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日々はまだ始まったばかり

 前述した“All For One”での〈皆はひとりのために、ひとりは皆のために〉の境地から一転、まるで〈自分が自分であるためにすべての責任を自分で負う〉と言わんばかりの本作への変貌は実にドラスティックだが、結果として『Ripples』はイアン・ブラウンの克明な自画像たる一枚となった。自分自身を克明に描くためには、これまでの歩みを見つめ直す必要があり、そういう意味でも本作が原点回帰的なアルバムに仕上がったのは必然だろう。それは先行シングル“First World Problems”の段階ですでにあきらかだった。この曲のハイフレットなベースも、軽妙なギターのシンコペーションも、楕円を描くように何度もサラウンドするタム・ロールも、そしてどこまでもエヴァーグリーンな煌めきを湛えたセミアコのソロも、すべてがローゼズ時代から変わることのない彼のシグネチャー・サウンドをかたどる必須のピースだ。

 もちろん、イアンを彩ってきたものは、“First World Problems”に象徴されるバギーなマッドチェスター・サウンドだけではない。“It's Raining Diamonds”に宿った“Sally Cinnamon”(87年)や“Elizabeth My Dear”(89年)を彷彿とさせるリリシズム、“From Chaos To Harmony”のワウ・ギターが誘うサイケデリック・グルーヴ、“Fools Gold”(89年)から『Second Coming』への、あの混沌たる時代の興奮を蘇らせるタイトル・トラックなど多岐に渡っている。ローゼズが終わっても、こうしてローゼズはいまなおイアンのなかで生き続けている様子が窺えるし、自分の過去に対する揺るぎない肯定感と、過去と現在が一本道で繋がれた感覚は、オアシスとリアム・ギャラガーのソロの関係にも似ていると言えようか。

 さらに、彼のルーツであるビートルズ的なメロディー展開、ローリング・ストーンズさながらのブルージーなロックンロール、セックス・ピストルズやファンカデリックへのオマージュ、アシッド・ハウス由来のダンス・ビートの導入のほか、2曲のカヴァーがバーリントン・リーヴィの“Black Roses”とマイキー・ドレッドの“Break Down The Walls”である点にも注目したい。レゲエやダンスホールもまた、長年イアンが愛して止まないものなのだ。

 もうひとつ特筆すべきは、ここへきてあきらかにイアンの歌が上手くなっている事実。かつての彼のあの棒読み的な歌唱は、ゴーイング・マイウェイで一歩も引かないパンクのアティテュードだったわけだが、本作では曲によって柔軟に抑揚をつけて歌うということをやっている。“Breathe And Breath Easy(The Everness Of Now)”の途中のアカペラも感動的で、そこには成熟といった形容が相応しい。そう、原点回帰作であると同時に、55歳となった男の年輪もしっかり刻まれた現在進行形のアルバムであるのが『Ripples』の本質だ。

 ちなみに本作からのサード・シングル“From Chaos To Harmony”には、〈枯れ果てた薔薇(Roses)は石(Stone)に変わってしまった〉と歌われる一節がある。どこからどう読み取ってもこれはストーン・ローゼズに対するイアンの惜別の念であり、いよいよファンも覚悟しなければならないのかもしれない。しかし、そんな私たちファンに向けて彼はこう歌うのだ、〈自分の頭で自分のことを考えろ、日々はまだ始まったばかり〉と。

 

“Black Roses”を収録したバーリントン・リーヴィのベスト盤『Reggae Anthology: Sweet Reggae Music 1979-84』(VP)、“Break Down The Walls”を収録したマイキー・ドレッドのベスト盤『Best Sellers』(Rykodisc)