COLUMN

遠藤麻衣子監督映画「KUICHISAN」「TECHNOLOGY」 研ぎ澄まされた美しさで、いまここにある現実の不完全さを告発する

映画「TECHNOLOGY」©A FOOL, the cup of tea

遠藤麻衣子の幻想記録映画は、研ぎ澄まされた美しさで、いまここにある現実の不完全さを告発する。

 遠藤麻衣子による2本の驚異的な映画は、僕らをヘテロトピアへの旅に誘う。ヘテロトピア(混在郷/異在郷)とは何か。ミシェル・フーコーは講演用原稿「他者の場所――混在郷について」において、〈歴史(時間)の時代〉であった19世紀に比して現代は〈空間の時代〉であるとの見立てをまず提起した。「われわれが生きている時代においては、世界は、時間とともに次第に発展してゆくひとつの大いなる生というよりむしろ、さまざまな地点を結びつけ、さまざまな縺れを交錯させる空間的ネットワークとして体験される」。僕らは二つの場所を同時に占めることができず、二つの場所はそれぞれ別の空間に並列や分散している。フーコーは、そうした通常の場所のあり方を逆撫でする〈奇妙な特性〉を帯びたものとして、ユートピア(非在郷/理想郷)とヘテロトピアに注目し、後者を軸に議論を進めるが、両者は似て非なるものとされる。架空のどこでもない場所、〈非現実空間〉である前者に対し、後者はいわば〈現実化した非在郷〉、具体的な場所でありながらも〈すべての場所の外部〉にあるかのような〈反‐場所〉である。

映画「KUICHISAN」©A FOOL

 「KUICHISAN」でイガグリ頭の少年と共に僕らが彷徨うのは、ヘテロトピアとしての沖縄である。古来からの伝統や神話的世界が、米兵がたむろする閑散とした歓楽街や金網に囲い込まれた基地、軍用ヘリが飛び交う空などと同じ一つの場所に混在する。「TECHNOLOGY」においても、アイスランドでもインドでもない世界(ユートピア)ではなく、そのどちらでもある世界、現実と夢や幻影が重なり合うヘテロトピアが広がるだろう。フーコーがヘテロトピアに関心を寄せるのは、それが「所与の社会において、雑多で、異質で、われわれの生活空間に対して神秘的かつ現実的な異議申立てを突きつける」場所であるからだ。ヘテロトピアは、僕らが生きる〈現実空間〉が「実は幻想であることを告発する幻想空間」である一方で、「われわれの住む通常空間が混乱し、うまく配置されておらず、未だ青写真に過ぎないようにみえるほど、完璧で丹念に設計され、首尾よく構成されたもうひとつの空間」として創造される。

 研ぎ澄まされた美しさを備える〈幻想空間〉である遠藤の作品は、何らかの政治的ステートメントに頼らずとも、「神秘的かつ現実的な異議申立て」を僕らの生活空間や現実空間に突きつける。彼女の作品におけるへテロトピアとしての沖縄は、今ここにある沖縄の現状を幻想であると告発し、今ある諸々の配置の混乱や未熟さを浮き彫りにすべく丹念に設計されている。あるいは彼女の仕事を特徴づける、〈他なるもの〉としての映像と音の混在は、音響を映像の補完物とする映画や映像を音の背景と見なすPV的映像の現状(通常空間)への異議申立てである。そう、そもそも映画とは、僕らが生きる〈現実空間〉を批評的に攪乱すべく設計され、創造されるへテロトピア(異貌の空間的ネットワーク)であったのだ。

 

映画「KUICHISAN」
製作・監督・脚本・編集:遠藤麻衣子
音楽:服部峻/小林七生/J.C.モリスン/加藤英樹/ブライアン・ハーマン/遠藤麻衣子
出演:石原雷三/エレノア・ヘンドリックス他
配給:A FOOL (2011年 日本、アメリカ 76分)

映画「TECHNOLOGY
監督・撮影・録音・編集:遠藤麻衣子
音楽:服部峻
出演:インディア・サルボア・メネズ/トリスタン・レジナート/スレンダー他
配給:A FOOL (2011年 日本、フランス 73分)

◎5月12日(土)よりシアター・イメージフォーラムにてレイトショー公開! 連日21時から「KUICHISAN」「TECHNOLOFY」交互の隔日上映!
www.kuichi-tech.com/

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