©Seiji Okumiya

武満徹 × 谷川俊太郎 × のん
バッティストーニ&東フィル
「BEYOND THE STANDARD」第2弾で3人の才能がひとつに!

『BEYOND THE STANDARD』アンドレア・バッティストーニ&東京フィルが熱い!

 日本コロムビアのDENONレーベルが今年4月から始動させたレコーディング・プロジェクト「BEYOND THE STANDARD」が今、熱い! 東京フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者であるイタリア出身の若き俊英、アンドレア・バッティストーニと同楽団により、王道クラシック(古典派~ロマン派)の名曲と日本人作曲家の傑作をカップリング録音し、時代や国家を越えた新たなスタンダード盤としてリリースする、このシリーズ。第1弾であるドヴォルザークと伊福部昭の組合せも大いにセンセーションを巻き起こしたが、10月にリリースされる第2弾の内容も鮮烈だ。

ANDREA BATTISTONI,東京フィルハーモニー交響楽団,のん チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」/武満徹:系図-若い人たちのための音楽詩- コロムビア(2018)

 今回はバッティストーニにとっては鉄板レパートリーのチャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」と、日本を代表する作曲家であり、レコーディング現場である「東京オペラシティコンサートホール:タケミツメモリアル」にもその名が刻まれている、武満徹が最晩年に残した管弦楽作品をカップリング。この〈系図(Family Tree)-若い人たちのための音楽詩-〉はニューヨーク・フィルハーモニックの創立150周年を記念して委嘱され、1995年4月20日にレナード・スラットキンの指揮で世界初演された「語りとオーケストラのための」作品。武満の盟友である詩人・谷川俊太郎の詩集『はだか』(1988年、筑摩書房刊)から作曲家自身が6篇を選び、すべてを少女の一人称として再構成したテキストを、精妙なオーケストレーションにのせて朗読する、独創的で美しい作品だ。語り手は(スコアの記載では)10代半ばの女性が望ましいとされ、初演ではサラ・ヒックスという少女がこの役を務めた(※テキストは英語訳を使用)。ユニークなのは、並行して谷川とも打ち合わせを行いながら映像版も製作され、初演直後の5月4日にNHK総合テレビで放送されたこと。この時は指揮・岩城宏之&NHK交響楽団の演奏で、当時15歳だった女優・遠野凪子(現・遠野なぎこ)の語りと共に、(鮎川誠が父親役を、阿木燿子が母親役を演じた)セットやロケによる撮影映像などが使用された。そして、オリジナル・テキストによる舞台初演は同年の9月7日、同じ遠野の語りで、指揮・小澤征爾&サイトウ・キネン・オーケストラにより、松本文化会館(サイトウ・キネン・フェスティバル松本)にて行われた。

 同フェスティバルのプログラムによると、武満は委嘱以前に指揮者のズービン・メータから「子どものための音楽を書くことに興味はないか」と言われたことを思い出し、それも契機となって「殊に若いひとたちのために、なにか、おだやかで、肌理こまかな、単純(シンプル)な音楽」を書いてみたくなって「その時、すぐ頭にうかんだ」家族というテーマでの作曲を思いついたのだという。そして「家族というものは素晴らしいものです。なぜなら、それはこの社会での、最小ではあっても、最も純粋なユニットだからです。そして、それは外へ向かって開かれるダイナミズムを秘めたものです。だが、同時に家族という単位は、そこにある種の危険性を抱えてもいます。それは時に、外に向かって開かれるべき力が、内へこもって閉ざされ、排他的になってしまうことです」と語っているように、「家族」というものを単に深い愛情で満たされた安らぎの空間のように捉えるのではなく、「外の世界と自由に対話することが可能な、真の自己というものの存在について少しでも考えてもらえる」場所となることを意図していた武満にとって、テキストとして谷川俊太郎の作品ほど、ぴったり相応しいものは他にはなかったかもしれない。


谷川俊太郎『はだか』~子どもたちに楽しい詩を届けたい

 『はだか』は1970年代から谷川にとって主流のひとつとなる「ひらがなだけの詩」のジャンルに属する詩集。同ジャンルには谷川の平仮名の持つ音やリズムで現代詩が失った音韻性を回復したい、という想いと共に、子どもたちに楽しい詩を届けたい、という願いが込められていると思われる。しかし、山田馨も『自選 谷川俊太郎詩集』(岩波文庫)の解説で述べているように、この詩集には「子どもがかかえる心の闇と、谷川俊太郎という人間の不気味さがあらわれている」という解釈も肯ける。「ぼくもういかなきゃなんない」という1行に始まる〈さようなら〉を冒頭にした23篇からなるこの詩集の根底に流れるテーマとは、子どもの視点で捉えた「死のイメージ」なのではないだろうか。そして武満が23篇の中から6篇を選び、〈むかしむかし〉〈おじいちゃん〉〈おばあちゃん〉〈おとうさん〉〈おかあさん〉〈とおく〉の順に再構成して繋ぎ《系図((Family Tree))》という作品を作り上げたことによって、そのテーマがより明確になった気がするのだ。

