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日本の道徳観から遥かに外れたクレイジネス

森川「そんな彼らもデビューしたての頃は、映像なんてなかったですからね。僕が初めて動くザ・ビートルズを観たのは、当時放送していた夕方の5分くらいの海外トピックスのニュースだったと思います」

亀田「そういう形で観てるんですね。映画『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』のプロモーション・ビデオの映像があって、あれで初めて動くビートルズを観たという人も多かったそうで」

湯川「あの映画が上映されたことによって、みんな初めて動くザ・ビートルズを観ることができたんですよ」

倉本「日本公開はいつでしたっけ?」

森川「64年の8月です。その頃、僕は小学校6年生でしたね。当時は東久留米に住んでいて、観に行きたかったけど、やっぱり小学生だったから池袋までは行けなくて。『踊れ!サーフィン』という(当時珍しい)カラー映画と2本立てだったんですけど、それがしょうもない映画でね(苦笑)。そのあと、結局ずっと公開が続いていたから、僕は冬休みくらいに『ビートルズがやって来る~』を池袋の映画館まで観に行ったの」

倉本「映画館の映像に向かって、キャー!ってことが起こるわけなんですか?」

森川「起こってましたよ。その時は冬休みだったから友達と一緒で、最初は『キングギドラVSゴジラ、モスラ、ラドン』を観に行ったんです。でも、その隣で『ビートルズがやって来る~』をやっていたので、〈やっぱり俺はこっちを観るわ〉って」

※映画「三大怪獣 地球最大の決戦」のこと。64年12月20日に公開された

倉本「そこで少年は、ザ・ビートルズを選択したわけですか」

森川「あれを観た日に、僕の人生は変わったね」

倉本「だから、あの4人組はキングギドラよりすごかったんですよ(笑)」

森川「それまでラジオでザ・ビートルズは聴いてましたよ。“Please Mister Postman”っていうシングル盤と、“She Loves You”ってシングル盤は持ってたんだけど、アルバムはまだ持ってなかった。で、動くザ・ビートルズっていうのはその前の6月に『高橋圭三ショー』っていうので動くザ・ビートルズを観たんですよ。何かザ・ビートルズ特集みたいなのをやったんですよ。“A Hard Day’s Night”のワンシーンだったと思うんですけど、映画の番宣だったと思ってたんですけど、でも最近ある人の本を読んだら、それはザ・ビートルズ『COME TO TOWN』って映像だったんじゃないかとは言われてるんですけど。その映像観たらビックリした訳ですよ。女の子が泣きながら観てるんですよ、悲鳴あげて。それでザ・ビートルズに惹かれてって、ラジオではずっと聴いてた。“恋する二人”なんてのはずっと聴いてた。『ヤーヤーヤー』で初めて動くザ・ビートルズを観た時にね、あの4人のキャラクターと最後の演奏シーンと、全部にやられたんですよ。もうね、その日2回観たんだから。『踊れサーフィン』を我慢して(笑)」

湯川「まだ入れ替えがなかった時代ですもんね」

亀田「亀田家は62年から66年の間、父がNY駐在員の仕事をしていた関係でアメリカにいて、僕はその間に生まれたんですよ。それで向こうでも64年のザ・ビートルズ大フィーバーで社会現象になっていて、うちの両親は日本人でNY在住だったからザ・ビートルズなんて知らなかったんですけど、〈これは聴かなきゃいけない〉ということでアルバムを買ったんですよ。これが、僕の初めて物心ついた頃に聴いたアルバムで」

倉本「家にあったんですね、そのレコードが」

亀田「ええ。ところが、これがドイツ語盤なんです。『Something New』というアルバムで、〈抱きしめたい〉をドイツ語で歌っていて」

倉本「“She Loves You”と“抱きしめたい”はドイツ語で収録されているんですよね」

浦沢「なんでドイツ語だったんでしょう?」

亀田「いやたぶん、(僕の両親は)そこまで詳しいことがわからず、一般市民がレコード・ショップに行ってたまたま買っちゃったのがドイツ語盤だったっていう」

倉本「とはいえ、あれはアメリカ盤でしたからね。アメリカでは手に入りやすかったんでしょう。あとはやっぱり一番最初の映画で、ああやってザ・ビートルズらしさを出すことができたのがすごいと思うんですよ。普通だったら、もうちょっとドラマっぽくしたりするじゃないですか。でもそこで、ザ・ビートルズのことをそのまま伝えようとした(監督の)リチャード・レスターはさすがだなと。今までなかったような映画をクリエイトしていて、そこでもザ・ビートルズの存在が大きいんですよね」

湯川「あれはもう、映画史に残る作品ですよね」

森川「当時は僕も子どもだったから、この映画の意味はよくわからなかったんです。ドキュメンタリーなんて言葉も知らなかったわけだけど、そういうリアルなものを感じたと思うんですよね」

ザ・ビートルズ来日時の模様を振り返ったドキュメント映像。日本語で語っているのは、オフィシャル・カメラマンを務めた浅井慎平
 

湯川「あの映画も、そのあと有名になって武道館に最初に来たときの拒絶反応もたぶん同じだと思うんですけど、女の子があれだけキャーキャー追いかけ回して、涙を流して悶絶しそうになるじゃないですか。失神したりして。(拒絶反応を示した人は)あれが全然理解できなかったんだと思うんですよ。あのクレイジネスは、日本の道徳観から遥かに外れたものだから」

浦沢「先ほど『圭三ショー』ってところで紹介されてた、僕にとって高橋圭三さんは、人前に出る時にちゃんとしてる人の代表なんですよね。〈高橋圭三でございます〉って」

湯川「ネクタイしてね」

亀田「だから今、僕らがこうやってカジュアルでいられるのは、ザ・ビートルズのおかげなんですよ」

浦沢「人前に出るときも普通にしていていいんだよって、ザ・ビートルズは人類で初めて言ったと思うんですよね」

湯川「そういう話で、よくファンの方から〈なぜプレスリーは兵役で兵隊に行ったんですか? なんで拒絶しなかったんですか?〉って訊かれるのね。でも、60年代の後期にベトナム戦争が始まって、そこからよその国の戦争に駆り出されて殺されるのは嫌だって、拒絶というのが初めて生まれてくるんですよ。それまではなかった価値観なんです。そういう意味でも、やっぱりザ・ビートルズのあの髪の毛はものすごく反社会的でしたね。それまで男の子っていうのは、成人したら髪を短くして、兵隊になってナンボのもんだという価値観がずっとあったわけですから」

浦沢「規制社会にとっては、相当の危険分子ですよ」

倉本「それが潰されずに外圧を破っていくうちに、いまやこうやってザ・ビートルズが教科書に載るほどになるわけじゃないですか。どれだけのエネルギーがあったんだという」

湯川「そのエネルギーと同時に、クリエイティヴな才能があって。それだけの楽曲を送り出してきたわけですからね」

 


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