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ストリーツの早口×マーク・E・スミスの唾と自称するヴォーカル・スタイル

一方、彼らシェイムは、自身の音楽性について、すでにいくつかのインタヴューで正直に答えている。そこで真っ先に音楽的なインスピレーション源として名前を挙げていたのは、フロントマンであるマーク・E・スミスが亡くなったばかりのポストパンク・レジェンド、フォール。そして現在はトータル・コントロール(Total Control)やブームゲイツ(Boomgates)のメンバーとしても活動する面々によるオーストラリアのパンク・バンド、エディ・カレント・サプレッション・リング(Eddy Current Suppression Ring)だ。自国の伝説的なアンダーグラウンド・ヒーローと、南半球のカルト的なバンドを並列して挙げるセンスはSNS以降の感覚ではないだろうか。

フォールの83年作『Perverted By Language』収録曲“Eat Y'Self Fitter”
エディ・カレント・サプレッション・リングの2008年作『Primary Colours』収録曲“Which Way To Go”
 

そして、ここにはコペンハーゲンのアイスエイジらとオーストラリアのトータル・コントロール、アメリカのハンク・ウッド・アンド・ザ・ハマーヘッズ(Hank Wood And The Hammerheads)らが繋いだ国際的なアンダーグラウンド・ネットワークの一つの結実のようなものを感じ取ることもできる。そうしたルーツをストレートに感じさせるヒリヒリした空気感をまとう粗野なバンド・サウンドと〈ストリーツの早口と、マーク・E・スミスの唾〉とバンド自らが評する、吐き捨てるようなヴォーカル・スタイル、そして不意に飛び出すロマンチックなフィーリングの組み合わせこそが、このシェイムの音楽的特徴だ。

全10曲39分というコンパクトなデビュー・アルバム『Songs Of Praise』は、ウェールズにて10日間でレコーディングされたという。プロデュースを務めたのはシングルから全作品を手がけているダン・フォートとネイサン・ボディ。ダン・フォートは元R&Sのスタッフであり、現在はジェイムス・ブレイクとともに〈1-800 DINOSAUR〉を運営する人物で、ネイサン・ボディはフォートとともにフォート&ボディとして活動している。その経歴からもわかるとおり、2人ともテクノ畑のプロデューサーであり、この布陣はラップやR&Bがメインストリーム・ポップとなった現在の音楽シーンに対して〈バンド・サウンドをいかにリアルタイムの音楽として聴かせるか〉という、彼らなりの工夫が見て取れる采配ではないだろうか。実際、本作に収録されたサウンドは生々しいロック・バンドのそれだが、よく聴けばエフェクト処理やエレクトロニクスが精緻に配置されており、リズム隊はクリアかつパワフルに料理されているのがわかるはずだ。

 

暗く長かったUKインディー・シーンの不況がついに終わる

そして、このシェイムを聴くにあたり、歌詞を見逃すのはもったいない。カルチャーが一周した後の〈あらゆる言葉が語り尽くされてしまった〉(Dust On Trial”)という感覚や、共通の話題を求めながらも炎上に怯えるSNS時代を象徴するかのような〈共感できるが/議論を呼んだりしないもの〉(“The Lick”)というリフレインは、彼らが2018年において極めてアクチュアルな感覚を持ち、それを表現することができる言葉の持ち主であることを示している。そしてブレグジット以降のイギリスの現状に対する〈距離の遠さに歪められ/暴飲暴食に耽るのはフランス産の蛙のせい/それは人種差別だろ〉(“Tasteless”)という風刺、〈輪になって座り/一気にサビの部分まで1分30秒飛ばす/そしたら皆で一緒に4コードの未来に合わせて口ずさめるだろ〉(“The Lick”)と言ったロックンロールのクリシェへの揺れ動く態度は、正しく〈UKロック〉である。確かにシーンの隆盛とともにその名を広めつつあるバンドだが、そこは〈デッド・オーシャンズ〉。シェイムがトレンドやムーヴメントの奥にある〈芯〉をきちんと捕まえているバンドだと見抜いていたのだろう。

シェイムの登場で、暗く長かったUKインディー・シーン不況の終わりがいよいよ見えてきた。これまでもメイル・ボンディングやピンズのようなUSパンクの流れを汲むバンド達や、トーイやルームらを含むホラーズ周辺にその兆しを感じたことはあったし、キング・クルールやラット・ボーイら単発で輝くアーティストや作品は存在したが、今回ほど決定的だと思える機運はなかった。中心はサウス・ロンドンとそこにある〈ザ・ウインドミル〉という極めてローカルな地だが、コミュニティーは閉鎖的ではない。シェイム曰く、「ロンドン全域やイギリス各地、そしてヨーロッパからもバンドが集まって来ている」そうだ。

そして、かつてリバティーンズという亡霊やピート・ドハーティという決定的なアイコンを追い求め続けていたイースト・ロンドン・シーンと大きく違うのは、彼らが共通する理想像や幻想を持たずに、人脈や精神性で繋がっているという点だ。これはまだムーヴメントとしては弱いことを示すウィーク・ポイントかもしれないが、多様化が進む現代らしいと言えばそうだろう。どちらにせよこの動きが、グライムやテクノとのリンクも含め、その果てに国境すらも超えるムーヴメントとしてクリエイティヴな波とならんことを願いたい。

〈音楽に国境の壁はない〉とはよく言われるが、やはりイギリスはロンドンでなければ決定的な動きにはならない。それが数々のアーティストが消え、ムーヴメントの萌芽が潰えていく様を、この10年ほど見てきた自分の現状認識だ。このシェイムのような新世代アーティストと、その音楽を楽しむ我々の足元には、優れた作品を作りながらも、タイミングや生まれた国に恵まれず散って行った者たちの屍が横たわっている。シェイムが“Gold Hole”で歌うのは少女の売春だが、その裏には次々と新人を搾取しては捨てる音楽業界へのアンチテーゼが込められている。だとすれば、自殺した恋人を慈しむラスト・ナンバー“Angie”に、音楽を諦めた先人たちへの哀悼を感じ取ることは、そこまで乱暴な解釈でもないだろう。