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【連載:IN THE SHADOW OF SOUL】[第107回]稀代のソングライター、ラモント・ドジャーのシンガーとしての顔

【連載:IN THE SHADOW OF SOUL】[第107回]稀代のソングライター、ラモント・ドジャーのシンガーとしての顔

ポップ音楽史上屈指のソングライター・チーム、ホランド=ドジャー=ホランドの一角を成した〈黒いバッハ〉ことラモント・ドジャーは、元祖ベイビーフェイス(童顔)でもあった……? 今回はいまも現役な御大の、シンガーとしての功績を振り返ってみよう!

 モータウン黄金期の制作チームとしてシュープリームスやフォー・トップスなどに数々の名曲を提供したホランド=ドジャー=ホランド(H=D=H)の一員で、その後に設立したインヴィクタスでもフリーダ・ペインやチェアメン・オブ・ザ・ボードなどを手掛けたラモント・ドジャー。そんな彼の最新作『Reimagination』は主にモータウン時代に提供した曲を自身で歌ったアルバムで、普遍的なセンスを持つ作詞家/作曲家としての非凡な才能を伝えると同時に、シンプルなバックの音が彼の優しく滋味深い歌声を際立たせ、シンガーとしての魅力にも改めて気付かせてくれる。そもそも彼はソングライター/プロデューサーとして出世する前からシンガーとして活動していたのだ。

LAMONT DOZIER Reimagination V2 Benelux/ヴィヴィド(2018)

 1941年生まれ、ミシガン州デトロイト出身のラモント・ドジャー。10代半ばの彼は、リオン・ウェアもいたとされるドゥワップ系グループ、ロミオズの一員としてフォックスから57年にデビュー。59年には、後にテンプテーションズの看板となるデヴィッド・ラフィン、グラス・ハウス~オリジナルズに加わるタイ・ハンターといった猛者たちがいたヴォイス・マスターズの一員として、ベリー・ゴーディJrの姉アンナが主宰するレーベル=アンナからシングルを発表。こうしてベリーが創設したモータウンに出入りするようになった。

 ソロ・デビューもアンナからで、60年にラモント・アンソニー名義で放った“Let's Talk It Over”では、彼独特の哀感の滲むエモーショナルで高いトーンのヴォーカルがすでに聴けるが、同シングル再発盤のカップリング曲“Benny The Skinny Man”での熱くエキサイティングな歌唱はジャッキー・ウィルソンからの影響も色濃い。チェス傘下のチェックメイトからのシングルを挿んで、62年にはモータウン傍系レーベルのメロディからラモント・ドジャー名義で“Dearest One”を発表。マーヴィン・ゲイに通じる甘くテンダーな歌声は大きなインパクトを与えなかったが、後にエルジンズの“Darling Baby”として生まれ変わるこのポップな曲がエディ&ブライアンのホランド兄弟と組んだH=D=Hとしての初仕事となり、これを機にラモントは裏方仕事に専念する日々が60年代後半まで続く。

 そんな彼がシンガーとして復帰の兆しを見せたのは、モータウン離脱を経てインヴィクタスが軌道に乗りはじめた71年末のこと。ニュー・ソウルの台頭も刺激になったのだろう。そこでブライアンと組んだのがホランド=ドジャーというユニットで、ラモントが切なく情熱的に歌い上げる“Why Can't We Be Lovers”(72年)で初めての全国ヒット(R&Bチャート9位)をものにしている。やがて名義をホランド=ドジャー feat. ラモント・ドジャーとしたのはソロ復帰への布石でもあったのだろう。古巣のモータウンと同じく西海岸に拠点を移したラモントはABCと契約し、壮麗なオーケストラ・ソウルをデトロイト・ノーザンの伝統をキープしながら歌っていく。未発表作を含む3枚のアルバムをABCで吹き込んだ後は、ワーナーでスチュワート・レヴィンやフランク・ウィルソンの助力も得て西海岸のメロウ・グルーヴに染まりつつディスコにも接近したアルバムを3枚リリース。情熱的だがテンダーな歌声はAORなど当時のアーバンなサウンドや時代の空気感と相性が良かったようで、81年にはコロムビアとM&Mから立て続けに2枚のアルバムを出したほか、フューチャー・フライトやズィンガラのプロデュースも手掛けていた。

 83年のアルバム『Bigger Than Life』がUKのみで出されたことは、その後の彼の歩みを示唆している。人力演奏の削減やMTVの台頭などによるアメリカ音楽業界の変化に伴い、多くのソウル・アーティストがヨーロッパに活動の場を求める動きが増えていったが、ラモントもそのひとりだった。80年代にはソングライターとして、アリソン・モイエ、フィル・コリンズ、シンプリー・レッドらのUKアクトにも楽曲を提供。デビー・ギブソンへの関与を経て久々のアルバムとなったアトランティックからの91年作『Inside Seduction』でフィル・コリンズと組み、エリック・クラプトンを招いていたのも、そんなUKでのコネクションに他ならない。同作では打ち込みの音に立ち向かうが如く力強いシャウトを放っていたのも印象深い。

 活動が落ち着いた90年代を経て、2000年代以降は裏方として頭角を現してきた息子ボー・ドジャーに刺激されるように、ジョス・ストーン、ニッキー・ジーン、ソランジュなどの作品に関わっていくが、それはクラシック・ソウルの再現がトレンドとなってきたこととも無関係ではないだろう。同時にラモントも自身のクラシックを振り返り、2002年には通販限定でセルフ・カヴァー集『An American Original』(2004年に『Reflections Of Lamont Dozier』として一般流通の改訂盤をリリース)を発表し、これがグラミー賞の〈最優秀トラディショナル・R&Bヴォーカル・アルバム〉にノミネートされて話題を集める。今回の新作もその延長線上にあるもので、もともと若さやパワーに頼ってこなかったぶん、その声は年を重ねても往時の印象とさほど変わりない。それは似た出自のリオン・ウェアなどにも言えることだが、歌声も(童)顔も昔から変わらない全米屈指のヒットメイカーにしてシンガーということではベイビーフェイスとの比較が相応しい人物でもあるだろう。ふたりがマイケル・ボルトンの“Why Me”(97年)でペンを交えていたことにも偶然以上の何かを感じるが、歌い手として表に立つ者の気持ちを理解しているからこそ、ラモントは裏方としても多くのシンガーに愛されてきたのだ。 *林 剛  

ラモント・ドジャーが参加した21世紀の作品を一部紹介。

 

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