「グレの歌」世界初演時のポスター
指揮:フランツ・シュレーカー 1913年(ウィーン楽友協会大ホール)
Poster of the world premiere of Gurrelieder Conductor: Franz Schreker Vienna (1913)

シェーンベルク「グレの歌」
今回を逃すと次に日本で実演に触れる機会はいつになるかわからない!

 今年は、シェーンベルク「グレの歌」の当たり年だ。3月にはシルヴァン・カンブルラン指揮の読売日本交響楽団で、4月には大野和士指揮の東京都交響楽団によって、この大作が立て続けに演奏された。さらに10月には、ジョナサン・ノット指揮の東京交響楽団によるコンサートが控えている。超大編成のオーケストラと合唱団(総勢約400人!)による2時間の大作を演奏するためには当然、多額の予算が必要だ。したがって、演奏実現に際し、この大作を演奏するにふさわしい〈口実〉が求められる。読響の場合は、カンブルランの常任指揮者退任記念、都響は東京・春・音楽祭の15周年記念、そしてノット&東響は、ミューザ川崎開館15周年だ。このような〈節目〉が偶然に重なったため、この大作が年に3度演奏されるという異常事態を生み出した訳だが、今回の10月の演奏を聞き逃すと、次に日本で実演に触れる機会はいつになるかは分からない。特に「グレの歌」を未体験の方には、後期ロマン派最後の輝きともいえる、芳醇な響きを実演で体感して頂きたい。

 さて、「グレの歌」は、大きな節目を記念する演奏会におあつらえ向きの豪華絢爛さを持っている反面、この物語の語り部となる6人の独唱者の選定は、コンサートの主催者を悩ませる大きな問題となる。その原因は、あまりにも巨大すぎるオーケストラの楽器編成だ。例えば、大編成のオーケストラ曲として有名な、マーラーのいわゆる「千人の交響曲」の金管セクションは、ホルン8、トランペット4、トロンボーン4、チューバという編成であるが、「グレの歌」はそれを凌駕するホルン10、トランペット9、トロンボーン7、チューバというものだ。ヴァイオリン奏者だけで40人を要する弦楽セクションも、桁外れに規模が大きい。そして、この特大オーケストラが奏でるのは、若きシェーンベルクが心酔したワーグナーを彷彿とさせる壮大な音楽。〈ワーグナー流〉という表現では、物足りない。〈肥大化したワーグナー〉というべきだろう。6人のソリストには、大オーケストラの奏でる圧倒的な大音量に対抗できる強靭な声と体力が必要とされるのだ。

 ワーグナーの場合、オーケストラのサウンドの重厚さを、オーケストラ・ピットがかなり緩和してくれる。さらに、歌手が歌う場面では、オーケストレーションを薄くし、巧みに音量バランスを調整している。

 しかし、シェーンベルクの場合は、事情がかなり異なる。「グレの歌」の作曲開始時点で、20代半ばの彼がそれまでに作曲した作品は、歌曲やピアノ曲がほとんどで、「グレの歌」着手以前に完成させた最大編成の作品は、弦楽六重奏のための「浄められた夜」であった。(未完成に終わった)交響詩の作曲の試みも行われてはいるものの、この時点でのシェーンベルクには、オーケストレーションの経験がほとんどなかったのだ。〈初心者〉の仕事とは信じがたい、「グレの歌」の官能的で爛熟した響きには、シェーンベルクの天才ぶりが発揮されている一方、歌手とオーケストラの音量バランスの面においては、大きな欠点を持っていると結論づけざるをえない。特に、ワーグナー色の強い第1部においては、厚塗りのオーケストラが、歌手の声を覆い隠してしまう傾向が顕著なのだ。もちろん、こうした部分ではオーケストラの音量を極力落としてバランスを取ることになるが、オーケストラ・ピットもない状況では、この対処法にも限界がある。1時間弱を要する長大な第1部のほとんどは、ヴァルデマール王(テノール)とトーヴェ(ソプラノ)によって交代で歌われる。音域が広く、息の長いフレーズが続くこれらのパートを大オーケストラとともに歌い続けることは、経験豊かなワーグナー歌手にとってもトライアスロンに挑戦するような苦行なのだ。それだけに、適切な歌手を選定して、彼らの最良のコンディションを引き出すことができれば、聴衆に大きな感銘を与えることができるだろう。

アルバン・ベルクによる「グレの歌」解説書 表紙
ウニヴェルザール出版、ウィーン 1913
Alban Berg: Gurrelieder Guide, Vienna 1913

 さて、10年の中断の後にオーケストレーションが施された後半部分では、響きはより現代的で色彩的に、テクスチュアも全体に細身なものとなっている。この部分を担当する道化役の軽妙なテノール・パートと、大まかな音高とリズムのみが指定された語り手のパートでは、ワーグナー歌手とは全く異なるキャラクターと資質が要求される。出番こそ少ないが、合唱の役割も重要だ。3群に分かれ、最大12声部を要する男声合唱、最終曲になってようやく登場し、夜明けを象徴する女声合唱ともに、大オーケストラの咆哮に対峙しうる十分な人数と、個々のメンバーの高い技術が必要とされるからだ。

 このように、「グレの歌」の演奏に際しては、オーケストラだけではなく、多様かつ高度な要求に応えうる優秀な独唱陣、合唱団の協力が不可欠だ。オーケストラ併設の合唱団として日本最高峰の東響コーラス、トルステン・ケールを初めとする選りすぐりの歌手たちの、果敢なる挑戦を楽しみにしたい。 *松平敬(バリトン歌手)

 

資料提供:With kind support of the Arnold Schoenberg Center, Vienna