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音楽そのものの楽しさ

 79年作『Risque』を出した頃の絶好調ぶりは、ナイルとバーナードがシック・オーガニゼーションとしてシックの作法を持ち込んで手掛けたシスター・スレッジ『We Are Family』(79年)やダイアナ・ロス『Diana』(80年)を聴いても明らかだ。が、〈Disco Sucks!〉を合言葉にしたディスコ排斥運動の影響もあって、シックの人気も下降線を辿りはじめる。もっとも80年作『Real People』は前3作の勢いをキープしていたし、『Take It Off』(81年)や『Tongue In Chic』(82年)も悪くない。82年には、テディ・ペンダーグラスやカーリー・サイモン、デボラ・ハリーらの曲を含むシック印のサントラ『Soup For One』も登場。しかし、時代が求める音と徐々にズレが生じ、83年の『Believer』を最後にシックの活動はいったんストップしてしまう。

 83年にナイルとバーナードがそれぞれソロ作を出したことも、協力関係にあったとはいえ、結果的にふたりの関係を引き裂く結果となった。以後80年代後期にかけて、ナイルはデヴィッド・ボウイ、マドンナ、デュラン・デュランなどをプロデュースし、愛器であるフェンダーのストラトキャスター〈The Hitmaker〉の愛称のままに活躍。バーナードもトニー・トンプソンがロバート・パーマーらと結成したパワー・ステーション(シックが根城にしていたスタジオの名前を拝借)をプロデュースした。が、バーナードが後に「84年が人生最悪の年だった」と語っていたように、シックで味わった成功を超えるものはなかったのだろう。結局、再結成盤となった次のアルバム『Chic-ism』が出たのは92年。彼らがシーンに不在だった頃はちょうどニュー・ジャック・スウィングの全盛期だったが、不在期の空白を埋めるかのように、今回の新作では直球のニュー・ジャック曲“Sober”を披露し、テディ・ライリーを担ぎ出したヴァージョンまで用意しているのだからおもしろい。

 再会したナイルとバーナードの分かち難き友情は、96年4月、日本での〈JTスーパー・プロデューサーズ〉というコンサートでシックがジル・ジョーンズらを連れてツアーを行った時にも確認できたが、後に商品化された日本武道館でのステージを終えた後、バーナードが宿泊先のホテルで急死。43歳の若さだった。この後ナイルはしばらく仕事が手につかなかったという。が、2000年代以降は亡きバーナード(2003年にはトニーも48歳で他界)への思いを原動力として、一時期リードを務めたシルヴァー・ローガン・シャープ、そして新作にも参加しているベースのジェリー・バーンズ(元ジューシー)、ドラムスのラルフ・ロール、シンガーのフォラミやキンバリー・デイヴィスらとともにライヴを中心とした活動を続けてきた。

 そして冒頭で触れた2010年代の復活劇。若手からの再評価という以上に、バーナードをはじめとする亡き友の分まで生き、混迷の時代にもう一度音楽の楽しさを伝えたいという気持ちがナイルを奮い立たせたのだろう。新しいシックの幕開け。It's About Time——いまがその時だったのだ。 *林 剛  

関連盤を紹介。

 

バーナード・エドワーズがプロデュースした作品を一部紹介。

 

ナイル・ロジャーズの参加したダンス・ミュージック系の近作を一部紹介。

 

『It's About Time』に参加したアーティストの作品を一部紹介。