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ブレインフィーダー立ち上げ前夜のフライング・ロータス

――レーベル設立とフライローの『Los Angeles』が2008年ですが、それ以前のフライローについてはどんな印象でしたか?

若鍋「もちろん、注目はされてましたよね。僕らの視界にしっかりと入ったのはワープに移籍してからだけど、噂もよく聞きましたし」

白川「プラグ・リサーチから最初のアルバム(2006年作『1983』)が出ていたし、DJや早耳リスナーにとっての指標となっていたジャイルス・ピーターソンのレーベル・コンピにも2007年に参加していて。〈次に来るのかも?〉と思わされる動きはいくつもありました」

※『Brownswood Bubblers Two』収録曲“Tea Leaf Dancers (Feat. Andreya Triana)”

若鍋「フライング・ロータスの初来日は2008年で、そのときはシネマティック・オーケストラのゲストでした」

白川「会場の渋谷O-EASTはパンパンでしたね。同じタイミングで朝霧JAMにも出演したあと、翌年にはワープ20周年で開催した〈electraglide〉でも彼のステージが評判になって」

若鍋「ワープからはその後、ハドソン・モホークやラスティが続いたんですけど、彼らが大きな注目を受けたのには、フライローの印象が強烈だったこともあると思います」

 

フライング・ロータスは決まり事を設けない

――そんなフライローがレーベルを立ち上げたあと、最初はサムアイアム、ラス・G、ガスランプ・キラーなどLAの仲間たちを積極的にプッシュしていましたよね。

若鍋「それについては、フライローも言ってました。音楽的な垣根と関係なく、周囲の友人たちが音楽を発表する場、みんなが食っていくためのプラットフォームを作りたいというモチベーションで最初はスタートしたって」

――その後、2010年くらいからリリースが活発化していくわけですけど、早い段階からヨーロッパのミュージシャンにもアプローチしているんですよね。

若鍋「そうなんですよ。しかも新旧問わず」

――今回の『Brainfeeder X』でも、オランダの実力者であるマーティンから、フレンチ・エレクトロの先駆者であるミスター・オワゾの曲へと続く流れは、ピークタイムの一つになっていますし。

白川「あとはジェイムスズーもオランダだし、ラパラックスやロス・フロム・フレンズはイギリス、ドリアン・コンセプトはオーストリアの出身です」

©SUMMER SONIC All Right Reserved.
〈Brainfeeder Night in SONICMANIA〉でのドリアン・コンセプト

――フライローがライヴ・バンドにドリアン・コンセプトを起用したのも、MySpaceで発見したのがきっかけなんですよね。音楽家としてあれだけ活躍しながら、レーベル・オーナーとしても相当こまめにチェックしているんだなって。

若鍋今年、ブレインフィーダーと契約したロス・フロム・フレンズにしたって、普通の人からしたら〈どこで見つけてきたの?〉って感じじゃないですか。そういう話をフライローにすると、自分の耳を指差して〈これで見つけた〉って言うんですよ」

――言いそう(笑)。めっちゃカッコイイですね。

若鍋「たまに本人から、日本人アーティストについての質問がきたりしますよ、〈これ誰? もっと知りたい〉って。その視野の広さですよね」

白川「ロス・フロム・フレンズでいったらポスト・ロウ・ハウスといったふうに、ダンス・ミュージックの文脈もしっかりと押さえているんですよね。キュレーターとして常にアンテナを張っている」

©SUMMER SONIC All Right Reserved.
〈Brainfeeder Night in SONICMANIA〉でのロス・フロム・フレンズ

若鍋「その一方で、何かしらの音楽的スタイルに縛られるわけでもない。例えば、(2015年作『To Pimp A Butterfly』以降の)ケンドリック・ラマーとジャズの流れがあって、カマシやサンダーキャット、テイラー・マクファーリンが次々とブレイクしていきましたけど、そこで〈売れたから〉とジャズのみに偏ったりはしないじゃないですか」

――たしかに。

若鍋「彼自身も、決まり事やルールは極力避けるタイプなんです。決まり事を一回作ってしまうとそれに縛られてしまうので、〈そのときに好きなことをやっていく〉というスタンスを大切にしている印象です。それって実はとても難しいことだと思います。レーベルとして成長していくうえで、一箇所に留まろうとしなかったのは大きかったと思います」