Photo of Jose Maceda in Paris, 1938 from the Jose Maceda Collection of the UP Center for Ethnomusicology archives.

[English Transration]

ヨーロッパ~アメリカ~アジアを往還した、フィリピンの民族音楽学者/作曲家のカセット・テープ作品とピアノ音楽

カセット・テープによるライヴ・パフォーマンス作品《カセット 100》

 2019年2月に横浜で開催されるTPAM(国際舞台芸術ミーティング in 横浜)、恩田晃ディレクションによる2日間のプログラムで、フィリピンの音楽家ホセ・マセダが取り上げられる。演奏されるのは、100台のカセット・テープレコーダーを使うことで有名な《カセット100》と、ピアノを含む2曲の室内楽作品。ポータブル・カセット・プレイヤーを操るパフォーマンスで知られる恩田が、なぜホセ・マセダに注目するのか? 《カセット100》(1971)は、竹製の楽器の響きや人の声を収録したカセットを100人のプレイヤーが手に持って再生しながら練り歩くという、聴衆参加によるパフォーマンス的作品。ということは、やはりカセット・テープ繋がりか? いや、短絡は止そう。ここで問題にしなければならないのは、「なぜいま、カセットか?」ではなく、「なぜいま、ホセ・マセダか?」なのだ。

 恩田がマセダの作品に出会ったのは、2000年にジョン・ゾーンのレーベルからリリースされたCD。アジア、フィリピン的な音楽要素と西洋的なそれとを換骨奪胎させたマセダの手法に強い衝撃を受けたという。恩田は現在N.Y.を拠点としているが、自身でも言うように典型的なコスモポリタンなアーティストであり、音楽の地域性などとは無縁にも見えるのだが、その彼がマセダの汎アジア的なヴィジョンに裏付けられた音楽と思想に興味を惹かれるというのは意外でもあり、それだけに意味深いものを感じる。

 

昨年生誕100年を迎えたホセ・マセダ
西洋音楽からアジアの民族音楽へ

 そもそもホセ・マセダがアジアの土着的音楽要素、更に戦後の欧米アヴァンギャルドの手法と西洋の前衛的な作曲手法に通じていたのはなぜか。彼のダイナミックな経歴を追ってみると、そのヒントを随所に見出だすことができる。

 1917年フィリピンのマニラで生まれたマセダは、音楽的に恵まれた環境に育ち、所謂ピアノの神童だったようだ。20代にはパリのエコール・ノルマル音楽院で、あのピアノ音楽の巨匠アルフレッド・コルトーのもとでピアノを学んでいたという。(楽曲分析のクラスは、幾多の大作曲家を輩出したナディア・ブーランジェ。アカデミックな作曲家ばかりでなく、ピアソラ、フィリップ・グラスらを教えた伝説的音楽教師である。)マセダは更にサンフランシスコでフランスのピアノ音楽、特にドビュッシーの巨匠ロバート・シュミッツのもとでピアノの研鑽を積んだ。しかし、その後1950年代にN.Y.のコロンビア大学で民族音楽学を学んだことが転機となり、アジアの民族音楽に目覚める。当時アメリカでは、フォーク~民族音楽研究が盛んになり始めた時期であり、そうした潮流からも刺激を受けたのであろう。フィリピンに戻った後は、フィリピンはもとより、インドネシア、タイ、マレーシア、ヴェトナム、中国、韓国、日本などの辺境域に残るアジア土着の音楽文化の研究に没頭した。専ら民族音楽学者として1950年代を過ごしたマセダだが、1958年にはミュージック・コンクレートで有名なフランス国営ラジオの「音楽探求グループ」に接触、またシュトックハウゼンやクセナキスらのヨーロッパの前衛作曲家たちの活動にも触れていたようだ。作曲を始めたのは1960年代、彼が40代になってからというが、彼の音楽遍歴を辿るとまったく目が眩む思いがする。1917年生まれなので、昨年がちょうど生誕100年だったのだが、日本では大きくとりあげられることがなかったのは非常に残念だ。

 

高橋アキが語るマセダのピアノ

 今回、2日目に演奏されるのは《5台のピアノのための音楽》(1993)と《2台のピアノと4本の管楽器のための音楽》(1995)という室内楽作品。いずれも現代作品を得意とすることで知られるピアニスト、高橋アキのために書かれた、マセダの作品の中でも異彩を放つ作品である。この曲の作曲経緯については、先日高橋アキさんへのインタヴューの中で興味深いエピソードを聞くことができた。

 高橋アキさんがマセダに最初に出会ったのは、1979年ソウルで開かれたアジア音楽祭でのこと。その後、幾度か顔を会わせることになり、ある時、東京で武満徹・企画のコンサート『Music Today』のロビーでの立ち話の最中に、この“民族音楽学者にして作曲家”にごく軽く「ピアノ曲もあるの?」と訊いてみたところ、「あんなオールドファッションな楽器のために作曲なぞするものか!」という答えが返ってきたという。このけんもほろろなマセダの答えは、彼流の諧謔だったのかもしれない。だが、アジアの土着音楽に目覚め民族音楽学者となり、作曲家としてもアジアの楽器を用いたり、西洋音楽の平均律に反するような作品を書いていたマセダにとって、こと「ピアノ」に関しては何か葛藤めいたものがあったのではないだろうか。アキさんの「ピアノの曲も作曲するの?」という問いは、マセダにとっては、自らに課されねばならない「問い」であり、いつかは答えなければならない「問い」だったのではないか。後年親しく交流したアキさんによれば、「マセダはフィリピンの自宅でも暇さえあればいつもピアノに触れていた」というが、やはり彼にとってピアノは最後まで「自分の楽器」だったのだ。(アキさんは、後にフィリピンのマセダの自宅に10日間ほど滞在し、コルトー~シュミッツ仕込みの高度なピアノ・テクニックの伝授を受け、自身の奏法を大いに見直させられることになったという。)そしてついに70代後半にしてマセダが書いたピアノ曲がこの2曲なのである。

