COLUMN

〈令和〉の始まりにスタートするオペラシティの新シリーズ「日本の現代音楽、創作の軌跡」 第一回は1929年生まれの日本人現代音楽家

Exotic Grammar Vol.62-2

〈令和〉の始まりにスタートするオペラシティの新シリーズ「日本の現代音楽、創作の軌跡」 第一回は1929年生まれの日本人現代音楽家

新元号「令和」のはじまりに昭和の作曲家たちの作品を聴き、「1929」の意味を噛みしめる

 5人の作曲家が揃って1929年生まれ。2019年は生誕90年。存命の方は90歳だから卒寿のお祝い。そういう演奏会だ。

 その5人とは、50音順に並べると、松村禎三、間宮芳生、黛敏郎、矢代秋雄、湯浅譲二。戦後日本作曲界のリーダー格ばかり。巨匠の饗宴。なぜか姓の頭文字がMとYだけというのも、不思議で凄い。ともかく、あまりに錚々たる顔ぶれに、思わず跪きたくなる。まさに令和元年早々に開かれるコンサートに相応しい。

 

「令和」の始まりにスタートする『日本の現代音楽、創作の軌跡』

 令和の令の字の、上の部分は人が冠になっている。「ひとやね」とか「ひとがしら」とか呼ばれる。そのやねに覆われた下の部分はというと、人が跪いている姿をかたどっている。つまり、偉い人に下々の者が跪いているのが令の字の本義だろう。だから、命令や司令や指令の令になる。

 令和の出典は『万葉集』で、梅の歌を集めたひとつのセクションに、但し書きとして付された漢文。そこに出てくる令月という言葉から、令和の令はとられた。令月とは陰暦二月の異名だが、ここでは単によい季節の意味で使われている。梅の花の咲く季節。梅は古代の中国人が最も愛した花だ。

 『万葉集』の時代の高貴な日本人たちは、先進文明大国、中国の趣味を真似することをステータス・シンボルとした。ゆえに、梅の花を愛でて歌の会を催し、『万葉集』にも載った。桜好きというのは日本の独自趣味のところがあるが、それは後世、梅や桃を愛する中国趣味への反動として形成されたと言ってよい。『万葉集』の時代の日本人はまだ桜より梅が好きだった。中国趣味的には、梅の花が咲くまだ寒い季節こそ一年で最高の時期。だから他の月を跪かせる令月とも呼ばれるのだ。

 『涅槃交響曲』や歌劇『金閣寺』の作曲家としてあまりにも偉大であり、その一方で愛国的政治運動家として、日本会議の生みの親になり、現代日本政治史にも巨大な足跡を残した、今回のコンサートの登場人物のひとり、黛敏郎が存命ならば、『万葉集』を出典とするということで日本趣味をアピールしながら、実はとても中国趣味の強いと言える元号に、どう反応したか。梅より桜が日本人らしいのに、と言っただろうか。いや、そもそも黛は、日本人に真のヴァイタリティが溢れていたのは奈良時代という考え方の人だったから、奈良時代に成立した『万葉集』由来の元号に素直に喜んだろうか。4月1日以来、そのことがついつい気になる。

 要するに『万葉集』なら日本らしくなると一見思えても、一皮むけば、漢字にこだわるかぎり、日本独自にはなり切れないということ。中国が付いて回る。それが結局、日本文明なのだ。日本人が西洋クラシック音楽をやって、作曲して、たとえば日本らしさなり何なりを追求しても、それはどこまで行っても、やっぱり西洋クラシック音楽。そこに永遠に最終解決不能な問題があり、最終解決できないからこそ、永遠に葛藤が続いて面白いとも言える。

 乱暴に整理してしまうと、今回の5人の作曲家のうち、松村と黛と間宮は、その矛盾と真っ向勝負し、葛藤の面白みに積極的に身をゆだねた人。矢代は、達観し、日本人にこだわるよりは本家本元の西洋をかなり強めに意識した方が生産的になりうると割り切ろうとしたら、かえって躓きがちとなり、どんどん慎重居士になって、作品が少ししか書けなくなった人。湯浅は、禅的精神にしたがって洋の東西の矛盾や葛藤を超越し突き抜けようとする姿勢を前面に打ち出し、そんな禅者的たたずまいをそのまま見事に作風や個性になしえた人。そういうふうに地図が描けるかとも思う。

