偉大なる〈しろうと芸〉

 『特選三夜』では〈流行歌〉〈小唄〉〈浪曲〉〈阿呆陀羅経〉……、〈日本のポピュラー音楽〉といえば、まずはこの辺から押さえなければ何も言えないとでもいうべきナイスな編集だった。続いての『ごきげん三夜』『たっぷり四夜』でも小沢昭一さんは語り歌う。〈随談〉と名づけたというその語りはとどまることなく淡々と、しかしメリハリをつけながら進んでいく。

小沢昭一 『CD版 小沢昭一的 新宿末廣亭 ごきげん三夜』 ビクター(2017)

 台湾の客家語でいうと聞く〈素麺〉のような語り(甘耀明著・白水紀子訳「神秘列車」、白水社、2015年。参照!)をも今のオレは連想してしまうが、語りと文学の関係はガルシア・マルケス辺りも通底している。台湾にしろマルケスの南米コロンビアのカリブ海沿岸にしろ(語る主体はおばあさんなのだけど、ここではそのことはおいとく)、語りはうたや音楽とともにあり、近代の文学へも到達していく。路地や広場や家のなかでの語りやうたが、メディアの役割も果たしていたはずだ。〈うた〉とか〈かたり〉という力はいったいいかにして生まれるのか。

小沢昭一 『CD版 小沢昭一的 新宿末廣亭 たっぷり四夜』 ビクター(2017)

 『たっぷり四夜』解説で三田完さんが適確に指摘をしている〈くろうと〉〈しろうと〉ということも実はそんな問いの答えへのひとつのヒントになるかもしれない。芸人に憧れながら新劇の役者という〈しろうと〉が、学べば可能だと思える道に進んだ小沢さんは、学んでもなれない〈くろうと〉に憧れ続けた〈しろうと〉だった。しかし、その語りは、先行する〈くろうと〉たちのそれに限りなく似ながらも非なる新たなる芸となった。それぞれの道においては〈しろうと〉であろうが、生きることそのものにおいて、ひとはみな〈くろうと〉だ。そんな味が滲み出る。

 にしても、出囃子になってる、あの曲がテーマ曲だった「小沢昭一的こころ」を思い出す。クルマに乗っての労働時間にラジオから流れてくるこんな語りを聞いて笑ってたのかと。あえていえば、聞き流していたのだ。このうえない贅沢な話だとあらためて思う。