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めざしたのは、普通のロック・バンドの普通の良い曲

――なるほど。今作の全体像が見えてきたのは、いつぐらいだったんですか?

大塚「今年の1月頭に夏目と菅原が今作のデモを数曲まとめて持ってきたんですよ。俺はあれがきっかけだと思うな」

菅原「その日までに、夏目は何曲、菅原は何曲みたいに締め切りを設けたんですよね」

大塚「それを、みんなでただ聴く会をして。そのときになんか〈わかった〉って感じ(笑)。みんなで聴いて、〈あ、オッケー〉となったんだよね。腑に落ちたというか。〈Friends Again〉というキーワード自体は、9月くらいから夏目が口に出していたんだけど、俺はベースだし歌詞や楽曲の装飾的な面にはそこまで関与しないから、キーワードだけでは自分が実際にどう弾くべきかまではわからなかった。だけど、デモを聴いたときに、このスタイルは確かに〈Friends Again〉だなと思った」

藤村「2人のデモが良い意味でイメージ通りだったんですよ。夏目の曲に関しては、〈あ、無理してないな〉と思ったな。すごくナチュラルな曲を持ってきたという印象があって、それが良かった。ここから4人で作り上げていけば良いのが出来そうだなって」

大塚「今回のアルバムに、去年のシングルとEPの曲は入ってないじゃないですか? 俺はずっと〈なんで入れないの? 入れようよ〉と言っていたんですよ。それが、2人のデモを聴いたとき〈あ、入れなくて大丈夫〉となれたんだよね。だから、まとめて8曲くらいを一気に聴けたのが良かったのかもね。メンバーが一堂に会してという聴き方も」

菅原「そのやり方も初めてなんですよ。僕にとってもあの発表会は大きかったな。夏目が考えていることが、結構自分と近いなと思った。それまでは、僕がシャムキャッツで曲を作るにあたっては、役割的に夏目がやってないこと、今のバンドに足りないことをやろうという意識が強かったんですよ。今回はスタートラインが同じところから作って、〈あー、一緒だね〉って」

大塚「菅さんも、今回は自分がやりたいことを提示しただけなんだよね」

菅原「そうそう。夏目も僕も普通のロック・バンドの普通の良い曲をめざしていたんだよね。ドラムがあって、ベースがあって、ギターがあって、歌があるという」

――夏目さんの曲は、歌詞も節回しもこれまででもっともソロのパフォーマンスに近い気がしました。彼のファニーな魅力が気負いなく出ている。

一同「うんうん」

――一方で、菅原さんの曲はシャムキャッツの一員としての菅原慎一を打ち出した印象。漢っぽくて格好良い感じ。

菅原「あー、それは嬉しい」

藤村「今回、菅原は強い歌詞を書いてきたよね」

菅原「僕のなかではこれが今回の普通だったし、自然にやれたんですよ。今回は本当にバンドのために書いたかな」

大塚「でも、夏目もそうじゃない? 夏目のソロすぎない曲にはなっているし」

菅原「ただ、夏目は前に〈いままでバンドのためにある程度気を使って曲を作ってきた〉と言っていたんだけど、今回はそうじゃない作り方でやれたのかなという気がする」

夏目「俺は、今回は絶対に何も背負わないと決めたんですよ。ある意味で敗北宣言ですけど、もうシングルとか作るのは無理ってなったんだよね(笑)。そういう作業、実は好きじゃないし諦めちゃおと思ったんです。でも、8曲くらいバンドで出来たときに〈これじゃまだアルバムにならないから〉と、がんばって追加で3曲作って持っていったんですよ。そこで、菅原から〈この3曲を入れると、バンドでせっかく作っていたアルバムなのに、夏目のソロ・アルバムみたいになっちゃうような気がする〉と言われて。俺、最初は意味がわからなくて、〈いやいや、それだったらお前が3曲くらい書いてくればいいじゃん〉と思っちゃったんだよね」

藤村「そこで、珍しく2時間くらい言い合いになってたね」

菅原「この際、思っていることを全部伝えようとなったんですよ」

夏目「そうそう。そこで、菅原に〈夏目が本当に考えていることを口に出していない気がするんだよね〉言われて。俺は〈いや、思ったことを言ってるけどな、バンドにはこれが必要だろうと思ってこれまでも言ってきたのになー〉とちょっとしょんぼりして家に帰ったんですよ」

――うんうん。

夏目「で、家に帰ってちょっと考えていたら、〈あー、俺また最初にやらないと決めていた背負う感じをやっちゃっていたな〉って。菅原の言葉は〈夏目はそういうことをやりたくないんじゃないの? 無理にやってもバンドがおもしろくなくなっちゃうんじゃない?〉というメッセージだなと思った」

菅原「いや、ホントにそうだよ」

夏目「そこで、〈言われてすごく軽くなったわー〉みたいなやりとりがあった」

――実際、今回のアルバムでは、夏目さんはプレイング・マネージャーを降りたどころか、菅原さんに背番号10を譲った印象さえもあって。それくらい、菅原さんの楽曲が強いんですよね。

