INTERVIEW

ジョナサン・ノットが〈フェスタサマーミューザ KAWASAKI〉に今年も参加! 情熱的な音楽愛を伴った指揮へのこだわりを語る

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  • 2017.06.19
photo by K.Miura
 

感覚をシャープに研ぎ澄ませ!

 ジョナサン・ノットの語りは雄弁で、情熱的で、つまりは音楽を愛する人の活動的なエネルギーがまっすぐに伝わってくる。それは演奏でも、話をしていても、地続きに感じられる。

 2011年の一度の共演を機に、14年に東京交響楽団の音楽監督となり、就任2年目の秋には26年までの任期延長も決まった。刺激的なプログラムを通じて、生きた響きの空間を旅する楽しみは大きい。

 フェスタサマーミューザにも昨夏に続いて参加、シェーンベルクの《浄められた夜》とストラヴィンスキーの《春の祭典》の強烈な組み合わせでオープニングを飾る。

 「20世紀の始まりを告げる有名な2作で、どちらも同じ種から生まれたもの。ひとつの時代の終わり、調性音楽が崩壊して、次の時代の音楽が始まろうとしているのが感じられるはずです。《浄められた夜》は弦楽だけの小編成、《春の祭典》は大編成で管楽器が鳴り響く。規模の異なる響きの世界を旅していただくのが、私は好きなのです。そして、2つの交響詩を通じ、生と死が描かれていきます」

 世紀の変わり目をはさむ15年ほどの間に、西欧の芸術では凄まじい変化が起こったが、ジョナサン・ノットはこの時代の音楽をどのように捉えているのだろう?

 「私はこの時代の探究に多くの時間を注いできました。R.シュトラウスの中期、マーラーの主要作の大半が書かれ、ブルックナーがいて、ツェムリンスキー、シェーンベルクやウェーベルンらの新しい時代が生まれ出ようとしている。どの方向に進んで行くかもわからず、嵐が到来するさなかを歩いていく感じですね。ヨーロッパ大陸の地層を呑み込むうねりが感じられる。こうした音楽を知れば、その後にどのようなビッグバンが起こったのかが理解できるようになります。たくさんの情感が籠められ、感情的なパワーを多く要求する2作です。私は聴きやすい音楽なんて好みません。新しい聴き手を含めて、みなさんにアクティヴな挑戦のプロセスを体験し、聴くという経験の拡張をしていただければと思っています。生きた音楽を旅するスリルをいっしょに経験してもらいたい。作品という、作曲家からの遺言状を書き直すことはできないけれど、それを語らせることが私たちの仕事です。音楽は実際に語られなくてはいけないものですから」

 ジョナサン・ノットの演奏には、知的な構築や発見の喜びとともに、ラインの流れの美しさ、つまり生命の息づかいがある。

 「響きの建築をするだけではなく、演奏のなかで音楽は育まれ、つねに動いている。そこに息づかいが生まれると、どの瞬間も無視することはできなくなる。現代の作品がどれほど複雑なものでも、そこではなにかが進行しているわけです。だから、私はラインを保つことを心がけています。リズムを感じること、いくつもの異なることを同時に進行させるのに捉われすぎると、“木を見て森を見ず”みたいなことになる。バートウィッスルが言っていましたが『音楽とは水晶のようなもの』。すべての要素はひとつに関係づけられ、作品が進行するにつれ、水晶も向きを変える。前が後ろになり、天が地にまわる。つまり、始まりから終わりにいたる時間のラインがあるということです。作品自体は変わりませんが、私たちの観点からいうと、音楽は変わり続けている。ときには木の幹のなかをみつめ、ときには森全体を見渡すようにしていかなくては」

 ストラヴィンスキーは多くの様式を手がけた作曲家だが、ジョナサン・ノットも広い時代にわたる多彩な作品を鋭く指揮してきた。

 「東京交響楽団ではシーズンを通じて、多様な作品を組み合わせ、退屈しないようにしています。2週間ごとに、バートウィッスルとベートーヴェン、モーツァルトとブルックナー、次には細川とマーラーというように。そうしていれば、誰もがつねに感覚を研ぎ澄まし、ナイフをシャープに保っていられますから(笑)」

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