Page 2 / 4 1ページ目から読む

アーサー・ベイカーとストリートワイズ

 モーリス・スターとニュー・エディションの躍進をお膳立てしたストリートワイズとは、ボストン出身のアーサー・ベイカーが82年にNYで設立したレーベルだ。アフリカ・バンバータ&ザ・ソウル・ソニック・フォース“Planet Rock”(82年)やロッカーズ・リヴェンジ“Walking On Sunshine”(82年)の制作、映画「ビート・ストリート」(84年)の音楽などで知られるベイカーは、80年代初頭からダンス・ミュージックとしてのヒップホップ/エレクトロをポップ・シーンの中枢に押し上げてきた大物プロデューサーである。2000年代に入ってからニュー・スクール・ブレイクス方面で再評価されたり、TR-808使いの先駆者として認知されているが、もともと地元にいた頃にはディスコDJとしてフィリー・ソウルを好んでプレイしていたらしく、そんなバックグラウンドがスタイリスティックスの獲得にも作用していたのかもしれない。

 そんなベイカーはトム・モウルトンのTJMやジョー・バターンの“Rap-O Clap-O”を手掛けて頭角を表し、ヒップホップやフリースタイル、ガラージ、エレクトロなどが未分化な頃のダンス・ミュージック・シーンで活躍。81年にはグローリーのシングル“Let's Get Nice”を同郷にあたるモーリス&マイケル兄弟と共同制作しており、この縁が後に繋がったのだろう。シングル主体のストリートワイズからはキューバ・グッディングやロリータ・ハロウェイらのダンス・トラックを送り出す一方、外部でもニュー・オーダーやダイアナ・ロス、ホール&オーツらを手掛けて大物になっていく。関わった時期は長くないものの、彼の存在もまたモーリスを語るうえでは欠かせないのだ。 *出嶌孝次

ストリートワイズ音源の編集盤『The Streetwise Records Anthology』(Harmless)

 

アーサー・ベイカーの関わった作品を一部紹介。