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マカヤ・マクレイヴンはビート・ミュージックを更新する――新作『Universal Beings』を吉田雅史が解析

マカヤ・マクレイヴンはビート・ミュージックを更新する――新作『Universal Beings』を吉田雅史が解析

トータス周辺のポスト・ロック勢や音響派など、拠点とするシカゴの多様な人脈に加え、いま注目を集めるロンドンのジャズ・シーンとも繋がりを持ち、今年ブルーノート東京で実施した来日公演も話題となったジャズ・ドラマー、マカヤ・マクレイヴン。彼が新作『Universal Beings』をリリースした。ここでは、ライヴ音源をベースにエディットした実験作『Highly Rare』(2017年)、ミックステープ『Where We Come From(Chicago x London Mixtape)』(2018年)を経て完成した、この2枚組大作のレヴューを掲載。書き手は、8th wonderのビートメイカー兼MCであり、翻訳/解説した「J・ディラと《ドーナツ》のビート革命」が先に刊行された批評家の吉田雅史が担当した。 *Mikiki編集部

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MAKAYA McCRAVEN Universal Beings Redeye/International Anthem/Pヴァイン(2018)

 

2015年の『In The Moment』(以下『ITM』)はまごうことなき傑作だった。だが、35歳のドラマーでありながら、ヒップホップ・バンド出身という出自からすれば〈ビートメイカー〉でもあるマカヤ・マクレイヴンの新作『Universal Beings』は、彼が異種交配したジャズとビート・ミュージックのアマルガム、その新たなるフェーズをはっきりと示している。

※コールド・ダック・コンプレックス

様々なミュージシャンとのセッションをサンプリング・ソースとみなす態度で、各楽器の演奏データをDAWのAbleton Live上に並べてチョップし、音色やピッチを加工。それらを繋げ合わせてループ(フリップ)させ、新たなビートを構築する――ビーチメイカー目線で、彼が『ITM』で打ち立てた方法論を説明するなら、そのように言えるだろう。『Universal Beings』ではその方法論をさらに突き詰めると共に、また別のアングルからビート・ミュージックの快楽原則にフォーカスしてみせている。それは、バンドという身体の肢体と五臓六腑をサンプリングするビート・ミュージックであるのだ。

『Universal Beings』トレイラー
 

ヒップホップ・バンド出身のドラマーが、自身のバンドの演奏をサンプリングしてクリエイトするサウンド――そう聞いてイメージする、生楽器の演奏をヒップホップの方法論やサウンドに寄せた、ある種保守的なビート群。明らかにそれとは異なる創造物を提示してきたところが、彼が評価される所以だろう。

確かに、『ITM』や『Highly Rare』で僕たちの心を鷲掴みにしたのは、大挙する、マカヤのドラムとベースが一丸となったアグレッシヴなリズムブレイクの塊だった。それはラフさとローファイさを備えたクラシックなドラムブレイクを思い起こさせることもあるのだが、しかし同時に聴こえるのは、バンドによるセッションこそが孕む圧倒的な熱量だ。一定の時間をかけて楽器隊でインプロを続け、そのインタープレイの盛り上がりがトップスピードに入った瞬間の熱を捉え、ループさせる。しかもそのようなドラムとベースが一丸となって疾走するリズム上を、縦横無尽に展開する各楽器のソロ・パートによって、僕たちはビート・ミュージックとジャズのもっとも幸福なエンゲージメントをそこに見ていた。

 

今作において、彼がより一層重視しているのはアンサンブルだ。物語の快楽だ。幾千のヒップホップ・クラシックにおいて、ビートメイカーたちが披露してきた錬金術。楽器隊の一瞬のフレーズの煌きを捉える、編集とループがもたらすマジックだ。

本作の多くの楽曲において、プレイヤーとしての彼のペルソナは一歩後ろに下がり、抑制の効いたドラミングはあくまでも楽曲を形成するパートのひとつとなっている。マカヤは熱っぽいフィルを乱打するときでさえ、どこか醒めた視線を投げかけている。その視線とは、サンプリングの美学を追求するビートメイカーとしてのまなざしだ。

Abletonのインターフェースに並べられた各楽器のパートは、2小節、あるいは4小節単位のパーツにバラされる。マカヤはMPCシリーズのようなサンプラーを使い、ドラムブレイク、ベースライン、ウワモノの鍵盤、そしてホーンというふうに、パートごとにフレーズをサンプリングして並べていったビートメイカーたちの手つきで、それらをループさせる。それらのフレーズ群は、8小節や16小節のセットで次々と変化し、あるいはマカヤの手でピッチやテンポを操作されて、めくるめく物語的な展開をもたらしながら楽曲を駆動していくのだ。

 

本作でマカヤが招集したのは、ハープ、ヴィブラフォン、ギター、ベース、アルト、テナー、エレピ、ヴァイオリン、チェロといった楽器を演奏するミュージシャンたち(=サンプルソース)だ。彼の慧眼は、ニューヨーク、シカゴ、ロンドン、ロサンジェルスの4都市でのレコーディングを、2枚組全22曲にまとめ上げたことだ。このことからは、4都市のレコード屋でディグされたネタから楽曲を生み出すようなまなざしと、アナログ2枚組の4つのサイドをそれぞれEPとして楽しむような目配せさえ感じられる。

