『渋の光廊』Kenji Kanazawa/東京食堂 2013 渋温泉臨仙閣

十年前にはじまった温泉地と電子音楽と映像の冒険。
湯と土地の力が垣間見せる『藝能』の深層部を求めて

「都会から若者が音楽を聴きにくるのは良いけれども、君たちの音楽は湯治場の人達が聴いて面白いのか」森繁哉さんから突きつけられた言葉に、我々はすっかり頭をかかえてしまっていた。そんなこと言ったら、湯治場のじっちゃんばっちゃん達がエレクトロニカなんて興味ある訳がないではないか。

 温泉をテーマに作った『Over Flow』というコンピがきっかけで、東北最大の湯治場・宮城県鳴子温泉にて『鳴響』を開催することになった我々はいろんな壁と格闘していた。

 東北には「南部曲り屋」という独特な建築がある。馬小屋と人間の家がつながってる形態だが、これは本来であればくっつくはずのないもの同士が「連結」してしまうという、東北独特の思考を反映している。と名著「哲学の東北」で中沢新一さんが語っている。「連結」がなされるためにはお互いの違いと限界を認めなくてはならない。お互いを他者と認めた上で、そこから「連結」が可能なのだ。「踊る農業」の舞踏家・森繁哉さんとの対談とで構成されているその本にはそう書かれていた。

 そうして見てみると、東北の湯治宿には旅館やホテルに昔からの自炊宿が渡り廊下でつながっているパターンをよく見るのに気付いた。昔ながらの自炊湯治をする人も、観光でやってきた都会の人も、中で行き来が出来るようになっている。そうしてこの形式がとても東北的であることが理解出来るようになった。

 そんな東北の世界へのオマージュも込め、民謡のおじいちゃん佐藤民男さんによる《南部牛追唄》はじめ、露天風呂の湯船でよく聴こえて来る民謡を様々な電子音楽に仕上げたのが『Over Flow』で、安田寿之氏の名曲《Spa On the Moon》はここから生まれた。このCDを森繁哉さんに渡した時の反応は意外なものだった。「ああ、これはいいな。これは温泉でやるべきだ。いま温泉に面白い人沢山居ますから、紹介します」と森さんはすっかり盛り上がっていた。

 とまあ、それがはじまりだったのだ。そうして森さんに山形県の月山山麓にある肘折温泉に招かれたのだが、その日はちょうど開湯伝説から1200年の記念日で、白装束の山伏たちが松明と御神湯を担いで行列する光景が広がっていた。東北各地からは〈現代湯治サミット〉と題し、湯治場の明日を担う若旦那が集まっていた。そこにいたのが鳴子温泉でアートフェスを開いていた大沼さんだったのだ。我々は熱っぽく鳴子温泉で電子音楽をやるプランを語った。もしかしたら我々は森さんの罠にはめられていたのかもしれない。孤軍奮闘している大沼さんのところに我々を送り込んで、化学反応を起こそうとしたのかもしれない。

 鳴子を訪れたある日、鳴子こけしの継承者のひとり岡崎斉一さんの店でいろんなこけしを見せてもらっていた時のこと。Firoさんが突然意外なことを口ばしった。「ここでライヴをいっしょにやりませんか」一瞬その言葉に耳を疑ったが、すぐにそこから自分にも何かが降りて来た。岡崎さんのこけしを削る音をサンプリングして、その場で音楽を組み立てよう。こけしを削る音とのセッション。むしろ岡崎さんがセッションのリーダー。音楽になるかどうかもわからないいろんなごっちゃごちゃを巻き込みながら、そうして『鳴響』がスタートしていった。音響を露天風呂に飛ばし、温泉に浸かりながらも聴ける大広間でのライヴを中心に、いにしえの田楽のごとくの「田植えライヴ」では農家の高橋さんと田んぼに電源引く方法考えたり、ドラムの配置を考えたり、来年はレンコンを植えたいという夢を聞かせてもらったりしながら、森繁哉さんの踊りとアラゲホンジによるライヴが実現していった。

 こうした試行錯誤は既視感があった。まだ存在していないものを実現させるために、互いにいま自分たちの力で出来るものを駆使して形にしていく。クラブシーンの黎明期、フリーペーパーなどを通して諸先輩達の背中を見ていたあの感じにとてもよく似ていた。おそらく温泉地の人達もなんだかんだ似たような感覚を共有していたような気もする。あの感覚はとても幸福な感覚だった。

 こうしたことを通して、アーティストたちの音楽も変化していった。こうした中から生まれたのがFiroの『Tender grain』であり、Coupieの『オリエントノルドからの旋律』だ。東北の世界観や風景が電子音楽と結合して他にはちょっとないタイプの音楽に仕上がっている。

