Page 2 / 4 1ページ目から読む

人間に近づいてきたことへの戸惑い

――歌に近づいているというのは、近年ceroに参加して、彼らの言葉に触れていることの影響もあるのかなと感じたりするのですが。

「もちろん影響はとても受けていると思います。だけどそれより社会というものがどんどん私の体に入ってきてるのを感じているということのほうが大きいです。そして、どちらかといえば、それに、戸惑っているんです。今回、自分の作品として大きく触れてみた〈言葉〉という方法は、その戸惑いの過程として出てきたと思います。

自分が人間に近づいてきたことへの戸惑いというか。私は、ただ生きているこの世の一点としての生き物なだけでいたいんですけど、なんだかどんどん人間になっていく。体も社会的にも。そういったことを消化したい気持ちも、曲の形が変化することに表れているのかもしれないですね」

――〈Ya Chaika(ヤー・チャイカ)〉とは、どういう意味なんですか?

「ロシアで初めて宇宙に行った女性飛行士(ワレンチア・テレシコア)が、地球と交信したときの第一声が〈Ya Chaika〉だったそうで、〈私はカモメ〉という意味なんです。でも、カモメって飛んでいくし、旅をする生き物だし、女性が自分のことを〈カモメ〉と言ったのが、すごくかっこいいなと思って。実際はカモメじゃなくて人間なのに」

――いつ頃知った言葉なんですか?

「池澤夏樹さんの短編のタイトルとして、ずっと前に知りました。その小説は中学生くらいの女の子が主人公で、ロシアの宇宙飛行士とは直接関係ないんですけど、すごく好きな短編で。〈ヤー・チャイカ〉っていう言葉の響きも好きだったから意味を調べていたら、女性飛行士の話も出てきたんです。一人で、宇宙で、どんな気持ちで地球に向かってこの言葉を発したのかな、とかいろいろ想像して。それから、いつか出す次の作品はこのタイトルにしようと思ってました」

※88年作「スティル・ライフ」収録の「ヤー・チャイカ」

――その〈いつか〉が今だった理由ってあるんですか?

「この2~3年で自分がどんどん年老いてきて、昔は性別の自覚もあまりなかったのが、どんどん身体も丸く女性っぽくなってきてると感じていて。さっき言ったような、自分が人間に近づいてきたことへの戸惑いですね。あと、女性特有の心の移ろいとかにも興味があって、女性をよく見るようになっていた時期で。そんなときに、〈私はカモメ〉の話を思い出して、しっくりくるものがあったんだと思います」

――ジャケットの、女性を描いたドローイングも素敵ですね。

「2年前くらいに、友人であるアーティストの益子悠紀さんがSNSに載せていた一筆書きのドローイングなんです。一目見たときからいいなあと思っていて、実はファースト・アルバムのジャケットの候補にもなっていたんです。この女性の表情も体つきもすごく好きで、内ジャケットはまた別の女性のドローイングなんですけど、そっちもお気に入りです」

――それも『Ya Chaika』のタイトルと一緒で、いつか使いたいと思っていた作品だったんですね。

「そうなんです。それが今だった」

 

人と一緒にやるのって、足をもう一本つけるみたいに自分の体が拡張するおもしろさがある

――『Ya Chaika』には前作以上に多彩なメンバーが参加していますよね。みんなそれぞれの関わり方で角銅さんと音楽を作ってきた人たちですけど、レコーディングでは彼らにどういうふうにやりたいことを伝えるんですか?

「わざわざ自分以外の人間と一緒にやるからには、建物を作るような緻密なコンポーズより、〈状況〉を作りたいんです。ちょっと振り回すみたいだけど、その人の演奏で私が好きな面がうまく出てほしいなと思うから、譜面とかは渡さないで口だけで伝えたりもします。引き出す、という言い方はおこがましいですけど、同じことを伝えるのでも相手によって違う言い方をしてみたり。今回の録音は、そうやってライヴを重ねて固まったものを〈せーの〉で録った曲も多いです」

