロサンゼルス郡のスーパーバイザー(日本の県知事に相当)に電話を入れ、事なきを得たという。

 2016年秋に来日したヤンソンスは、主席指揮者を務めるバイエルン放送交響楽団にとって悲願だった新しい本拠地(フランチャイズ)のホール建設を最優先するため、ラトル退任後のベルリン・フィルハーモニー芸術監督のポストを辞退したと明かした。「初めて日本を訪れた40年前から、各地のホールの素晴らしさに魅了されてきた」と語るマエストロは「中でも理想的なホール」としてサントリーホール、愛知県芸術劇場コンサートホール、札幌コンサートホールKitara、ミューザ川崎シンフォニーホールの4ヶ所を挙げた。愛知県芸術劇場コンサートホールを除く3カ所は、豊田氏の「作品」である。これに対しゲルギエフはパシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)の芸術監督をたびたび務めてきた縁、「サンクトペテルブルクに気候が似ている」との理由で、Kitaraを日本のベストと考える。

写真提供:サントリーホール

写真提供:札幌コンサートホール

写真提供:ミューザ川崎シンフォニーホール

 

発想の基本はあくまで音楽とことんアナログの感性を大切に

 最近は音響設計におけるコンピュータの性能が一段と上がり、「医者にすれば、サントリーホールのころはレントゲンだったのが、CT、さらにMRIと日増しに検査精度を高めてきた感じ」(豊田氏)だが、豊田氏の発想の基本はあくまで音楽、とことんアナログの感性を大切にする。たとえば、1997年に完成したKitara。「1960年代末に札幌交響楽団の指揮者に招かれたペーター・シュヴァルツが達成した奇跡のバランス、フランスのリヨン国立管弦楽団から75年に帰国移籍したトランペットの杉木峯夫が与えた音の輝きなど、自分の記憶にある札響の素晴らしい演奏の再現を念頭に設計した」と明かす。

 ロサンゼルスではウォルト・ディズニーの夫人が用地を市に寄贈、ロサンゼルス・フィルハーモニックの新しいフランチャイズとなるホールの建設が決まりはしたものの、財政難や度重なる計画の変更で長く、地下駐車場だけの状態が続いていた。今は亡き伝説のオーケストラマネージャー、アーネスト・フライシュマンは1992年、首席指揮者エサ・ペッカ・サロネンの獲得に成功し、楽団に新たな活気が生まれたタイミングをとらえてホール実現のアクセルを踏み、ゲイリーに設計を依頼する一方、ツィメルマンから話を聞いていた豊田氏に音響設計で白羽の矢を立てた。2003年のホール完成と前後して、今度はゲルギエフが接近してきた。06年11月に完成する予定のペテルブルクのマリンスキー劇場併設の新しいコンサートホールの音響設計を頼むのが第一の目的だった。開場記念公演にはロシアのプーチン大統領も訪れ、ご満悦だったという。

 

北ドイツ放送エルプフィルハーモニー管弦楽団の新たな本拠地も1月にオープン!

 快進撃は続く。11年8月末はフィンランドの首都に新設された「ヘルシンキ音楽センター」。国民的建築家アルヴァ・アールトの代表作の1つでありながら、音響的にはデッドでイマイチだったフィンランディア・ターロ(ホール)に代わるヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団の新たな本拠である。13年5月はイスラエル。イスラエル・フィルハーモニックの本拠であるテルアビブのマン・オーディトリアムは1950年代の建物。音楽監督のメータによれば「乾いた音響だった」。そこで「豊田さんに『何とかしてほしい』とお願いした」。メータはもちろん、全面改修の結果に「満足している」。

Philharmonie de Paris, Paris

 同じ時期には弦の名器を制作したアントニオ・ストラディヴァリらが活躍したイタリア北部の街、クレモナに完成したヴァイオリン博物館と併設のホール(450席)も完成した。14年9月は中国の上海。1879年に発足したアジア最古のオーケストラ、上海交響楽団の新たな本拠地が開場。磯崎新氏が設計し、豊田氏が音響を担当した。翌月はいよいよ「世界の豊田」の仕掛け人ツィメルマンの母国、カトヴィツェにポーランド国立放送ホールが誕生。さらに11月にかけてはパリでルイ・ヴィトン財団美術館オーディトリアム、フランス国立放送局(ラジオ・フランス)オーディトリアム、翌年にはパリ管弦楽団の新しい本拠「フィルハーモニー・ド・パリ」を矢継ぎ早に完成させている。

Elbephilharmonie, Hamburg 完成内観図提供:Herzog & de Meuron

 最新作はドイツ北部の大都市、ハンブルクで今年1月にオープンした「エルプフィルハーモニー・ハンブルク」である。北ドイツ放送交響楽団の新たな本拠。完成に先立ち、楽団名も北ドイツ放送エルプフィルハーモニー管弦楽団に改称した。港町を象徴する赤レンガ倉庫の上に26階建てのガラス張りの建物を建て、12~23階の空間をホールに充てた。大ホールは2100席で、舞台を客席が360度囲むワインヤード型を採用。1月11日の記念演奏会にはガウク大統領、メルケル首相もそろって出席するなど、ドイツ全体の注目を集めた。続いて3月、首都ベルリンでは州立歌劇場終身音楽総監督のダニエル・バレンボイムが豊田氏に依頼した新しいコンサートホールの完成が控えている。

 明治維新の文明開化で西洋音楽を本格的に導入する際、日本政府は主にドイツ語圏から指導者を招いた。150年近く経った今、「世界一のコンサートホール大国」(ヤンソンス)を実現した音響マエストロがドイツから招かれ、21世紀の演奏会場建設に大きな力を発揮する。日本人がクラシック音楽から授かった僥倖の恩返し。その先頭に、豊田氏は立っている。

 


豊田泰久(Yasuhisa Toyota)[1952-]
音響設計家。広島県福山市生まれ。広島大学附属福山高等学校卒業後、1972年に九州芸術工科大学音響設計学科に入学し、コンサートホールの音響設計技術を学ぶ。1977年、永田音響設計入社。同社ロサンゼルス事務所とパリ事務所の代表を務めている。

 


寄稿者プロフィール
池田卓夫(Takuo Ikeda)

1958年東京生まれ。81年に早稲田大学政治経済学部を卒業し、全国紙の記者となる。88 ~ 92年、フランクフルト支局長だった時期に「ベルリンの壁」崩壊からドイツ統一、旧 ソ連解体までを現地から報道した。音楽の執筆は高校生で始め、86年から「音楽の友」誌、95年から「musée(現intxicate)」に寄稿してきた。

関連アーティスト