夏目「うんうん」

菅原「僕、サッカーわかんないからピンとこないや(笑)。ただ、友達感覚で良い感じにやれるようになったという気はしているんだよね」

夏目「でもね、言われたとおりだと思うよ。昔からちょっと逆にコンプレックスというか、なんかやるとなると絶対に代表とかをやらされるんですよ、俺は」

一同「ハハハハ(笑)!」

菅原「でもね、そういう空気になるんですよ。僕はつねに中学のときから夏目の2番目にいたんで。バレーボール部でも生徒会でも(笑)」

夏目「そうなっちゃうと、自分のやりたいことよりも空気を読んでみんながいちばん楽しい方向に行くしかないっていうか。俺はそれを一生やり続けるのがイヤだなと思って、就職せずにバンドをやったんですよ。〈よし、やっと俺は世の中に1つのソフトとして、1個の素材として出て行けるぞ〉ということが自分の気持ちを軽くしてくれたはずなのに、結局なんだかんだやってんなというのが……」

藤村「もうカルマでしょ」

菅原「でも、そうやって注目される才能は素晴らしいと思いますよ」

大塚「メンバー同士でそういうことを言うのはやめようよ(笑)」

菅原「いや、それがフロントマンだと思うし、それに惹かれて僕らも集まってきているわけだしさ」

夏目「バンドの言いだしっぺとして、やらなきゃいけないというのもあったけど、〈これではもうもたないな〉と思っていたんです。そんなことを考えているうちにツアーがあり、いざやってみると〈このバンドで俺がさらっと歌えば、それだけでもうみんなが感動するんだな〉と思ったんですよ。だから、もういいや、それだけやってやれって。〈俺がしっかりしてなきゃ〉とか、〈俺がやらないとおもしろくならないかも〉とか背負っちゃっていたけど、レーベルを立ち上げてみるといろいろ役割分担できるようになっていったし、いまはライヴのセットリストもバンビがほとんど決めているし、〈俺がしっかりしてなくても全然いいや〉となれた」

――実は“マイガール”と“すてねこ”の延長線上で、もっとロック・アルバムになるんじゃないかと思っていたんですね。

夏目「でしょうね」

『君の町にも雨はふるのかい?』収録曲“すてねこ”
 

――それが、意外や意外、非常にフォーキーなアルバムになった。その印象に貢献しているのが、夏目さんがエレキでなくアコギを弾いていること。今回、夏目さんがアコギを持つという雛形になった1つが“マイガール”のリリース時に行ったタワレコ新宿店でのインストア・ライヴなんじゃないかなと思ったんですよ。あの日は夏目さんがアコギを弾いていて、小気味良いリズム感がすごく新鮮だったから。

夏目「確かに、あの日のライヴはちょっとある! アコギでもロックをやれるという手応えがあったからね。どうして自分がアコギになったかというと、菅原との役割分担をハッキリさせたかったから。エレキ2本よりも1人はアコギのほうが、どっちが弾いているかわかりやすいだろうって。そういうのはアコースティック・ライヴで常々感じてきたことで、〈アコースティックだと歌がよく聴こえるね〉とよく褒められていたんですよね。新宿店のインストア・ライヴは楽しかった覚えがあるな」

――なるほど。アルバムの通奏低音として、リアル・エステイトやウッズらとの共振性を持ったオルタナ・カントリーやアメリカン・ルーツ・ロックの要素は感じられるけれど、彼らみたいなサウンドをやろうとしたというよりは、バンドの推しどころを逆算していった結果、そういった音に辿り着いたということなんでしょうね。

夏目「そうそう、まさしく! それをちゃんと言ってくれる人がいて良かった(笑)。何かに憧れてこの方向性に向かったというよりは、自分たちやりたいことを形作っていったときに、この感じは聴いたことがあるなという参照点がいくつか見つかっていき、それが俺としてはサイモン&ガーファンクルやプリティ・シングスの『Parachute』(70年)だったんですよ。そこで、〈なるほど、これだったらやれるかもな〉と。繋がっていると思える音楽がきっかけになったのではなく、あとから勇気をもらったんですよね」

サイモン&ガーファンクルの66年作『Sounds of Silence』収録曲“I Am A Rock”
プリティ・シングスの70年作『Parachute』収録曲“The Good Mr. Square”“She Was Tall, She Was High”
 

――I.R.S.時代のR.E.M.やリプレイスメンツといった80年代のアーシーなカレッジ・ロックと、それらと同時期にUKで活動していたエコー&ザ・バニーメンやキュアーなどUKのネオ・サイケがサウンドの両輪となっている印象です。

夏目「うんうん、初期のキュアー感をわかってくれたのは嬉しいな。僕は、あんまり明るい作品を作りたくなかったんですよ。なるべく暗い作品を作りたかったんです。結果的に、めちゃくちゃ暗いものにはならなかったけど、作品にどれくらい影を落とすのかでいうとキュアーの初期やR.E.M.は参照点になったし、音の重ね方――装飾をどれだけするのがバンドにとってベストなのかということを考えるうえでの参考にもした。ただ、それに憧れてという態度ではなかった」

R.E.M.の84年作『Reckoning』収録曲“So. Central Rain”
キュア―の79年のシングル“Boys Don’t Cry”
 

――すごくシンプルでオーセンティックなロックなんですけど、今の日本でここまでさらっと音楽をやっているバンドは思い浮かばないし、逆説的にシャムキャッツというバンドの独自性を際立たせた作品になりましたね。

夏目「自分でも完成したものを聴いてたとき、そう思いましたね。どこにもいれない……というか、どこにいるわけでもないけれど、そこらへんに浮いているような作品を作れたと思った。〈これ、めちゃめちゃオリジナルじゃん!〉って感じられたんです。すごくシンプルにバンドで歌モノをやったし、むしろそれ自体は昔の僕がシャムキャッツでいちばん避けていた手法だったはずなのに、結果的には当時思い描いていた、〈どこにも回収されない音楽を作る〉というところに遂に辿り着いたんだなと思った」