COLUMN

「ブーレーズ/ケージ往復書簡 1949-1982」 巨人二人の交差する、歴史的記録を吟味せよ

巨人二人の交差する、歴史的記録を吟味せよ

J.=J. ナティエ,R.ピアンチコフスキ,笠羽映子 ブーレーズ/ケージ往復書簡 1949-1982 みすず書房(2018)

 ピエール・ブーレーズ(1925-2016)とジョン・ケージ(1912-1992)。欧州前衛の主導的作曲家/指揮者と、米国実験主義の発明家気質の作曲家。全くタイプが異なる青年二人の間には、一時的であれ、制作の進捗を報告し合い、互いの作品を母国にて紹介し合う程の熱い友情で結ばれていた。序盤の書簡には、ケージのプリペアド・ピアノ作品をパリの観客に熱心に紹介する1949年のブーレーズの文章がある。そして『易の音楽』(1951)やセリー主義の作曲的方法論が開陳されるかと思えば、シェーンベルク、ベルク、ヴェーベルン、ドビュッシー、サティ、ストラヴィンスキー、コープランドなどの先輩格から、シェフェール、バビット、ウォルフ、フェルドマンといった二人の同世代の音楽家まで多岐にわたる音楽的潮流に対し、時に辛辣な意見の応酬があり、さらにマラルメ、ジョイス、パウンド、カミングスなど文学やフィリップ・ガストンなど造形芸術に関する共感までが(若輩者のブーレーズが教わることが多いのだが)記されている。この共通の関心はやがて薄まり、本格的な偶然性に至るケージと、あくまでも管理された偶然性を主張するブーレーズは決別することになるが、言うまでもなく、その後のアメリカとフランスの音楽史の流れと密接にリンクする。

 また、90年代から噂され、ようやく実現したこの邦訳は、日本の大学図書館などで手に取ることが容易なジャン・ジャック・ナティエによる初版(1990)のケンブリッジ大学出版による英訳版(1993)からではなく、改訂新版(2002)ピアンチコフスキ/ナティエ編からの邦訳となることにも注意したい。

 ピアンチコフスキは前置きに、ブーレーズ寄りのナティエ編と比較し、いずれの側にも傾斜することない、選り好みのない編集を心がけたと書いている。書簡の日付には若干修正が見られ、冒頭にブーレーズのプリペアド・ピアノ紹介文の前に書簡一つ、また元々62年までだった書簡に82年のケージ70歳の誕生日を祝ったブーレーズの手紙が追加され、歴史的に断定される傾向をなるべく回避する試みが見られる。例えば、54年以降4年にわたる書簡の欠如は、両者の方向性が決裂し関係が冷めたせいとされるが、手紙が単に紛失した可能性も示唆する、という風に――。

 両者ともしばしば間違った外国語を使用し、その上書簡が書かれた状況もまちまちであるから、翻訳は難儀だったに違いないが、平面的な分かりやすい意訳をすることなく、元の文脈にできる限り誠実な逐語訳であろうとする。慎重な編集と訳者の努力によって、若かりし頃の作曲家二人の思考を反芻し、さらには多角的に音楽史の可能性を吟味する機会が、今ようやく日本の読者に与えられたと言えるだろう。

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