 これはあくまで私見だが、《系図》の少女は〈むかしむかし〉で先ず、自分が誕生する前の世界について想像を巡らせ、なぜ自分がこの世に生まれてきたのか、その理由をみつけようとしている。そして「死」が間近に迫っている〈おじいちゃん〉や〈おばあちゃん〉がそれをどのように受け入れようとするかを興味津々で見守り、一方ではまだ「死」とは縁遠いように思える〈おとうさん〉と〈おかあさん〉が、それぞれのやり方でどうやっていつか必ずやって来る「死」の恐怖から目を反らし、今を生きているのかをじっくりと観察しているようにみえる。そして彼女は最後の〈とおく〉という詩の中でぼんやりと自分の「死」を想い、生きているうちに何をするべきかについても考え始めている。思うに武満の《系図》は、「家族」という身近な存在を通して「生と死」をみつめるひとりの少女の姿を描いた物語なのだ。


『この世界の片隅に』すずの声の〈のん〉が、武満&谷川ワールドでのその才能を開花!

 本プロジェクトでそんな語り手の少女役を演じるのは、女優であり歌手としても活躍中の〈のん〉。NHKの朝ドラで大ブレイクを果たした後、ロングラン・ヒットとなった劇場アニメ《この世界の片隅に》(2016年、片渕須直監督)で、太平洋戦争中の広島・呉で日々を健気に生きるヒロイン〈すず〉の声を担当し、その神がかった仕事ぶりで国民的好評を得た彼女が、武満&谷川ワールドでもその底知れぬ才能を開花させている。

 〈のん〉「谷川俊太郎さんの詩を朗読したことは以前にもありましたが、今回はどうやって読めばいいんだろうって凄く悩みました。主人公は家族がいるのに孤独を感じている女の子…お風呂場のおじいちゃんも、家族に看取られるおばあちゃんも、ご飯を食べているおとうさんも、家を出て行ったおかあさんのことも、みんなよくわからなくて、淋しいと思って見ているけれど、それを敢えて口には出さずに、ただ遠くに行きたいと願っているような。うちの両親はもっとわかりやすくて、何を考えているのか子どもの私にも透けて見えるような人たちだったので(笑)とても不思議なかんじです。でも最後の〈とおく〉でいなくなっていた犬のゴローがひょっこり帰って来て、彼女がそれについていろいろと想像を巡らすところは好き。オーケストラと共演するのも初めての体験で、気持ちのいい曲が流れてきたかと思うと、急に不安そうなメロディが覆い被さってきたり、タイミングを掴むのが難しかったです。でも普通の朗読劇と違って、武満徹さんの音楽の一部になれたような気がして、とても光栄な気持ちです」【レコーディング時のインタヴューより】

 武満が《系図》で書いたのは調性を積極的に用いた甘美な音楽。これについては本人も「単なる郷愁で調性を択んだのではなく、調性というものを、この世界の音楽大家族の核にあたるものだと信じているから」とコメントしている。小沼純一は『武満徹 その音楽地図』(PHP新書)で本作の特徴的な響きを「下降する音型」「どこかで親しんだことのあるような懐かしいメロディ」「三つの音が二回、合わせて六つの音が分散和音のように響く音型」と3つ挙げており、これらを含んだオーケストラの調べが【のん】の声に寄り添い、包み込むようにしてゆったりと流れて、時空を超えた永遠の世界へと誘う。特に最後の〈とおく〉の結び「でもわたしはきっとうみよりももっととおくへいける」に【のん】が込めた感情表現は、そこに重なるアコーディオンが演奏するシャンソン風の旋律と相まって、この「生と死」をみつめた物語に「希望」や「救済」の光を投げかけているように思われる。「武満徹 × 谷川俊太郎」による傑作オーケストラ作品に、待望の決定盤が生まれた!

 


のん(Non)
1993年7月13日生まれ、女優・モデル・創作あーちすと。映画『この世界の片隅に』では主演声優を務める。2017年11月に初シングル「スーパーヒーローになりたい」を発表。2018年1月に2ndシングル『RUN!!!』、5月9日に、ファースト・アルバム『スーパーヒーローズ』をリリース。アートブック『女の子は牙をむく』(パルコ出版)が発売中。

 


Andrea Battistoni(アンドレア・バッティストーニ)
1987年、伊ヴェローナ生まれ。東京フィルハーモニー交響楽団 首席指揮者。2013年1月よりジェノヴァ・カルロ・フェリーチェ歌劇場の首席客演指揮者に、年間にオペラ2作品、交響曲公演2プログラムを指揮する3年契約で就任。2016年10月、東京フィルハーモニー交響楽団首席指揮者に就任した。

 


寄稿者プロフィール
東端哲也(Tetsuya Higashibata)

ライター。1969年徳島市生まれ。立教大学文学部日本文学科卒。音楽&映画まわりを中心としたよろずライター。インタヴュー仕事が得意で守備範囲も広いが本人は海外エンタメ好き。
twitter@batajan