説明しがたいヤング・ファーザーズの音楽の正体
近藤「ヤング・ファーザーズの音楽は折衷的すぎて説明が難しいとよく言われるけど、その折衷性は2000年代前半のNYポスト・パンク・シーンにあった文脈や国を跨ぐボーダレスな感性が受け継がれた結果だと思っています。それこそ、『僕らは自分たちの好きなものすべてを採り込もうとしている』と語った、かつてのライアーズみたいな。
でも、この感性はヒップホップ的とも解釈できますよね。ヒップホップは音楽をひとつの素材として捉える側面が強いじゃないですか。だからこそ、スクラッチやブレイクビーツといった手法も出てきたし、サンプリング技術に基づく形で発展してきた。
そういうヒップホップ的な考え方の到達点がヤング・ファーザーズの音楽とも言える。そう考えると、多くの人たちが彼らの音楽を〈ヒップホップ〉と形容したのもわかります。彼らは〈ヒップホップ・バンド〉と言われるのは嫌みたいですけどね」
天井「『Dead』まではビートが前面に出ていて、ヒップホップのフォーマットが軸になっています。次の『White Men Are Black Men Too』からは、もっとテクスチャー寄りというか、作り方を変えてきましたよね」
近藤「ちなみに、天井さんがヤング・ファーザーズの作品でいちばん好きなのはなんですか?」
天井「『Tape Two』かな。繰り返しになるけど、彼らのサウンドが纏っていた2000年代のUSインディー・ミュージックの豊かさみたいなところに、まず自分は惹かれたところが大きかったので。
それと、まさに多様性や折衷的ということで言えば、ヤング・ファーザーズはTVオン・ザ・レディオとのアナロジーで語れるところもあると思うんですよね。ヒップホップやソウルやR&Bとポスト・パンクが溶け合ったサウンドのフォルムも似ているし、TVオン・ザ・レディオはヤング・ファーザーズ同様にメンバーの構成的にも多様性を体現したようなところがあります」
近藤「2000年代のNYロック・シーンについて書かれたリジー・グッドマンの『Meet Me In The Bathroom』(2017年)が話題を集めたりと、2000年代のポップ・ミュージックを振り返る流れもありますけど、その流れともヤング・ファーザーズは共振できそうですね」
天井「5月にLAでやるヤー・ヤー・ヤーズとLCDサウンドシステムのライヴにも前座で出ますからね」
近藤「さっき言った2000年代前半のNYポスト・パンク・シーンの折衷性って、音楽の範囲におけるものだったと思うんです。ヤング・ファーザーズはもっとその範囲を広げて、宗教や政治なども取り込んでいきましたよね」
天井「TVオン・ザ・レディオが出てきた頃のニューヨークって、もちろん9.11以降のアクチュアルな動きもあったわけだけど、一方で政治性から離れていこうとする、それこそサイケの逃避主義的なところがあった。そこがヤング・ファーザーズとは違いますよね」
近藤「ええ。2000年代の文脈で言うならば、ヤング・ファーザーズはDFA周辺のディスコ・パンクに近い。パンク精神もありますし」
天井「当時のディスコ・パンクはハードコア・パンクがルーツのバンドが多かったし、それこそ!!!の“Me And Giuliani Down By The School Yard (A True Story)”(2004年)みたいに明確な政治性を持った曲もあります」
近藤「そうですね。僕がヤング・ファーザーズで好きな作品は『White Men Are Black Men Too』なんですよ。端正で聴きやすいという点では『Cocoa Sugar』がいちばんだけど、その聴きやすさがありつつ、ヤング・ファーザーズのラディカルな部分も前面に出ているのが理由です。でも、『White Men Are Black Men Too』はあまり評価が高くないんですよね。ピッチフォークの点数もいまいち」
天井「そもそもピッチフォークはヤング・ファーザーズをあまり評価してないですよね。それはたぶん、さっき言った2000年代的なもののフォロワーと見做されていたというか、そうしたところに対する拒否感みたいなものもあって、目新しさを感じなかったのかもしれない」
近藤「一方で、ヴィンス・ステイプルズの『Big Fish Theory』(2017年)は高く評価するじゃないですか。『Cocoa Sugar』は特にそうけど、ヴィンス・ステイプルズとヤング・ファーザーズの音楽性ってけっこう近いと思うんです。それなのに、なんでヤング・ファーザーズには冷たいんだろうなあとはよく思います(笑)。
イギリスでの評価は高いんですけどね。それは国内情勢と絡めた視点で解釈できるからかもしれないけど」
天井「イギリスの人たちにすればヤング・ファーザーズの音楽はリアルなんだろうね。そこがアメリカとの温度差がある部分なのかもしれない」