INTERVIEW

シーンを跨いで拡散する所属アーティストの記名性――その出所を、レーベルの主宰者・角張渉への取材から探る

【特集:KAKUBARHYTHM15周年(第2回)】

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  • 2017.09.25
角張渉(photo by NATSUMI ARIMA)

KAKUBARHYTHM15周年(第2回)
[ 特集 ]レーベル設立15周年を記念した3号連続企画! シーンを跨いで拡散する所属アクトの記名性――今月は、その出所を主宰者・角張渉への取材から探ります

 KAKUBARHYTHMの所属アーティストには共通した〈KAKUBARHYTHMっぽさ〉があるとされる。ただし、その共通性を言葉で説明するのはなかなか難しい。音楽性はバラバラ、世代や出身地も異なる。代表取締役を務める角張渉自身、「なんでしょうね? 生音でメロディーとビートがそこそこあって、聴いていて心地良いんだけど尖った部分もあって……いや、わかんないす(笑)」と口ごもるが、このレーベルの所属アーティストには音楽性を超えたところで共通するムードがあり、その曖昧さゆえに多くのリスナーを引き付けてきたとも言える。

 レーベル設立から15年。その歩みを振り返るべく、まずは角張渉の個人史を辿ってみたい。

 

きっかけはFRUITY

 角張は78年、仙台生まれ。中学生になると姉と兄の影響からフリッパーズ・ギターやユニコーン、ブルーハーツを聴くようになり、自身でもバンドを始める。

 「仙台時代にやってたのはフリッパーズ・ギターのコピー・バンドで、バンド名はプラスチックス(笑)。高校2年ぐらいからミッシェル・ガン・エレファントやランシド、オペレーション・アイヴィーを聴くようになりました。高校3年のときだったかな? 〈さんピンCAMP〉(96年)があって。周りの友人たちはみんな興奮してて僕も好きだったけど、でも、どちらかというとSmall Circle of Friendsに惹かれてましたね。当時からどうしてもポップなものに惹かれちゃってたんですね」。

 地方都市に住む音楽好きの高校生らしく、当時の角張もまた、東京に対して弾けんばかりの憧れを抱えていた。大学進学のため上京したのも「バンドをやりたくて東京に出たんです。初めて下北沢に行ったとき、FLIP-FLAPが自転車で二人乗りしてたんですよ。〈やべえ、東京だ!〉と思いましたね(笑)」。

 上京するとすぐさまライヴハウスに通うように。Less Than TV周辺のアンダーグラウンドな雰囲気にのめり込み、大学1年の冬には東京のパンク/ハードコア・シーンの拠点のひとつでもあった西荻窪のライヴハウス、WATTSでアルバイトを始める。

 「社会経験もないただの大学生だったけど、いろんな意味で良い経験をさせてもらいましたね。ブッキングをやってた人がすごくセンスが良くて、Less Than TVのイヴェントも定期的に企画してたし」。

 角張はWATTSでのアルバイト時代、さまざまなバンドと出会うことになる。99年には安孫子真哉(元GOING STEADY及び銀杏BOYZ、現KiliKiliVillaのチーフ・プロデューサー)と自主レーベル、STIFFEENを設立。2000年にはWATTSで出会った仲間たちの楽曲を収めたコンピレーション・アルバム『SMALL CIRCLE OF ROCK』(GOING STEADYや角張がヴォーカルを務めたSNOTTYなどを収録)をリリースするが、STIFFEEN設立の直接のきっかけとなったのは、現YOUR SONG IS GOOD(以下YSIG)のサイトウ“JxJx”ジュンもメンバーのひとりだった伝説的なスカ・パンク・バンド、FRUITYの存在だった。

 「高校3年のとき、『生』というライヴ・ビデオでFRUITYのことを知ったんですよ。いろんなバンドが入ってたんですけど、なかでもFRUITYが圧倒的に格好良かった。シュガー・ベイブやジャクソン5の感覚を採り入れようとしていたスカ・パンク系のバンドなんて、その頃はFRUITY以外いなかったんです。ポップで、奥行きも全然違う。自分にとってはFRUITYがHUMBERG TAPESっていうレーベル名で出した『MEDIUM RARE COMP』っていうカセットテープが衝撃的で、〈こういうことをやりたい!〉と思って作ったのが『SMALL CIRCLE OF ROCK』だったんです」。

 だが、憧れのFRUITYは97年にすでに解散。「FRUITYの人がYOUR SONG IS GOODという新しいバンドを始めたというから、ライヴを観に行った」ところ、そこで繰り広げられていたのは……。

 「トータスとかポスト・ロックに影響を受けたインスト・バンドのライヴだったんですよ。僕はガレージ・パンクと70sパンクばっか聴いていたので愕然として(笑)。でも、僕も含めてジュンくんのファンはどうにかして当時のYSIGを理解しようと努力してましたね(笑)」。

 

バンドごとのカラーを

 ライヴに通うなかでYSIGのJxJxと交流を持つようになった角張は、2001年から2002年にかけて怒涛の勢いでさまざまな企画を打ち出していく。2001年3月にはYSIGをトリとする〈KAKUBARHYTHM〉といったイヴェントを企画。同年11月にはFRUITYの音源集『"Songs" Complete Discography』をSTIFFEENから送り出して大きなヒットを記録する一方、翌2002年3月にはKAKUBARHYTHMの第1弾作品として、YSIGの7インチ“Big Stomach, Big Mouth”をリリースする。

