©Urban Willi / ECM Records

Christian Wallumrød
ECMジャズから誕生した異形のネオバロックアンサンブル

 北欧の夜の音楽。鬱性を帯びながら、そのまどろみの中でヨーロッパの古層へと深く交わる音楽。表向きにはジャズミュージシャンとされる音楽家の作品が、ここまで静謐にして異様なチェンバーミュージックになることを、しかし誰が予想し得ただろう。ECMの北欧ジャズの文脈は豊饒といえど、伝統楽器をも用いたアンサンブルから新しい音色の探求が窺え、また北欧の民俗音楽に加えて、異形のバロックの響きが聴こえてくることを誰が予想しただろう。ノルウェー、コングスベル出身の鍵盤楽器奏者/作曲家のクリスチャン・ヴァルムルーがECMに残した作品群は、その深度において他者の追随を許さない。

 90年代のヴァルムルーには、音色の全体的な意識があるもののまだコンテンポラリージャズと言って差し支えないものだったかもしれない。トリオ編成だった初のECM作品『No Birch』(1998年)では、まだキース・ジャレットやポール・ブレイの耽美的なジャズピアニストの系譜に自らを位置付けている。しかし、ノルウェーの民俗性と現代ジャズの融合、静謐さの追求はこの頃から見られる。底流には現地の賛美歌の伝統があり、聖歌隊で演奏していたヴァルムルーの個人的出自が浮かび上がってくるようだ。

 転機が起こるのは2003年、古楽の世界の実力者ジョルディ・サヴァールやニコラス・アーノンクールと共演歴のあるバロックハープ奏者Giovanna Pessiの加入が大きい。モダンハープとは異なる音色の響きと、ピアノの音色を組み合わせ、新しい音響的可能性に目覚めたと語っている。さらには、のちに妻となり、弦楽器の音色探求に欠かせないチェロ奏者のTanja Orningや、ノルウェーの民族楽器ハーディングフェーレも弾く弦楽器奏者のGjermund Larsenの出会いが、音色の実験の環境を整えた。ヴァルムルーは、ピアノ奏者としては、ある共同体の中における文脈、意味性を剥ぎ取ることに専念し、アンサンブル全体においても、新しい、そしてときに奇妙に聴こえる音色のコンビネーションを精緻に追求した。ソロ奏者が各々の音色を強烈に主張するのではなく、バロック楽器を一つの起点にした、様々なアンサンブルから生まれるサウンドの可能性へ――。新鮮な耳を持って作曲と即興の循環の中で音色のテクスチャーを組み合わせていく。

 この方法論は、集団的即興の一つの指標として、異なる楽器における音色の統一が見られた90年代後半からゼロ年代に隆盛した音響的即興と少し似ているかもしれない。当時筆者のいたボストンでは、例えばテルミンとパーカッションとヴォイスを互いの音色に近づくようにさせ、どの楽器がなっているの識別できないほど接近させることを出発点に、展開される音響的即興の方法論があった。そこには音響的なテクスチャーへの関心が集まるが、同時に伝統的音楽言語からの乖離があった。

 ヴァルムルーも確かにこの時代の空気を吸っていただろうが、音楽言語の具体性から決して遠のくことはなく、明確な参照枠を持っていた。音色のワークショップとしてのチェンバーミュージックは、同時に彼が深く内面化してきた旋律や音楽的言語で構成された作曲作品であり、こうして生まれた『The Zoo is Far』(2005年)はセクステットを率いた傑作と言っていいだろう。バロックハープの音色が特徴的でありながら、ヘンリー・パーセルの《ファンタジア》の抜粋、そして古楽の賛美歌などが散りばめられている。さらに『Fabula Suite Lugano』(2010年)では、スカルラッティやアルヴォ・ペルトからの影響、さらにはJ.S.バッハの影響を思わせる幻想的な行進曲《Jumpa》まで収録され、ジャズのコード的影響がますます希薄になった。そして、ピアノや弦楽器の不協和音が増え、モートン・フェルドマンを思わせる静寂さを感じさせる《Very Slow》に特徴的なように、ダークなチェンバーミュージック的傾向を強めた『Outstairs』(2013年)と続いていく。

 当然のことながら、そこにはマンフレート・アイヒャー――言うまでもなくジャズのみならず現代音楽をも手がけてきたECMの顔――との共同作業によるところが大きい。例えば、彼の助言で『The Zoo is Far』ではチェンバーアンサンブルに適したZurich Radio Studioが使用され、ジャズの枠に収まらないアコースティック楽器のレコーディングの可能性が拡張されたことは明らかだろう。

 自立心が強く、完全に自己の手で作品を作りたいがために近年はECMを離れているが、また共同制作を望んでいるというヴァルムルー。いずれまたその日が来ることを期待したい。 *大西穣