白眉なのはニューヨークで録音された冒頭の6曲だ。ブランディー・ヤンガーによるハープ、トメカ・リードによるチェロ、そしてジョエル・ロスのヴィブラフォンによって描かれるのは、マカヤ史上、かつてなく幽玄でメランコリックな世界観だ。特にハープの存在には、どうしてもドロシー・アシュビーの諸作(及びそれらをサンプリングした楽曲群)や、『Cosmogramma』期のフライング・ロータスを想起してしまうが、これらに共通する霊性が通底した本パートは、本作においてマカヤが重心を置く、アンサンブルの劇的な物語性を端的に示している。

圧巻は4曲目“Black Lion”だ。マカヤが暗示するジャズとブレイクビーツのまぐわいの小史を念頭に置けば、冒頭の不穏なベースラインが想起させるのは、シャメク・ファラーの『First Impressions』(74年)のオープニング(そしてマイクロフォン・ペイジャーの慧眼)や、フレデリック・ガリアーノの『Espaces Baroques』(97年)の世界観だ。1小節のヴィブラフォンのループを基調とし、ベースラインが躍動する。すべてがリアルタイムの演奏だと錯覚しそうになるが、聴くうちに、確かにそれぞれの素材はチョップされ、ループされていることがわかる。ここで楽曲全体を牽引するのはマカヤのグルーヴだ。マカヤの四肢のアナロジーであるような、バンドの四肢(ヴィブラフォン、ハープ、ベース、チェロ)によるループ・ミュージックに、否応無しに僕たちの肢体も反応する。やがて2分9秒で訪れるブレイクで自由に乱打されるドラムのフィルには、彼のグルーヴが積み重ねたループを、自らの手で解体することへのカタルシスが滲む。

続く“Tall Tales”は、スピリチュアル・ジャズの元ネタを再構成したような繊細なサウンドメイクが特徴的な一曲だ。マカヤのドラミングは一転して、繊細な手つきでシンバルを駆使して背景に徹する。肝となるのはループされるハープのアルペジオと、メランコリックな一瞬をチョップしてリフレインされるチェロのフレーズだ。この言葉を持たない美しきインスト・ミュージックの鏡面にはタイトル通り、僕たちはどんな物語を投影するのも自由だ。

シカゴ・サイドの2曲目“Atlantic Black”では、延々とループされるマカヤの高速トライバル・ビートに、2管に見立てられたシャバカ・ハッチングスによるテナーのリフが絡み、彼のコンポージングはダンス・ミュージック寄りにシフトする。鍵盤のコードが彩りを与えつつ16小節毎に次々に展開していく様は、完全にアバンギャルドなテクノやビート・ミュージックのそれだ。中盤以降、アグレシッヴな2管のインプロ・フレーズ群が再構築されるが、打ち込みのビート・ミュージックでは表現の難しい生々しいラフネスと、その反対に生演奏では表現の難しいループ感に基づく構築美の双方が実現されている。

この9分にもわたる大作は、終盤でフリーキーなテナーとチェロのインプロ合戦の様相を呈するが、やがてそれはフェードアウトする。逆に立ち上がってくるアルコ弾きのベース上で、延々と先延ばしされるワンコードを通して歌い続けるシャバカのテナーは、マカヤのアンサンブルのスケールの大きさを十二分に感じさせるものだ。

続くロンドン・サイドの3曲目“Suite Haus”では、聴き手を裏切るような絶妙なタイミングでフレーズをチョップしループさせ、ミニマルなブロークン・ビーツと呼びたくなるループ・ミュージックが展開される。マカヤの裏拍を強調した16分のハットとリムショットのリズムを骨子に、ピッチの変更による転調を上手く使い、イレギュラーなループが立ち上がる。フレーズを切り取る始点と終点のタイミングをいかにズラして予定調和から逸れるか。さらにそれらをどのように連結させ、落差を生むのか。そのような観点もまた、ビートメイカーのそれだ。

アルバムの最後に配置されるロサンゼルス・サイド。その3曲目“Turtle Tricks”では、中盤以降、原点回帰するように8ビートで小気味好くグルーヴを牽引するマカヤに対し、リズムからも調性からも逸脱しては回帰するジェフ・パーカー(トータス)のギター・ソロが光る。『ITM』で作り上げたひとつのフォーミュラに準拠しつつ、己の立ち位置を再確認するようなマカヤの快演だ。

ジャズとビート・ミュージックのフュージョンに際しての、マカヤのもうひとつの慧眼は、サウンド・テクスチャーをなおざりにしないことだ。ドラムの鳴りだけでなく、各楽器パートの背後にうっすらと膜を張るノイズのレイヤーや、プレイヤーたちの会話や観客たちのざわめきに至るまで、彼がサウンドの肌理に意識的なのは明らかだ。それはロービットのサンプラーの使用や、アナログ盤のスクラッチ・ノイズの質感にこだわるビートメイカーの美意識と重なる。

 

本作では、各楽曲の冒頭やエンディング部分で彼のこだわりが散見されるし、特にロサンゼルス・サイドのステレオ感溢れるドラム・サウンドの処理からは、スティックが撫でるドラムヘッドの肌理さえ伝わるようなのだ。そのようなマカヤのサウンドへの目配せが、今作の物語性に大いに貢献していることは言うまでもない。

マクロとミクロの視点、そのどちらにおいても稀有な物語性を胚胎する本作は、生楽器をベースにしたビート・ミュージックの方法論、在り方を大きく更新している。今後も彼の一挙手一投足から、目が離せそうにない。

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