ワールド・ミュージック・ブームを超えた21世紀オペラ

 1990年代にワールド・ミュージック・ブームが起きた時には、それまで知らなかった音楽を初めて聴く感動を何度も体験した。世界の様々なルーツ音楽を聴くという運動から始まり、その内にそのミクスチャーも始まった。アフロ・ケルト・サウンド・システムというグループをピーター・ガブリエルのレーベル、〈リアル・ワールド〉が売り出した。名前からも分かるように、アフリカ人、アイルランド人、エレクトロニカの打ち込みをやる人たちが集まっていた。こうしたミクスチャーは、コンセプトの方が内容よりも先立っているという批判を浴びることもあったが、僕はアイリッシュ音楽を他のジャンルとうまく溶け込んでいる音楽もたくさん聴いた。

DONNACHA DENNEHY The Hunger Nonesuch(2019)

 アフロ・ケルトのリード・ヴォーカルを担当していたイアーラー・オー・リナードが主役を務めたドナチャ・デネヒーのオペラ『ザ・ハンガー』は一見そのような見られ方がされそうである。この音楽はジョン・アダムスのようなミニマル的な要素を持つ現代音楽の中に、アイルランドの土着的な民族音楽を含み、それをロマン派的なドラマチックなオーケストラの表現に包んでいるから聴きやすい。

 ストーリーは19世紀に起きたアイルランドの大飢饉の時に何が起きたかを調べるためにニューヨークから渡ったジャーナリストのアセナト・ニコルソンの書いた記録に基づいている。ステージには二人しか登場しない。ソプラノのオペラ歌手、キャサリン・マンリーがニコルソンの役、リナードはゲール語しか話さない貧しい農民。二人の音楽的な対話はソンドハイムの80年以後に作曲したミュージカルを思い起こせる時もある。民謡風のメロディが多く含まれていて、リナードの声が特に心に沁みる。

 このオペラは21世紀ではないと作れなかった。20世紀のリゲティのクラスターの音楽からミニマリズムの歴史を超えて、ワールド・ミュージックとして流行ったケルト音楽も含み、劇場公演の第二幕ではノーム・チョムスキーなどの学者が現代の政治と経済について語るインタビューをスクリーンで見せながらオペラが進行するというマルチ・メディア的な表現もしている。