 東北のほかに質の高い温泉が集中している地域に北信州の山間部がある。野沢温泉や渋温泉と、どこも山の中にこつ然とあらわれるちいさな都市のような印象を持ち、古くからの素晴らしい湯が湧いている。ひょんなご縁から渋温泉の宿多喜本にお世話になったとき、「鳴響」の映像を見せる機会があった。いつしかその場には温泉街の若手メンバーが集まって来た。そのうち若旦那の関宗陽さんが「これ、ここでもやったら面白いよなあ」とぼそっとつぶやいたのが、渋温泉『渋響』のはじまりであった。

 渋温泉や北信州の温泉街の歴史はじつに古く、〈惣村〉と呼ばれる室町時代にさかのぼる村の自治のしくみが現在も温泉を守っている。中世には〈乙名〉と呼ばれる長老格が村の決定権を持ち、息子達の組織〈若衆〉が力仕事を担う暴力から村を守るしくみでもあった。渋温泉でも旅館の息子達の〈青年部〉という組織があり、地元の人達は青年部のことを〈ワケショ〉と呼ぶ。彼らはおそらく中世からの〈若衆〉組織の名残りなのだ。日本でいちばん古い地域のひとたちと、いちばん新しい事をやる──『渋響』のコンセプトはすぐに固まった。

 信州の古い温泉地の魅力を前面に出し、音楽がそのバックアップをする。温泉街最長老のおばあちゃん松田れい子さんの紙芝居、温泉芸者さんの三味線、蕎麦打ち…本当にいろんなひとの力で実現にこぎ着けたことには今なお感謝しかない。

 最大の転機となったのは2011年の東日本大震災だった。渋温泉の青年部は被災地へタンクローリーで温泉を届けに行っていたのだが、翌日の湯の補給をするにもお湯がなく途方に暮れていた。そこで鳴子温泉の大沼さんを紹介したところ、二つ返事で湯の補給を快諾してくれた。そうして被災地には渋温泉の青年部の手で鳴子温泉のお湯が届けられる事になったのだ。まさかこんな形でふたつの温泉がつながるとは思っても見なかった。そして不安な状況の中で開催に踏み切った『渋響』では、東京から来たお客さん達が皆が皆ほっとした顔をしていたのを忘れる事が出来ない。そのとき、我々は改めて温泉の本質というものを強く確信させられた。温泉は昔から、痛めつけられた人々を受け入れ、生きる力を与えて帰す、という場だったのだ。

 温泉には死と再生のモチーフが細部に至るまでデザインされている。極楽浄土のごとく、異界としての温泉。

 そうして2013年には出発点の肘折温泉で『肘響』を開催することになった。肘折は鳴子とは対照的な湯治場で、湯にはお地蔵様が祀られ、聖性すら帯びた人々の湯への信仰が色濃く残る霊場のような温泉だ。

 三つの温泉地をつないだときに気付いたのはこういうことだ。それぞれの温泉地はそれぞれの事情にあわせて近代化させながら、それぞれの古い形が残っている。温泉を守るしくみが渋温泉に残り、圧倒的な湯の力が鳴子温泉にはあり、「聖性」のようなものが肘折温泉にはある。こうした古い温泉地をつないでみることで、いまはもうどこにも存在しない古い温泉地の形がうかびあがってくるのではないか──。

 そうして音楽の側から温泉の本質のようなものに近づいて行くと、日本の古い形のあらゆる『藝能』の中には、温泉とよく似た“死と再生”というテーマが貫かれていることに気付いたのだ。音楽や絵画にとどまらず、詩歌、手工芸、茶の湯に至るまでにかかわる日本の古い形の『藝能』の最深部が、温泉と共通のテーマを持っていることが湯を通して開かれて行く、そんなヴィジョンすら見えてくる。

 そうして我々は改めて思い知らされるのだ。「温泉をデザインする音楽」というお題をいただいていたが、デザインされているのは、我々のほうではないかと。

 


寄稿者プロフィール
星 憲一朗 (KenIchiro Hoshi)

涼音堂茶舗代表。2008年より鳴子温泉はじめ古湯と呼ばれる温泉地にて『鳴響』『渋響』『肘響』を開催。舞踏家で民俗学者の森繁哉氏との越後妻有アートトリエンナーレ「大地の芸術祭」や秋田県上小阿仁村、アニメーション監督森本晃司氏との和歌山県紀美野町など、各地で藝能藝術と歴史民俗学双方の観点から地域の深層を発掘し作品に落とし込む調査と制作の中間のような作業を行っている。

 


LIVE INFO

鳴子温泉で久々に開催される『鳴響』のちいさなスピンアウト企画
『ちいさな鳴響スピンアウト「こけし・美・静寂」』

○7/28(土)29(日)
会場:鳴子温泉こけし堂/ゆのまちたびの好日館
www.ryoondo-tea.jp/