ダンスの歴史を変えた男、オハッド・ナハリン。その秘密はGAGA。

 「あのオハッド・ナハリンのダンス作品を、まとめて見られる!」というだけで、この映画は奇跡であり珠玉であり至福の存在なのである。

 だが多くの読者は「『ミスター・ガガ』? レディーガガのパチモン?」みたいな認識かもしれないので、ちょっと解説しておくと、ナハリンはイスラエルを代表するバットシェバ舞踊団の芸術監督である。いまやイスラエルは世界に冠たる「ダンス大国」なのだ(近年、俳優の森山未來が惚れ込んで、イスラエルのインバル・ピント・カンパニーで一年間ダンス修行している)。

 筆者は20年近く毎年イスラエルを訪れて見続けているが、彼らの特徴は、とにかく発想の根本から違う予測不可能な動きだ。しかもケモノじみた鋭さの裏には精緻さがあり、ふっとユーモラスなテンポで心地よくズラす。エロティシズムも、深く生き死にのレベルで観客の胸に迫ってくるのである。

 そういうイスラエル・ダンスを牽引してきたのがナハリンなのだ。ちょうどこの映画の公開と合わせて、バットシェバ舞踊団『LAST WORK-ラスト・ワーク』の公演があるので、ぜひとも両方見てほしい。

 映画タイトルの「GAGA」というのは、ナハリンが開発した独自の身体トレーニング法である。これがじつに画期的で、世界でも類を見ないバットシェバ・ダンサーの動きの源泉になっている。

 しかも一般人用の「GAGAピープル」があり、自分で身体を探っていくスタイルなのでダンスの素養は必要ない。テルアビブではラジオ体操感覚でやっているし、映画の中でも車椅子の人、様々な障がいのある人が一緒に受けているシーンがある。ステップを覚えるダンスではなく「身体を動かすこと自体が楽しいのだ」と教えてくれるGAGAは、いまや世界中に広がっているのである(日本でも来日公演に合わせたワークショップが開催予定)。ちなみに東日本大震災のとき、ナハリンはGAGAのチャリティ・ワークショップを開き、義援金を送ってくれた。

 さて以上を踏まえて映画に戻ろう。

 とにかく作品の多さだ。来日作品だけでも『アナフェイズ』『ジーナ』『テロファーザ』『スリー』『MAX』『サデ21』そして今年来日の『ラスト・ワーク』等、他にも来日していないが有名な『ナハリンのウィルス』や、日本の現代美術家・束芋とのコラボレーション『FURO』などの収録作品の数々が素晴らしい。

 さらに「こんな映像よく残ってたな」クラスの貴重映像がバンバン出てくる。

 ナハリンはキブツ(閉鎖的な共同生活体)出身だが、子供の頃に跳ね回っている映像とか。周辺国と政治的・軍事的な衝突が常態化しているイスラエルでは、男女ともに徴兵制があるが、ナハリンの軍隊時代(といっても慰問用のアーティスト部隊)の映像まであるのだ。楽しげな映像とは裏腹に、胸の痛む話が語られる。

 ナハリンが本格的にダンスのレッスンを始めたのは兵役の後、つまり23歳からと遅い。モダンダンスの巨匠マーサ・グレアムに見出されてニューヨークへ移った。ナハリンがいた70年代から80年代のNYは世界のダンスの中心だったが、「クラシックバレエの基礎もなく、美しい肢体でなんとも魅力的なダンスを踊るイスラエル人」の登場は、人々を魅了した。初振付作品として紹介されるのは、大量のペプシ缶と踊る『パ・ド・ペプシ』(1980)。この映像が残っているのもすごい。

 ナハリンの最初の妻であるマリ・カジワラは、アメリカを代表するアルヴィン・エイリー舞踊団のスターダンサーだった。しかし無名時代のナハリンに惚れ込み、恵まれた環境をなげうって、ナハリンが作った小さなダンスカンパニーに参加する。ナハリンとマリの美しいデュオなど、この時代の貴重な作品も収録されている。

 そして1990年にナハリンはイスラエルのバットシェバ舞踊団の芸術監督に迎えられ、帰国する。そしてまたたく間に世界的なカンパニーに育て上げていくのだ。

 ナハリンの代名詞といえる「過越の祭の歌を歌い、椅子の上で銃で撃たれたようにバタバタと倒れながら踊る」というシークエンスが生まれたのは『キール』(1990)だが(他作品へもよく流用される)、まさにその部分を振り付けている貴重なシーンもある。

 この映画の見所のひとつはイスラエル国家50周年記念式典で国中を揺るがせた大事件の映像である。「記念式典で下着姿で踊るなんて!」という衣裳に対する抗議を巡って、ナハリンが国を相手にアーティストの尊厳を守るために闘った。その経緯がニュース映像も交えて描かれるのだ。

 しかし妻のマリを癌で亡くしてしまう(01年)。映画では語られていないが、じつはナハリンは03年から二年間、芸術監督を退いている。その間も創作は続いていたが、そのときの代表作『マモートット(マンモス)』(2003。映画の登場回数も多い)は、濃厚に死の影が覆うものだった。その間の芸術監督を引き受けたのが日本人ダンサー稲尾芳文で、後ろに立っている姿が映っている。

 そんなナハリンが芸術監督に復帰し、再び旺盛に作品を作る原動力となったのが、現在の妻であるエリ・ナカムラと娘ノガの存在である。映画の最後近く、リハーサル中にちょっとした事件が起こるのだが、これがなんともいい。全般にスーパーマンのように描かれていたナハリンが、最後にひとりの男・ひとりの父親としての素顔を見せるからだ。恋愛観については正直「ちょっとオッサン何いってんの?」と突っ込みたくなることものたまうのだが、それも愛嬌だ。

 人が踊る、そこには特別な意味がある。そういうナハリンの言葉を凝縮したような、まさに珠玉の映像体験なのである。

 

ミスター・ガガ  心と身体を解き放つダンス
監督:トメル・ハイマン
出演:オハッド・ナハリン/バットシェバ舞踊団
後援:イスラエル大使館
配給:アクシー株式会社 (2015年 イスラエル 100分)
配給協力・宣伝:プレイタイム
◎東京 シアター・イメージフォーラム 10/14(土)~/福岡 KBCシネマ 10/28(土)~/名古屋 名演小劇場 10/28(土)~/その後、京都 京都シネマほか全国順次公開

 


STAGE INFORMATION

バットシェバ舞踊団/オハッド・ナハリン
LAST WORKーラスト・ワーク[2015年初演]

演出・振付:オハッド・ナハリン
出演:バットシェバ舞踊団
○10/28(土)・10/29(日)彩の国さいたま芸術劇場
○10/31(火)北九州芸術劇場
○11/3(金・祝)愛知県芸術劇場
○11/5(日)滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール