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【IN THE SHADOW OF SOUL:ソウル・ミュージックの光と影】[第103回]栄光のプライド

【IN THE SHADOW OF SOUL:ソウル・ミュージックの光と影】[第103回]栄光のプライド

サンプリング・ソースの宝庫として、誰もが耳馴染みのありそうなブレイクビーツを輩出したインクレディブルなレーベル、プライド。決して長くない活動のなかで生まれた永遠に終わらないグルーヴの遺産を、今回のリイシューをきっかけに再確認してみよう!!

 プライドといえばかつての年末の風物詩でもあり、奇しくも金子達仁の著書が話題になっているタイミングだが……もちろん高田やヒクソンの話をしたいわけではない。恐らく断片的でも耳にしたことがないという人はいないであろうインクレディブル・ボンゴ・バンド“Apache”を生み、70年代を代表するファミリー・グループのシルヴァーズを輩出したことで知られるレーベル、それがプライドだ。活動期間こそ72~74年と短いものの、以降の音楽シーンにとんでもない影響を与えたその2つの功績はいまも色褪せることはない。

 もともとプライドは映画製作/配給会社のMGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)のレコード部門で生まれたレーベルである。当時のMGMレコーズで代表を務めたマイク・カーブは、後にカーブを設立したり、カリフォルニア州副知事も務めたりする音楽業界の重鎮。10代の頃に自主レーベルを設立して音楽面から映画産業に入り込み、マイク・カーブ・コングリゲイションを率いての活動も行いながら、60年代末にはMGMやヴァーヴの社長に昇り詰めていた若きエグゼクティヴであった。そんな男の指揮下でプロデューサーとして働いていたのが、プライドを設立するマイケル・ヴァイナーである。ワシントンDC出身の彼もまた早くから娯楽産業を志していた野心家で、MGM入社後はカーブの仕切るサミー・デイヴィスJrの全米No.1ヒット“The Candy Man”に助力。それらの実績も踏まえて72年に誕生したのがプライドだった。

 初期のカタログは映画サントラからロックの廉価コンピまでバラバラだったが、サントラ『The Thing With Two Heads』(邦題は「Mr.オセロマン 2つの頭を持つ男」というヒドさ!)を分岐点にプライドの色はソウル/ファンクへと傾いていく。アイザック・ヘイズによる「Shaft」などブラックスプロイテーション映画とソウル系の音楽が相乗効果でヒットを生んでいた時代らしい判断だが、そのサントラに並んでいた名前こそ、プライドからリリースを重ねていくジェリー・バトラー、シルヴァーズ、ビリー・バトラー&インフィニティ、オリー・ナイチンゲール、そしてインクレディブル・ボンゴ・バンドであった。

 劇伴を起源とする点からもわかるように、インクレディブル・ボンゴ・バンドは実体のないスタジオ・プロジェクトで、ボンゴを叩くキング・エリソンら西海岸の腕利きミュージシャンたちがヴァイナーの指揮下で束ねられたものだ。そのライブラリー・ミュージックにも近いグルーヴィーなインストがヒップホップ勃興期のDJたちに〈発見〉され、やがてサンプリング・ソースの鉱脈としてリアルタイムな評価以上の人気を得るに至っている。その代表例が先述した定番ブレイクビーツ“Apache”だったのは言うまでもないだろう。

 そうした後世の評価はボンゴ・バンドに限られたものではない。アイドル人気を博した兄弟姉妹グループ=シルヴァーズの飛躍を受け、その末弟にあたるフォスター・シルヴァーズが発表したデビュー曲“Misdemeanor”(72年)はR&Bチャート7位/全米22位というヒットを記録。こちらもまたサンプリングの定番として現在も愛されているし、その後のシルヴァーズ家の活躍はR&Bシーンを大きく変革するものとなった。

 74年にMGMを離れたプライドはアトランティック流通で巻き直しを図るものの、その年で活動を停止。なかなかCD化が進まなかったこともあってレーベル単位で注目が集まる機会は少なかったわけで、ぜひ今回の大挙リイシューを通じて、誇らしきグルーヴの遺産を味わっていただきたい。 *出嶌孝次

関連盤を紹介。

 

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