 いずれにせよ、日本人が西洋クラシック音楽に身を投じて、大なり小なり矛盾に突き当たり、解決に苦しみ、もちろん彼らの生きた戦後日本の文化的環境と20世紀後半の音楽史の情況と切り結びつつ、それぞれにとてもよいかたちを結んで、名作を生み、時代のトップランナーとなったのが、今回の5人のレジェンドだ。

 令和の令は、偉い人に跪くということを本義にして生まれた文字。誰に跪くかがどうしても問題になるけれど、1929年生まれの5人の作曲家には、私は喜んで跪きたい。

 ところで、彼らはなぜ揃いもそろって1929年生まれなのか。コンサートのプロデューサー役である池辺晋一郎さんが、生まれ年で固めたからと言えばそれまでだが、無理無理固めようとせずとも、おのずとそうなるところに、やはり歴史の妙味がある。

 下山一二三、武満徹、廣瀬量平、福島和夫、三木稔、諸井誠は1930年生まれ。池野成、篠原眞、林光、松平頼暁は1931年生まれ。冨田勲、端山貢明、山本直純、湯山昭は1932年生まれ。一柳慧と三善晃は1933年生まれ。まだまだ名が挙がる。1929年から1933年の5年のあいだに、日本を代表する、戦後前衛からセミ・クラシック的領域の作曲家までが、毎年のように、なんと多く生まれていることか。

 

戦後初期の新しい価値観の洗礼を受けた1929年生まれの作曲家たち

 それに比べると、1920年頃から1928年までの生まれの作曲家の数は妙に少ない。1921年に入野義朗、1922年に別宮貞雄と松下眞一、1924年に團伊玖磨、1925年に芥川也寸志。ほかにもいるけれど、1929年以降とは断絶とまでは行かないけれども、明らかな疎と密の差がある。

 いったいなぜだろうか。1929年生まれに戦後作曲界のトップランナーが集中していると述べてきた。戦後の前には戦中と戦前がある。1929年は昭和なら4年。世界大恐慌の年だ。世界経済の混乱が、全体主義とファシズムと戦争を生み出す。1931年に満州事変が起き、1933年にドイツでナチスが政権を獲得し、1937年から日中戦争になり、1939年に欧州で大戦が始まり、1941年に日米戦争となって、大戦は世界規模となる。

 このカオスの矢面に立たされ、兵士となり、戦死する率も高かった青年たちというのは、だいたい1910年代末あたりから1920年代後半の生まれ。まだ戦争がひどくない時期でも、青少年が文化芸術に親しんでその種の教育をたっぷり受ける環境が、日本に限らず、欧米でも細っていた。だから、日本に限らず欧米でも、1910年代後半から20年代前半の生まれのすぐれた作曲家というと、その前後の世代に比べて、薄い傾向にある。

 日本で、1929年生まれに、才能を開花させられ作曲家が多く出たのは、むろん彼ら個々の才能の問題がいちばん大きい。けれど、逆に言うと1928年までに生まれていると、同様の才能を持っていても、それを開花させる条件がかなり整わなかったのだ。1928年生まれは、戦争の終わる1945年には17歳の年だ。高等教育を受けているとしても、16歳で上級学校に入っていると、もう2年目。しかも、だいたい戦争の時代に相応しい人生の選択をさせられている。1928年生まれは、人生の修正を、実際の学歴から身に付いた価値観まで、戦争が終わったから変更してよいと言われても、もう手遅れの年齢期の、ちょうど尻尾に入ってしまう。

 世代論的には、ここにどうしても断層ができる。1928年生まれまでは修正が利きにくく、1929年生まれからは修正が利き易くなる。最も多感な時期に戦後初期の新しい価値観の洗礼を受け、才能も爆発しやすくなる。かくして、松村、間宮、黛、矢代、湯浅が揃う。

