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カマシ・ワシントンはお金のあるサン・ラー!?

村井「おもしろいなと思ったのは、今回、ジャケットの写真でカマシが水の上に立っていますよね。すぐに連想するのは、イエス・キリストが水の上を歩くという聖書の話で、たぶんそれを意識して作ったんだと思います。

キリスト教的なイメージは、曲名などもそうですが、音楽的にもクワイアが入っているわけですし、宗教的な雰囲気がどうしても漂うよね。だけど、宗教音楽ではないというのがおもしろい」

柳樂「クワイアが入っていて、この顔でやられると、もう〈ハレルヤ!〉っていう感じがするじゃないですか(笑)。だけど、本人は〈ストラヴィンスキーだ〉って言うんですよ。教会旋法とかがもともと好きだったみたいで、だから、必ずしも〈ブラック・カルチャー〉だけの話ではないんですよね」

村井「コルトレーンの死後、彼が遺した演奏にアリス・コルトレーンがオーバー・ダビングした『Cosmic Music』(68年)という作品があるんです。あの作品特有の胡散臭さがあって、みんな引いたんですが(笑)、カマシはそれを50年後に洗練されたものとして提示しつつ、スピリチュアルな感じを消しているわけでもないのがおもしろいですね。

一方で、アルバムの作り方やキチッとしたイメージをちゃんと提示して効果的に伝える方法、あるいは組織論理的なところはすごくうまいなと思います。ある意味、大変有能なビジネスマンでもあるのかなという気はします。

だから、ひとりのミュージシャンというよりリーダーという感じですよね。その意味では、今後、デューク・エリントンのような雰囲気が出てくるかもしれないね」

ジョン・コルトレーンの68年作『Cosmic Music』収録曲“Reverend King”

柳樂「サン・ラーとかね」

村井「そうそう。〈お金のあるサン・ラー〉というか(笑)。エリントンは、自分の音楽を表現するために素晴らしいメンバーを集めて、でも、ほぼメンバー・チェンジはなく、何十年もやっていましたよね。

エリントンのバンドって、普通のビッグ・バンドとは違うんですよ。彼の個人的な音楽だけどビッグ・バンドの音楽という感じで、カマシの今回のアルバムを聴くと、そういう感じがするんだよね」

柳樂「カウント・ベイシーとは違いますもんね。このフレーズはこの人の音色じゃないとダメっていうのが明確に決まっている。そういう意味では、カマシにはエリントン的な側面はあるかもしれません。〈作編曲家/プロデューサー〉という感じなんですよね。

『Jazz The New Chapter 5』は、サックス特集をメインにしているんです。カマシとケイシー・ベンジャミン、マーク・ターナー、ダニー・マッキャスリン、ウォルター・スミス3世、ベン・ウェンデルという、いまを代表するサックス奏者に話を訊きました。

カマシはサックスの話題にはあまりノらないんですよ。でも、〈作曲家〉という話題についてはノリノリで話をするんです。〈音楽性に合わせてこういうフレーズがある〉〈サックスの演奏の研究もしたけど、この演奏家は音楽性も含めて好きなんだ〉といった話をするので、極めてプロデューサー的な音楽家なんですよね」

村井「なるほどね」

柳樂「フジロックのバックステージで必死で譜面をコピーしていたっていう話を聞いたんですよ。譜面を書いて、ライブの直前まで直すらしいんです。今回はその要素がかなり強いんですよね。そもそも曲の書き方がジャズの作曲方法とは違うとはっきり言っていましたし。ジェラルド・ウィルソンのビッグ・バンドにいたからというのもあるんでしょうけど。

あと、ビッグ・バンドのわりにはバラバラのメンバーしか集めない。すごく丁寧に譜面を書いているくせに、音をそろえる気はないっていう(笑)。カマシのバンドは、ドラムの2人もバラバラだし、〈譜面通りにやってね〉なんて言ってもしょうがない――特に、ロナルド・ブルーナーJr.は。ライブを観ると、あきらかに片一方の音のほうがデカいんですよね(笑)。もう1人のトニー・オースティンがロナルドに合わせてあげている。でも曲によってはロナルドとトニーの立場が逆になることもある。

それは、音楽的なコンセプトである〈多様性〉というところに繋がると思うんです。そういうところが実は、すごく魅力なんじゃないかなと」

『Heacven And Earth』収録曲“Fists Of Fury”のライブ映像

村井「そうだよね。ライブも、カマシをサックス奏者として観に行くというより、バンドを観に行くっていう気持ちが大きい。だから、サックス奏者というより、ひとりの音楽家としてカマシを認識しているんですね。

昔のミュージシャンは何よりサックスが第一であって、ついでに〈あっ、作曲もやりましたか〉っていうふうなんだけど、カマシは曲とサウンドを作る人っていうイメージが強い気がします」

 

ファラオ・サンダースのマネは10代のときの遊び

村井「編曲家といえば、ギル・エヴァンスはすごく変な人で、きちんと譜面を書いてバランスを気にするのに、〈こいつらは絶対に合うわけがない!〉っていう人だけを集めてくる(笑)」

柳樂「ビリー・ハーパーとか日野皓正とかね(笑)」

村井「そうそう。ジョージ・アダムスとビリー・ハーパーじゃ、ハモんないでしょう(笑)。それはわざとやっていて、そっちのほうがおもしろいんだ、自分が書いたものを裏切るくらいの人がいないとつまらないんだと」

柳樂「確かに、『Heaven And Earth』はギルが晩年、エレクトリックになった時期の作品に似ているかもしれないですね。ジミヘンの“Little Wing”とかやってた頃の」

村井「そうですね。だから、カマシは〈自分のサックスの演奏も素材のひとつ〉みたいな、わりとクールな態度なんですよね。自分の演奏をどれだけ引き立てるかを考えて曲を作っているのではなさそう」

柳樂「メチャクチャ吹きまくってる曲もありますけど、それも必要に応じて演じているんじゃないかなと(笑)。陶酔して吹きまくるファラオ・サンダースみたいなスタイルではないんです。

インタビューでは「高校生の頃にアヴァンギャルドなバンドをやっていて、ファラオ・サンダースみたいなことをやって遊んでたけどね(笑)」と言っていました。〈俺はそういうのじゃないよ〉っていうふうに。コルトレーンは好きだけど、ファラオは10代のときの遊びっていう感じ」

村井「技術的な問題とか、あるいはフレージングの問題とかにおいて、サックス奏者としてコルトレーンは研究をするに値するけど、ファラオは値しないっていうことでしょうね。まあ、みんなそう思っている可能性はあるんだけどね(笑)」

柳樂「最近出たマイルス・デイヴィスの『Kind Of Blue』(59年)の頃のオフィシャル・ブートレグ(『The Final Tour: The Bootleg Series Vol. 6』)を聴いたんですけど、コルトレーンって、すごく考えながら吹くじゃないですか。何をやるのかは必ずしも決まっていないし、試しながら吹いて、〈あっ、違うかも〉みたいな感じで」

マイルス・デイヴィスの2018年作『The Final Tour: The Bootleg Series Vol. 6』収録曲“So What”

村井「だんだん長くなって、終わらなくなっちゃうんですよね」

柳樂「そうそう。そういう迷いは、カマシには一切ないんです。ライブでも吹くことが明確に決まっていて、すごく構成的なソロを取るんですよね」