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 ソルレイの舞台空間には、器楽奏者たちのスペースが後方に置かれていて、モノトーンの舞台セットや3人の歌手と語り手の衣装に対して、「自然をイメージした」色とりどりの衣装(ヴァレンティノのピエールパオロ・ピッチョーリ)を身にまとった奏者たちが舞台の一部として存在感を醸し出していた。抽象的な衣装ではあるものの、どこかアジア的で、指揮者が前に立っていないことも手伝い(デスプラは舞台袖で指揮し、奏者は場内の小スクリーンに映し出された指揮に合わせて演奏した)やはり雅楽の演奏の様子との雰囲気の類似を思わせた。

 スペースは、後方から、演奏空間、作家の家の中、車での道中など語りの場面で使われる空間と、3つに分かれ、開閉する半透明のついたてに時折、隔てられる。数字の3はシンボルとして、スペースだけではなく、登場人物の数、音楽、時間にも使われていた。舞台セットは床と椅子、鏡のみで極めて簡素(舞台美術・照明はエリック・ソワイエ)。まっすぐな黒髪で、お辞儀をする作家の娘と弟子、タクシーの運転手役は制帽に白手袋をはめるなどの日本的な要素はリアリスティックである。映像も、作家らしき日本人男性の眼、テレビのプロ野球の試合、あるいは幽霊を表す着物を着た女など、詩的な美しさはありながらも、川端の精神をリスペクトする形で〈日本〉を表していた。単なるジャポニスムにはならない、彼らの川端の小説の世界と日本文化への愛が、エトヴェシュや細川のオペラともまた異なった形で、 独自の美学と見事につながった舞台だったと言えよう。

 カミーユ・プルは伸びやかな声音で低音域までしっかりと響かせ、控えめながらに父の代弁をする娘富子を、また、ミハイル・ティモシェンコも暖かい音色で、作家を見舞う、弟子三田役を幻想的に演じた。また、ナレーションと、タクシー運転手などの端役を語りで担ったサヴァ・ロロフは、原作の軽やかさや味わいとも微妙に違うニュアンスの、ややシニカルなトーンで重いテーマの湿っぽさを払いのける役割を果たしていた。

 アンサンブル・ルシリンの演奏も出色で、デスプラの音楽の、眼に見えないものを描き出す、微細につくられた陰影を細やかに表現していた。

 来年1月、神奈川県立音楽堂とロームシアター京都で日本公演が予定されている。折しも今年生誕120周年の川端の作品を題材にした、フランス人映画音楽作曲家で日本通のデスプラのオペラが、日本でどう受け取られるか、とても楽しみである。