TOPの名声を頂点に君臨させ続けたホーン・セクションの活躍

 TOPがロック・ファンも含めて現在も多くのリスナー間で一定の知名度を保っているのは、創設メンバーのエミリオとクプカを筆頭に、アレンジャーとしても名高いグレッグ・アダムズ(トランペット)らホーン隊の活躍があったからだろう。個々でも活躍するメンバーたちは、70年代初頭からTOPの躍進と並行してタワー・オブ・パワー・ホーン・セクションなどの名義でサンタナやグラハム・セントラル・ステーション、ルーファスらさまざまなバンドの録音にチームで参加してきた。

 ブラス・ロックからの流れもあって大所帯のホーン・セクションはロック方面からの需要も多く、エルトン・ジョンの“The Bitch Is Back”(74年)やロッド・スチュワート『A Night On The Town』(76年)といった名曲/名作でも彼らは欠かせない役割を果たしている。その存在をさらに大きくしたのはライヴに帯同もしたリトル・フィートとの縁で、シンセの導入やディスコの流行によってTOP内でもホーン隊の重要度が下がっていったのに対し、TOPホーンズはAORやジャズ/フュージョンなどバンド外に活躍の場をどんどん広げていった。

 トレンドの様相が完全に一変した80年代にTOP本隊は受難の時期を迎えるも、ハートやヒューイ・ルイス&ザ・ニュースらに起用されたホーンズは引っ張りだこ状態で、LA録音された日本の作品でも数多く演奏。90年代には生音の復権もあって同郷の後輩トニ・トニ・トニが“Wild Child”(96年)にグレッグらを迎えたり、ジャム・バンドの元祖たるフィッシュの作品に招かれたこともあった。

 なお、日本との縁で言うと、グレッグがアレンジしたかまやつひろし“ゴロワーズを吸ったことがあるかい”(75年)や、RCサクセションの傑作『シングル・マン』(76年)が来日時のTOPによって演奏されたことはよく知られた話である。 *出嶌孝次

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