 「KAKUBARHYTHMに関しては当初からレーベルとして本格的にやっていこうという意識があったわけじゃなかったんですよ。当時ちょうどレゲエを好きになりはじめた頃で、ハリー・ムーディーっていうジャマイカのプロデューサーがやってた70年代のレーベル、ムーディスクの作品が好きでよく聴いてたんですね。ムーディーさんがムーディスクをやってるんだったら、俺も自分の名前でアナログだけ出すレーベルをやりたいなと思って(笑)」。

 当時の角張は大学を卒業したばかり。某レコードショップで働きながら、日夜マーケットの動向や商品管理について学んでいたという。先述したWATTSでの経験も含め、そうした現場で直接培った感覚がその後のKAKUBARHYTHMの指標となっていったことは言うまでもない。

 「YSIGの次にインストのブレイクビーツをやってるMU-STARSが入ってきて、その次がインスト・バンドのSAKEROCK。だから、イルリメやキセル、ニカさん(二階堂和美)を出すまでは自分のなかでも〈インストの音源を7インチで出していくレーベル〉というイメージがあったんですよ。ちょうどインストのシーンが盛り上がってた時期でもあって、そこに対する意識はありましたね。ただ、特定のレーベル・カラーを打ち出していくというより、ひとつひとつのバンドがそれぞれのカラーを持ってほしいと思ってました。YSIGならYSIGの客が付き、SAKEROCKならSAKEROCKの客が付く。そういうふうにレーベル関係なく各々の道を進めるようになったらいいと思ってたんです」。

 

間口を広く、フットワーク軽く

 そんなKAKUBARHYTHMにとって重要な転機となったのが、2004年にリリースされたYSIGのファースト・フル・アルバム『YOUR SONG IS GOOD』だ。

 「それまでにYSIGの7インチを3枚出したんですけど、どれもすごく手応えがあって。事務所も借りたし、〈もしもYSIGのファースト・アルバムが売れたら俺もレーベルを続けていけるかもしれない〉という思いがあったんですね。だから、あのアルバムのリリース・タイミングでbounceの表紙を飾らせてもらったのが本当に嬉しくて(笑)。あのときのbounceの表紙と、その後に〈フジロック〉の〈WHITE STAGE〉に立ったことがレーベルとしての起点になったんです」。

 角張は以降の転機となった作品として、ほかに2枚のアルバムを挙げる。

 「やっぱりSAKEROCKの『ホニャララ』(2008年)。本人たちのアイデアと成熟具合、アレンジ力すべてがマッチしていて、いま聴いても凄いアルバムだと思うんですよ。当時は3人で会社をやってたんですけど、僕らもあのアルバムにかなり力を入れてたから、すごく大変だった(笑)。それと、ceroの『Obscure Ride』(2015年)。レーベルとしてはYSIGでの経験や、SAKEROCKで成長させてもらった部分とかをceroでうまく展開することができた。もちろんキセル、イルリメやニカさんの作品にもすごく思い入れはありますけど、転機というとその3作品で培ったものが大きかったですね」。

 SAKEROCKの2008年作『ホニャララ』収録曲“ホニャララ”
ceroの2015年作『Obscure Ride』収録曲“Summer Soul”
 

 YSIGやMU-STARS、SAKEROCKなどインスト系のアーティストを中心にしたラインナップを〈第一期KAKUBARHYTHM〉とするならば、第二期以降はその枠に囚われない幅広い面々がKAKUBARHYTHMの輪に加わることになる。キセル、二階堂和美、イルリメ、(((さらうんど)))、片想い、スカート、VIDEOTAPEMUSIC、思い出野郎Aチーム。冒頭でも触れたように音楽性はバラバラだが、共通して言えるのは、彼らの多くが熱心な音楽マニアであり、かなりディープなリスナー気質の持ち主であるということだ。

 「確かにそうですね。みんなずっとマニアックな音楽の話ばかりしてるし(笑)。考えてみると、もともとFRUITYもいろんな音楽が背景にあって、スカをやっていてもそれだけじゃない奥行きがあった。YSIGやceroもそうで、それぞれの音楽に裏付けがあるんです。ただ、各バンドにやりたいことはやってもらいたいけど、リスナーに聴いてもらえないといけないし、そこのバランスはこちらが考えないといけないんですね。音楽的にはものすごく評価されてるけど、あんまり売れてない、そういうバンドにはなってほしくないし、結果として、ポップなものを好きな人たちがマニアックなものに触れるきっかけになったらいいなとは思いますよね。マニアックなものをポップに打ち出す。そういうことは今後もずっとやっていきたいと思ってます」。

 KAKUBARHYTHMのもうひとつの特徴として、所属アーティスト同士のユルいながらも独特の繋がりがある。そもそもSAKEROCKの存在を角張に教えたのはたまたまライヴを観たYSIGのメンバーだったというし、二階堂和美をレーベルに推薦したのはイルリメ。また、片想いを推薦したのはceroの3人だったという。音楽性は異なるものの、KAKUBARHYTHMの所属アーティストはお互いを認め合い、音楽に対する基本的な価値観やスタンスを共有している。そうしたレーベルの在り方そのものが、KAKUBARHYTHMが近年のインディー・シーンにおいて際立った存在感を発揮してきた理由でもあるのだろう。

 なお、今後のKAKUBARHYTHMはVIDEOTAPEMUSICのニュー・アルバムのリリースも控えている。レーベルの設立から15年を迎えても角張はまだまだゆっくりできそうもない。

 「15年やってるといつのまにか敷居の高いレーベルと思われつつあるような気もしてて(笑)。だから、もう少し間口を広くして、いままで以上にフットワーク軽くやっていきたいですね。〈一緒に遊べるな〉っていうバンドとやっていければ、と思います」

 

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