Photo by K.Abe

 1917年10月10日、これはジャズ・ピアニスト、セロニアス・モンクの生年月日である。しかし、この生年月日はモンクの死後修正された日付で、修正前の生年月日は1920年10月10日だった。ジャズ歴史家の努力によってなのか、遺族の発見なのかあるいは公的機関のなせる技なのか経緯はわからない。が、この修正がなければ2020年東京オリンピック・パラリンピックが終わった秋のジャズ喫茶で、モンク・レコード鑑賞会がお店を賑わしていたかもしれない。

 このモンクの生まれた年は、ジャズが初めてレコーディングされた年でもある(1917年2月26日、ひょっとして本号を読者が手にとっている瞬間が、ジャズ録音100周年、その日だったりするかもしれない)。白人デキシー・ランド・ジャズ・バンドの演奏を記録した初のジャズレコードは大ヒットとなるが、黒人による演奏が次々にレコーディングされるようになって、この白人バンドへの大衆の関心は薄れて、やがてバンドは廃業を余儀無くされてしまう。しかしジャズが記録されて、ラジオとともに、メディアによる全米各地への本格的なディストリビューションが開始されるようになって、ジャズはアメリカ人の一般家庭にまで忍び込み、チャーリー・パーカーやマイルス・デイヴィスといったアーティストの誕生と、音楽を消費するという新たな習慣によってジャズのモダン形成を加速度的に促した。セロニアス・モンクは、まさにジャズのモダンを“ビバップ”というエクリチュールに仕上げたジャズ・アーティストの一人だ。

JOHN BEASLEY Presents MONK'estra, Vol. 1 Mack Avenue/キング(2017)

 今年生誕100周年を迎えるモンクは64歳('82年)で亡くなっている。残念ながら死ぬまでの7年間全くピアノを演奏しなかったというから、実際には57歳でモンクの音楽は終わっていた。とても短いジャズライフだったが、70に上る楽曲を残している。彼自身はその影響を否定し続けた師匠デューク・エリントンの作品数に比べれば随分と少ないと感じるが、エリントンの長寿と彼がジャズのためだけに作曲をしていたわけではないこと、しかもモンクのビバップ誕生に捧げられたかのような楽曲の様式と形式の美観を見るとき、そのレパートリーの充実ぶりには目をみはらされるし、40枚近いリーダー・アルバムにオリジナルの実演を残したことを考えると短いながらとても充実したジャズライフだったと言えるだろう。

 僕がモンクを初めて見聞きしたのは、映画『真夏の夜のジャズ』(1960)だった。写真家バート・スターンとキース・ジャレットやマイルスの初期アルバムを担当していた音楽プロデューサー、ジョージ・アヴァキアンの制作によるニューポート・ジャズ・フェスティヴァルのドキュメントで、その初めの方にトリオで自作《Blue Monk》を演奏するモンクが登場する。サングラスをかけて、黒いスーツを着たその演奏の具合は、ゴツゴツとした妙なピアノの音にもかかわらず、スタイリッシュにジャズを見せていた。結局、生モンクを見ることは一度も叶わなかったが、その映像は、エキセントリックだということがこんなにもクールなことなんだということを瞬時に脳裏に焼き付けてしまった。そしてこれこそがジャズなんだという僕の誤解が、ここから始まった。

 映像にみるモンクだけでなく、ビバップが生まれたとき、ビバッパーたちは随分お洒落にも気を使っていた。中でもモンクは、普段着や車に至るまで徹底的にお洒落にこだわっていて、「俺のビューイックは世界1だ」と周囲に吹聴して回っていたらしい。そんな過剰気味な自・美意識によってビバップはジャズを視聴覚的にモダンに、そして半ば排他的にそのイディオムを恐ろしいスピードに乗っけて開拓していくのだから、周りのジャズメンは、新しいジャズ=ビバップを脅威と感じていた、つまりビバップはジャズを壊してしまうんじゃないかと。 当時のダウンビートに掲載された新旧ジャズメンのインタヴューには様々な不安が見てとれる。

 しかも、モンクの記念すべき初の作品集となった『Genius of Modern Music: Volum 1 & 2』が制作された'48年~'52年当時、同じニューヨークでは、ジョン・ケージがプリペアード・ピアノための作品群を書き、衝撃のサイレンス・ピース《4分33秒》('52年)を発表し、そんなところでも破壊が進んでいたのだから。新しい音楽のパラダイムが様々な領域で次々と提出され、既得権にこだわるアーティストには随分と不安な時代であり、居心地も悪かったんじゃないだろうか。敵は随分とお洒落で素敵だったのだから。

 しかし、そんなビバップにも、随分といろんなアイデアが混在していたんだと感じる。例えばパーカーのスピード感と比較するとモンクの音楽には落ち着いたテンポのものが多く、モンクの演奏にもスピード感で制圧するというよりは、独特のグルーヴに到達したいというそんな狙いを感じる。モンクの音楽はそういう意味では、根本的にはグルーヴ・ミュージックだ。昨年アメリカでリリースされ今年になってようやく国内盤がリリースされるジョン・ビーズリー主催のMONK’estraのファースト・アルバムはまさに、Groovecentricなモンク作品集だ。モンクの音楽がルンバからHip Hopまで様々なリズムでグルーヴする。14歳で書いた作品がスタン・ケントンのレパートリーとなったジョンの、ギル・エヴェンス風のクールネスとサド・ジョーンズ風味のシャウトなオーケストレーションがモンクの音楽をホットにあぶり出す。

 アルバム一曲目に登場するルンバのクロス・リズムでアレンジした《Epistorophy》を聴いているとかつてディープ・ルンバのメンバーとジョンとの会話を思い出した。ジョン「ルンバのクロスってさあ」オラシオ・エルナンデス「あー3対4とかのな」ジョン「そうそう。3-2、2-3のどのクラーヴェが正しいかどうやって判断するの?」オラシオ「判断??聴こえるんだよね」リッチー・フローレス「そうだよ。全ての音楽にクラーヴェはあるんだよ」オラシオ「そうそう、そこにあんの」ジョン「むむ、聴こえないなあ」ロビー・アミーン「スイングみたいなもんだよ、クラーヴェってさ」オラシオ「だけど、ビバップにもクラーヴェ聴こえんだろう」リッチー「そうそう。ジェリー・ゴンザレスのフォート・アパッチのモンクとかな」アンディー・ゴンザレス「でも、あれはジェリー(兄)と必死になって試した結果なんだけどね」オラシオ「いや、だけど聴こえてたろ。パーカーだって、アート・ブレイキーだってキューバの音楽に随分ハマってたんだからさ、あるよ!」キップ・ハンラハン「オマエらキューバンのクラーヴェってなんかイデオロギーだなぁ」リッチー「なんだそれ。お前のリズムか?」

 彼らのこの会話を、ごく最近、若いキューバのピアニストに伝えたら「そうだね。モンクとクラーヴェはそもそも関係ないよ。クラーヴェに音楽を合わせる必要ないし、音楽にクラーヴェは合わせるべきだしね」と興味なさげに語った。そうモンクと何かを結びつけるのはアーティストのイマジネーションだからね。