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これは俺がやるんだ

 87年生まれ、沖縄出身の三浦大知。幼い頃からダンススクールに通い、そこで選抜された男女混合7人組グループのFolderに参加したのは9歳の頃だ。97年8月にそのデビュー・シングル“パラシューター”がリリースされるや、注目を集めたのはこの時点でDaichiと名乗っていた大知の愛くるしい存在感、そして類稀な歌唱力だった。グループのコンセプト自体が往年のジャクソン5や同じ沖縄出身のフィンガー5などを連想させるものだったが、大知のパワフルに突き抜ける歌声はまさに少年時代のマイケル・ジャクソンを彷彿とさせるもの。よりジャクソン5的な名バラード“NOW AND FOREVER”(先日の日本武道館公演で元同僚の満島ひかりとデュエットを披露したばかりだ)など、主に小森田実(コモリタミノル)が手掛けた楽曲の出来の良さもあり、グループは子ども向け番組「ポンキッキーズ」へのレギュラー出演など活動の幅を広げていった。

 ただ、時を経て小学6年生になった大知のヴォーカルは、変声期に差し掛かって徐々に変化していく。99年12月に登場した7枚目のシングル“Everlasting Love”は〈Folder featuring Daichi〉名義の実質的なソロ・ナンバーとなったが、そこでの歌声は蒼さを残しながらもキッズのそれではなくなっていた。そして、2000年3月のセカンド・アルバム『7 SOUL』は結果的にFolderの最後の作品となる。

 「『7 SOUL』は……ひとりの男の子の、変声期になっていく一瞬の声がパッケージされてるのって、あんなの他にないですよね? だから、凄い瞬間にアルバムを作らせてもらえてたんだなって思います。物凄い貴重なものを残してもらったんだなって。感謝してます」。

 同作を作り終えた後の大知は、「これからも歌っていくために」変声期が終わるまで喉を酷使しないよう芸能活動を休止。ちょうど進学のタイミングも重なって学業に専念することになり、Folder5の活動に移行した女子メンバーとは別の道を進むこととなった。

 「休ませていただいて、その瞬間から女の子たちはFolder5の活動を始めて、ひとつの完成されたグループとして活躍してたから……何て言うんですかね、そこに自分の戻る場所はないんだなって思ったし、〈自分がやるとしたらソロになるだろうな〉って感じてはいました」。

 そうした漠然とした思いが明確なヴィジョンに変わったのは、休業中に知ったアッシャーの影響が大きいという。

 「その、Folderの時からお世話になってたお兄ちゃんみたいな人がいて、休業中もライヴに誘ってくれたり、パソコン買う時についてきてもらったり(笑)、そういう人なんですけど、その人から〈大知はこれ聴かなきゃダメだから〉みたいな感じでアッシャーの『8701』を聴かせてもらったら、それがまあカッコ良くて。で、その後に『ポップジャム』にアッシャーが出てるのをTVで観たんですよ。そしたら、ダンサーも付けずに一人で歌って踊ってるのがめちゃくちゃカッコ良くて。で、〈でも、こんなにカッコ良いのに、日本にはこういう感じの人が何でいないんだ?〉と思った時に、〈あ、これは俺がやるんだ、俺がやりたい〉って(笑)。それからはもう、そこに向かっていく感じがありましたね」。

 そうした決意を固める機会もありつつ、休業中は部活も含めて至って普通の学生生活を送ってきたという大知。ダンス・レッスンに励む一方、復帰を決めてからは喉を改めて鍛え直しながら、結果的に表舞台への再登場までは数年を要することとなる。

 「小学校の高学年とかはもう普通には学校に通えてなかったので、〈学校生活をしたい〉っていう理由もあったんですけど、やっぱ成長期に3年間、歌うことに喉を使わない生活を送ったので、使ってない筋肉がどんどん衰えたんだと思います。だから、久しぶりに歌ってみたら全然声が出なくて、当時は〈あれ、これはマズイぞ〉っていう感じでしたね。そこから〈もうボイトレしてもいいですか?〉って解禁してもらって、声を戻していかなきゃっていう感じでした」。

  名義を本名の三浦大知に戻してのカムバックは2005年3月。ソロ・デビュー・シングル“Keep It Goin’ On”はゴスペラーズの黒沢薫が作曲し、MVには伝説的なダンサーのクレイジー・レッグス(ロック・ステディ・クルー)も登場、R&Bを基盤にしたサウンドで歌って踊るという現在のアーティスト像はすでに示されていた。続くセカンド・シングル“Free Style”は、当時アッシャーらに楽曲提供していたパトリック“J・キュー”スミス(後にクラッチを結成。近年はビヨンセやアリアナ・グランデらの曲を書いている)のペンによるものだが、彼に貰った愛称がこの後のファースト・アルバム『D-ROCK with U』(2006年)の表題に繋がっていく。

 「J・キューはゴスペラーズさんの“永遠に”とかを手掛けてたブライアン・マイケル・コックスの一番弟子みたいな人なんですけど。ある時、ちょっとした愛称みたいな感じで〈D-ROCK〉って何かに書いてくれて。〈ロックする〉って〈カッコイイ〉とか〈クール〉みたいな意味もあるし、いいなと思って。で、最初のアルバムを作ることになった時、やっぱりマイケル・ジャクソンからの影響も受けてるし、これからも三浦大知がリスナーのみんなと共にあるみたいな意味も掛けて、マイケルの“Rock With You”と合わせるのはいいんじゃない?って。ファースト・アルバムの時は、チームのスタッフさんを主体に、〈大知、こんな曲はどうかな?〉とか〈これに歌詞書いてみない?〉とか、いろいろ教えてもらいながら、一緒に曲を選ばせてもらったりしながら進めていきましたね、うん。だから、直接的に歌詞を思いっきり書いたとかメロディーを作ったとか、そういうのはないんですけど、与えられるがままにやってたってことでもなくて、皆さんが一緒に作ってくれてた感じはありました」。