 

今回演奏される2つのピアノ曲について

 今回演奏される2曲は、「5台ピアノ」と、「2台ピアノと4本の管楽器」という特殊な編成によっている。マセダのオーケストラ作品同様に、ここでも音響の空間性は重要な要素となっている。まるでオーケストラのチューニングを思わせる「ラ音」のオクターヴの呼び交わしで開始する《5台のピアノのための音楽》は、随所にミニマル風の反復音型が配されており、非常に明晰な響きを持っている。だが、それらが組み合わされると、幾何学的にさえ見える楽譜の印象とは異なり、伸縮するようなエコーや、うねるような有機的な躍動感が生まれる。ちょうど池を眺めている時にひょっこりとあちこちから魚が顔を出したり、目の前の水面をよぎったりする感じといったらよいだろうか。中ほどにさしかかると東洋のペンタトニックを思わせるパターンも現れるが、エキゾティシズムに陥ることはない。アキさんによると、かすかにフランス的なピアニズムも感じられるという。たしかに、散りばめられた半音階的なアルペジオなど、ドビュッシー風の指の動きのイメージもあるようだ。そして曲の最後の部分に単音の連打によるオスティナ―トに収斂する力強さが、マセダの自信作であることを窺わせる。

 《2台ピアノと4本の管楽器のための音楽》の方は、当然だが音色的に、もう少しカラフルな印象の作品。今回、インタヴューに際して、アキさんに手書き譜の大判ファクシミリを見せていただくことができたが、細かな音型にマセダ本人の指示によるクレッシェンド記号などが随所に追加され、厳格な中にも豊かな表情付けがなされていることが印象的であった。

 マセダの著書では、そのタイトルの通り「ドローンとメロディ」が彼の音楽思想の根本として説明されているが、これらの曲を聴くと、それが低声部の「ドローン」の上に「メロディ」が乗る、というような単純なものではないことがよく判る。彼の「ドローン」はもっと音色や遠近感に関わる3次元的な概念であり、「メロディ」も単に旋律を指すのではなく、アンサンブルによって生み出される集団的要素や、ひいてはそこから浮かび上がる「アジアの音の原風景」のようなものを指しているのではないだろうか。

 今回、5台のピアノがステージに並ぶだけでも壮観だが、ピアノにはマセダとは1960年代から交流が深く、マセダの著書『ドローンとメロディ』の訳者でもある高橋悠治も加わり、貴重かつ最高のステージになるだろう。

 

【訂正とお詫び】
12/10発行号intoxicate vol.137 P.08にて、ナディア・ブーランジェがキース・ジャレットを教えたという記述がありますが、実際に直接教えたという事実は確認できませんでした。訂正してお詫び申し上げます。今後このようなことがないよう、今まで以上に気を付けてまいります。

 


ホセ・マセダ (José Maceda)【1917 – 2004】
マニラ生まれ。1937−41年にパリのエコールノルマル音楽院で学び、卓越した技術を誇るピアノ奏者として頭角を表す。その後、1953年からはフィリピンのみならず東南アジアと東アジアでの民族音楽に関する詳細な調査を行い、50歳近くになってから作曲活動を開始。100台のカセット、20のラジオ局、果ては屋外での数千人の参加者のための儀式的なパフォーマンスなどフィリピンのみならず東南アジア全域の民族音楽のフィールドワークと西洋の前衛音楽を組み合わせた特異な作曲作品群を残す。半世紀以上に渡る活動は、フィールド・レコーディングの音源や解説、作曲作品の楽譜など、膨大な量の記録資料としてマニラのフィリピン大学の民族音楽学研究所に所蔵されている。著書に『ドローンとメロディー: 東南アジアの音楽思想』高橋悠治編・訳(1989)等。

 


寄稿者プロフィール
五十嵐玄(Gen Igarashi)

長年アートショップに勤務し、現代音楽・民族音楽のLP・CDの輸入・販売、現代音楽のコンサートやレクチャーを手掛ける。並行し、雑誌「ユリイカ」をはじめ、雑誌・CDライナー等の執筆多数。

 


LIVE INFORMATION

『TPAM(ティーパム) – 国際舞台芸術ミーティング in 横浜 2019』
2019年2/9(土)~17(日) https://www.tpam.or.jp
 

José Maceda, Cassettes 100, 1971, Photo by Nathaniel Gutierrez, Courtesy of UP Center for Ethnomusicology and Ringo Bunoan

○2/10(日)18:30 / 19:30(各回約30分)
ホセ・マセダ『カセット100』(1971)
ディレクション:恩田晃
振付・演出:東野祥子、カジワラトシオ(ANTIBODIES Collective)
会場:KAAT神奈川芸術劇場 アトリウム
詳細はTPAM2019ウェブサイトをご参照ください。

 

○2/11(月) 18:00(上演時間約70分)
ホセ・マセダ 『5台のピアノのための音楽』(1993)
演奏:高橋アキ/高橋悠治/寺嶋陸也/入川舜/佐藤祐介(p)
ホセ・マセダ 『2台のピアノと4本の管楽器』(1996)
演奏:高橋アキ/高橋悠治(p)田中香織(cl)笹崎雅通(Bon)有馬純晴(hr)村田厚(tb)
指揮:ジョセフィーノ・チノ・トレド(両曲共)
ディレクション:恩田晃
会場:KAAT神奈川芸術劇場 ホール