2019.01.24

〈tofubeatsが竹内まりやの“Plastic Love”をカヴァーする〉と聞いたとき、正直に言ってぎょっとした。なにせ、〈あの〉“Plastic Love”である。

ここでちょっと文脈を整理しておこう。竹内まりやのクラシック『VARIETY』(ソロ・アーティストとしての活動休止を挟んだ復帰作)は84年の作品で、“Plastic Love”はその収録曲だ。翌年には10分弱の〈Extended Club Mix〉として12インチ・シングルがリリースされている。

プロデューサーはもちろん、山下達郎。一聴してそれとわかるギターも山下によるもの。中西康晴(エレクトリック・ピアノ)、伊藤広規(ベース)、青山純(ドラムス)らによる鉄壁のバンドによる演奏と、竹内の見事な歌唱――完璧だ。〈都会暮らしの若い女性による自由恋愛〉という極めてフィクショナルなテーマを独自のセンスで描いた歌詞も、この曲を特別なものにしていることは言うまでもない。

クラブではDJたちから長く愛されてきた曲ではある。ではなぜ“Plastic Love”が再浮上しているのか? それはYouTubeを経由して、主に海外で評価が高まっているからだ。

日本(特に東京)が海外のヴァイナル・コレクター、ディガーにとって〈最後の聖域〉とされ格好の〈漁場〉となっていることは、レコード・ショップに足しげく通う者でなくとも、なんとなくわかることだろう。テレビ東京の番組「YOUは何しに日本へ?」では、たびたびそうしたディガーを紹介しているし、新宿や渋谷といった街を歩いていれば、レコードが入った袋を提げた外国人観光客を見ない日はない。彼らが探しているのは主に、いわゆるシティ・ポップのレコードだ。

インターネットの存在なしに、海外のリスナーから日本の音楽が再評価されることはありえなかったかもしれない。ジャズ、アンビエント、フォーク、細野晴臣のソロ・キャリア……2010年代を通して、シティ・ポップ以外のジャンルにも同時多発的に再評価とリイシューの波が及んでいる。それにYouTube(に違法アップロードされた音楽)が多分に寄与していることは、「レコード・コレクターズ」2018年3月号に松永良平氏が寄せたコラムに詳しい。

インターネットおよびYouTubeとシティ・ポップ再評価の象徴とも言えるのが“Plastic Love”で、2017年7月にアップロードされた同曲はSNS上で多くのミームを生みながら2400万回(!!)再生され……そして2018年12月に削除された(削除された当時、ツイッターのタイムラインはまるで通夜のようだった。RIP)。

2000万回超も聴かれた理由は、YouTubeのオート・プレイで多くのユーザーになぜかサジェストされまくったからだというほかない。一部ではシステム上のバグだったのではとも噂されているが、とにかく当時YouTubeで音楽を聴いていると決まって“Plastic Love”が再生された。そのような状況のなかで、“Plastic Love”は多くのリスナーの心を鷲掴みにした。Noiseyが特集を組み楽曲の背景を解説する動画まで登場した。そして『VARIETY』の中古盤の価格は高騰し、12インチ盤は目が飛び出るような値段になった……。

シティ・ポップ再評価の背景には、ヴェイパーウェイヴも大いに関係しているはずだ。“Plastic Love”のグルーヴは、その派生ジャンルとして生まれたフューチャー・ファンクとの親和性が高い。いや、〈高い〉というか、フューチャー・ファンクそのものだと言ってもいい。初期のフューチャー・ファンクにおいては、山下達郎の楽曲をループさせて作られたものが氾濫していたのだから。ヴェイパーウェイヴの批評性や底意地の悪さ、その実験性を骨抜きにして、ダンス音楽としての快楽性へと無邪気に変換したフューチャー・ファンクには、80年代の虚無感を胚胎した“Plastic Love”のムードがよく似合った。この曲をYouTubeにアップロードした〈Plastic Lover〉なるユーザーも、もしかしたらフューチャー・ファンクの文脈に通じている者かもしれない。

前置きが長くなったが、“Plastic Love”にはそれだけの物語がある。その楽曲を、インターネットと音楽との関係性に精通したtofubeatsがカヴァーするというのだから当然、身構えてしまう。これらの物語を知らないはずがないtofubeatsにとっても、カヴァーは大きな挑戦だったことだろう。聴くのには、もちろんちょっとした勇気がいった。

シンセサイザーが瞬くようにループするイントロに、少しルーズなビートとスクラッチが乗っていく。印象的なカウベルはそのままに、ゴージャスなストリングスと厚いホーン・セクションは、プラスティックなシンセサイザーに置き換えられている。わざとらしいほど現代風にしているというわけではない。むしろ〈○年代風〉という意匠を遠ざけた、未来的かつクラシカルという両義的なプロダクションだ。

キーはtofubeatsの歌に合わせて下げられているものの、違和感を覚えるほどではない。むしろ、『FANTASY CLUB』(2017年)と『RUN』(2018年)という傑作を通してヴォーカリストとしての存在感を増した彼のストレートな歌に、かなりグッとくるし、感動的だ。後半ではダフト・パンク風のロボ声が絡みついて広がっていく。真摯だが軽妙な、誠意あるカヴァーだと、何度か聴いてそう感じた。

tofubeatsが敬愛するデイム・ファンクの作風にも近い解釈でもって、“Plastic Love”がタイムレスなダンス・ミュージックとしてよみがえっている。6分41秒の“Plastic Love”tofubeatsヴァージョンは、なぜか7分ほどにエディットされていたYouTubeヴァージョンへの愛あるレクイエムのようだ。80年代から2010年代へと、時を駆けてリスナーの心を掴んだ“Plastic Love”の物語は、ようやくここで一つの完結を見たのではないか。いや、もしかしたら、ここから始まっていくのかもしれない。

 

※2019年1月25日追記

2012年にtofubeatsが“Plastic Love”のカヴァーをBandcampで発表していたことを後から知った。『HIGH-SCHOOL OF REMIX』(2008年)の頃から聴いていたつもりだったが、お恥ずかしい限りだ。2012年ヴァージョンは、残念ながらいまでは聴くことができない。が、それから7年が経って、この曲を巡る状況は大きく変わった。時間と共に音楽の聴かれ方、受容のされ方はどんどん変わっていく。“Plastic Love”は、それを端的に表している一曲だとも言えるだろう。

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