――クリエイターやミュージシャンのなかには、頭の中にあるものを忠実に再現する、というモチベーションでやっている人もいると思いますが。

「私、実は〈再現する〉ってことに全然興味がないんです。〈こんなふうにしよう〉というのはハッキリとあるけど、その場で起きた事故とか、びっくりすることって好きだから。そもそも音楽は再現されるその場所や状況で意味合いが変わってしまうし。

だから、やりたいことの芯がハプニングのなかでも強く立ち上がり得るものであるか、ということは自分以外の人と自分の音楽を共にするとき、逆にすごく考えます。生きてる人って予測不可能じゃないですか。関係性があるから予測可能な部分もありますけど、曲を書きながら、その関係性や状況の中で起こりうるあらゆる楽しいハプニングについて、いっぱい想像をします」

――大編成のタコマンション・オーケストラもスリリングですけど、先日(7月16日)渋谷7th FLOORで行われたタコマンション・トリオでのライヴでは、セットリストにない曲をいきなりやったそうですね。後で岩見(継吾)くんに聞いてびっくりしました(笑)。

「あれ、おもしろかったあ。元々ソロでライヴするときは計画はあれど、始まってしまえばノープランというか、瞬間瞬間に思うことをやるのに集中することが多いんですが、あのライヴのときもその調子で、決めていた曲順とは違う曲のピアノを良かれと弾きはじめちゃって。そしたらみっちゃん(光永)がピアノとシンバルの隙間からじっと私を睨んでました。〈なんかやりはじめたな……〉って(笑)。

でも、あの瞬間はみんなを振り回すのがちょっと楽しくて、次はどうくるかなってドキドキしながら様子を見ていました。終わった後〈びっくりさせてごめんやった〉って謝りましたけど、演奏はかっこよかった!」

――Songbook Trioのライヴもおもしろいですよね。なにしろ、石若くんがドラムを叩かずにピアノですし。あのトリオも基本的には即興?

「人とやるのって、単純に自分の体が拡張するようなおもしろさがあるんです。足をもう一本つけるみたいな。タコマンション・オーケストラやトリオはその違和感が楽しい。逆に石若くんとのトリオは、その異物感がない。空を飛べる感じなんです」

――この3人なら空を飛べる、みたいな?

「そうですね。空を飛べるとか、速く走れるとか、そういう感じです。ひとつの体を共有しているみたい。このトリオももっと変化していくと思ってます」

Songbook Trioの2017年のライヴ映像

――角銅さんはソロ以外にもいろいろな活動をするなかで、そのどれかが突出してるというより、どれも一緒にあるような感じ? 切り替えはどうやっているんですか?

「全部一緒にある感じです。切り替えるほど器用でもないし、基本的に演奏って今生きてることのサンプリングと捉えている面もあって、今思ってることに向き合って問い続ける、そういう自分が真ん中にいて、活動によってその立ってる場面が変わるだけみたいな感じです。でもそうすると、自分と場面の接した面に滲む色に違いが出る。そこは注意してよく見たりします」

――そういう自由さが、例えばceroでの演奏にもいい意味で出ていますよね。もちろん構築的な音になってるんだけど、角銅さんが何かを強制させられてる感じはしない。技術を誇示して〈ここのプレイがすごい〉とかではなく、演奏する楽しさ、知らないところに向かうワクワク感みたいな部分を角銅さんは担ってると思うんです。

この間の〈フジロック〉も本当に楽しそうで、同日の昼間にやっていたアンダーソン・パークとも通じる楽しさを僕は感じました。もちろん決め事はあるんだけど、やってて楽しいし、思ったことをそのまま表現していくことに忠実でないと、あの雰囲気は出ないなと思ったんです。

「ceroはすごいですよね。やってて楽しい。あらゆる状況を内包し得る曲や音楽の強度、ミュージシャンのみんなのパフォーマンスの音楽的強度がすごい。いい刺激をもらってるし、豊かな現場にいるなと思ってます。ただ、私自身は別に変なことや特別なことをしようとは思ってなくて、ラテンのパーカッションとかを勉強したりもしてるし、すごく真面目にやってるんです。ただやっぱり、いざ音を出すときは、一度ゼロにして、その場の瞬間瞬間に集中して、目の前の時間のことをやろうってなります」

角銅が参加しているceroの2018年のライヴ映像