 彼らの代表的室内楽曲をいっぺんに並べ、腕利きたちの演奏で聴き、「1929」の意味を噛みしめる。堪らない企画である。令和の初めはこれに決まりだ。

 


寄稿者プロフィール
片山杜秀(Morihide Katayama)

1963年生まれ。思想史研究者、音楽評論家。慶應義塾大学法学部教授。著書に 『音盤考現学』『音盤博物誌』(アルテスパブリッシング)『鬼子の歌 偏愛音楽的日本近現代史。』(講談社)『歴史という教養』(河出書房新社)など。

 


今回の演奏曲について text:西耕一

湯浅譲二(1929~)
90歳になる今年も音楽界の最先端を走り続ける湯浅。その創作は、未だ誰も聴いたことのないような「未聴感」がテーマである。響き、発想、時間の捉え方、 様々に新たな試みを行ってきた。この曲は湯浅が26歳で書いた最初期の音楽である。12音技法を使いつつも時間構造へ東洋的なアプローチを行い、早坂文雄に称賛を受けた。

 

矢代秋雄(1929~1976)
早熟な才能と最高の師匠に恵まれたアカデミズムの申し子が矢代。ドイツ系の諸井三郎、フランス系の池内友次郎、独学系の伊福部昭、そして前衛、新民謡、映画音楽まで自由な発想とマルチな才能を発揮した橋本國彦に師事したあと給費留学生として渡仏。約5年に及ぶパリ修行の総仕上げとして、この弦楽四重奏曲が作られた。

 

松村禎三(1929~2007)
アジア的な発想、生命の根源に直結したエネルギー、音楽のリアリティーを求めた松村。若き日に結核で5年半にわたって生と死の境をさまよい、臥して起き上がることもできず病室の天井を眺めた。その天井にある小さなシミを見つめ、広大無辺な宇宙を透かし見る無限の想像力が松村なのである。一つの音が増幅され宇宙となる。

 

間宮芳生(1929~)
現代音楽では「ジャズとクラシックの融合」なる実験は多く試みられてきた。そこから抜きん出た完成度を誇るのがこの曲。とにかくカッコいい! この曲はオペラシティをジャズ空間に誘い込んでくれるような魅力もある。冷静と熱情の交錯。足の裏から感じる大地の音。西洋と東洋という対立だけでない世界を「ソナタ」として結実させた。

 

黛 敏郎(1929~1997)
日本現代音楽史上の傑作《涅槃交響曲》を28歳で発表したマユズミ。そのデビューは19歳で作られたこの曲。戦後の焼け野原から新鮮な感覚で颯爽たるデビューを飾り、バタ臭くも型破り、才気に溢れた個性を世間に知らしめた。初演評は「こんな奇才がひからびた上野の伝統の中から生まれたことは痛快」(園部三郎)。

 


LIVE INFORMATION

池辺晋一郎 プロデュース 「日本の現代音楽、創作の軌跡」 第1回 生誕90年~1929年生まれの5人
湯浅譲二(1929~):7人の奏者のためのプロジェクションズ(1955/56)
矢代秋雄(1929~1976):弦楽四重奏曲(1955)
松村禎三(1929~2007):アプサラスの庭(1971)
間宮芳生(1929~):ヴァイオリン、ピアノ、打楽器とコントラバスのためのソナタ(1966)
黛敏郎(1929~1997):10楽器のためのディヴェルティメント(1948)
○7/12(金)19:00開演
会場:東京オペラシティ リサイタルホール
出演:池辺晋一郎(お話)野平一郎(p) 古典四重奏団 キハラ良尚(指揮) 成田達輝(vn) 山澤慧(vc) 黒木岩寿(cb) 木ノ脇道元(fl) 荒木奏美(ob) 亀井良信(cl) 福士マリ子(fg) 日橋辰朗(hr) 辻本憲一(tp) 古賀光(tb) 安江佐和子(perc)
www.operacity.jp/concert/calendar/detail.php?id=9496

プレイリスト
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