ショスタコーヴィチの二面的な実像に迫るパーヴォ・ヤルヴィ&エストニア国立響

 今年2~3月にN響と行った欧州ツアー直前のインタヴューで、ショスタコーヴィチをレパートリーの中心の一つに挙げていたパーヴォ・ヤルヴィ。この時の演目で、2008年にシンシナティ響と録音もしている交響曲第10番の切れ味鋭い快演も見事だったが、9月に国内盤が発売になる当盤を聴くと、彼がこの作曲家の核心へさらに一歩踏み込んだことがよくわかる。

PAAVO JARVI, ESTONIAN NATIONAL SYMPHONY ORCHESTRA 『ショスタコーヴィチ:カンタータ「森の歌」他』 Erato/ワーナー(2017)

 スターリン時代のエストニアで生まれたパーヴォは今回、故郷のエストニア国立響らと共演。当時の体制賛美的な作品と反体制的な作品を並べて演奏することで、ショスタコーヴィチの二面的な実像に迫ってゆく。

 冒頭を飾るのは、反体制的なカンタータ“ステパン・ラージンの処刑”。旧ソ連の反体制派詩人エフトゥシェンコの詩が題材で、17世紀のコサック反乱の指導者がモスクワで公開処刑された際の独白と、当初は彼に唾を吐きかけていた民衆たちが、次第に自問から共感に変わり、最後は覚醒へと至る様は、当時の作曲者がスターリン体制下で置かれていた抑圧や苦悩と符合する。演奏は総じてゆったりと落ち着いており、興奮や絶叫へと至る流れを細部まで明晰に構築しているのが、パーヴォならではの至芸と言えるだろう。

 これに続くのが、体制賛美のカンタータ“我が祖国に太陽は輝く”とオラトリオ“森の歌”。前者は、歌い始めの煌びやかな児童合唱から実にまぶしく、ダイナミクスも整然とした秀演が楽しめる。そして、スターリンの冷遇から逃れるために、彼をあからさまに賛辞する歌詞を用いて書いた後者は、全7楽章を終始安定したテンポで、恐らく“あえて”と思われる派手派手しさで歌い上げてみせる。視聴後、感嘆と空虚が同居した不思議な胸中で、故・岩城宏之が自著「森のうた」の中で述べていた本作評の真意が初めてわかったような気がした。

 「本心はスターリンへの悔しいゴマスリだったにせよ、流石ショスタコーヴィチは偉大な作曲家である。社会主義リアリズムとはこういうものなのだ、どうだ、ちゃんと見事に書けるだろうと、作曲家がスターリンに叫び返しているようにも思える」