Photo by Joe Giacomet

桜の花、カールした髪、素敵なリボン~3年ぶりの歌ものアルバム『Ribbons』で描く、美しくも儚いビビオの世界

 よくとおる道の脇の桜の木は満開の花を散らして葉桜になりかけていた。このところ寒の戻りで肌寒い日がつづいたが、週末にかけて気温は上昇し、桜の名所はきょうあたりが人出のピークだろう。満開の花を散らす桜の木の下のにぎやかなひとの群れ。そのような情景の由来となる桜を愛でる慣習を、私たちは日本人固有のものとみなしがちだが、なにかを「美しい」と感じるのは自身と無関係の他者を前提とする感覚であり、それは「美しさ」という理念的なことばは似て非なるものだと今年はじめ亡くなった橋本治さんはおっしゃっていた。そのことを私なりに敷衍すると、「美しい」をわかる感覚がよってたつのは個々の内面の陶冶と他者や事物や自然への認識の力であり、そのような機制は国籍や人種に限定したものではない。したがって日本人じゃなくても桜が美しいのはわかる――などといった拍子抜けする話じゃなかったはずだが、かまわずさきにすすむと、ビビオことスティーヴン・ウィルキンソンの音楽を聴くと、私は「美しい」とはなにかと考える。

 ビビオには桜の語が題名にはいった曲が何曲かある。2005年のマッシュからのデビュー作『Fi』の幕開けの《Cherry Blossom Road》と、翌年の2作目『Hand Cranked』収録の《Cherry Go Round》、いずれもインストである。初期のビビオは1990年代後半に、テクノから派生したエレクトロニカに、生楽器の響きをくわえたフォークトロニカの一派としばしばみなされていた。この分野はフォーテットなどを旗頭に、2000年代初頭をそこはかとなく席巻し、耳慣れた生楽器のサウンドは新奇な電子音楽をポップミュージックにひきつけるきっかけにもなった。ビビオが影響を受けたボーズ・オブ・カナダの、レイドバックとも位相を異にするアナログな質感はその代名詞ともいえるものであり、ウィルキンソンも先達の方法論をしっかりひきついでいたが、ボーズ・オブ・カナダに顕著なヒップホップを援用したリズム感覚はすくなくとも初期の時点では希薄だった。ウィルキンソンの主楽器はギターであり、今日にいたるまでそれは変わっていない。むろん多楽器をものするウィルキンソンだけに、曲調は多彩だが、ソングライティングの主眼はコードストロークや分散和音の隙間にひそむ音響で空間に色彩を着色するように情景を描くことにあった。この傾向はワープに移籍した『Ambivalence Avenue』で歌をともないメロディアスに進展し、同時にファンクやソウルの影響も前面にせりだした。すなわちポップになったことで大衆性を獲得したともいえるのだが、2010年代以降のワープからの諸作『Mind Bokeh』『Silver Wilkinson』、歌ものとしては前作にあたる『A Mineral Love』(2016年)まではその方向性をつきつめた過程だった。

BIBIO Ribbons Warp/BEAT(2019)

 やがてビビオはたちどまる。停滞したというより足下をみつめなおした。ギターの響きを押さえた純正のアンビエント・アルバム『Phantom Brickworks』(2017年)を境に、ウィルキンソンは原点回帰をはかったかに私には思えるのは新作『Ribbons』では10年におよぶワープ期に培った楚々とした歌心を初期の音響感覚でつつみこむようなサウンドが特徴的だからである。あたかも2000年代後半のローファイ・シンセポップを彷彿する粗いビットレートで1960年代の英国のトラッド~フォークを再生するかのように。その幕開けを飾る《Beret Girl》にはロマン主義の小品に似た手ざわりがあるが、つづく《The Art Of Living》では長短調を巧みにおりまぜたコード進行で、歌詞にある「嘘」や「死」といった負の感覚を漂白するかのような作品空間を提示する。歌い出しの「咲き誇る桜の花」は『Ribbons』のことばが自然や田園風景と親和的なことを暗喩するかにみえる。そしてその風景のなかにはカールした髪(「Curls」)をリボンで結わえた(「Pretty Ribbons And Lovely Flowers」)女性がたたずんでいるかもしれない。ただしその顔つきまでは『Ribbons』のくぐもった音響空間ではさだかではない。むしろきわだつのはリボンや花束やベレー帽などの細部である。かつてミシェル・レリスはマネの絵画『オランピア』で裸婦が頚につけたリボンをさして、そのような細部が「見る者を惹きつけ、作品をたしかに存在させるようにする」と述べた。『Ribbons』しかり。ビビオのつくりだす手工芸品のような細部は聴くものを魅了し、その儚くも美しい世界がたしかに存在するのを感じさせるのである。

 


ビビオ (Bibio)
英国ウェストミッドランズ在住のスティーヴン・ウィルキンソンによるソロ・ユニット。ボーズ・オブ・カナダのマーカス・イオンの紹介を経て2004年にアルバム『Fi』でデビュー。2006年、2ndアルバム『Hand Cranked』を発表。同収録曲はトヨタのCM曲にも使用され話題に。2013年、アルバム『シルバー・ウィルキンソン』2016年『A Mineral Love』2017年『Phantom Brickworks』をリリース。