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©Yasuhisa Yoneda / ECM Records

Keith Jarrett
インサイド&アウトサイド

 その簡潔さ、潔さにはただ驚くばかりだ。レーベル名のECMは、つまりEditions of Contemporary Musicである。即興演奏を中心にした録音ばかりをリリースしてきたこのレーベルが突然現代音楽の作曲家、クラシックの演奏家による新たなシリーズを立ち上げた時も、New Seriesというシリーズタイトルが加えられただけだった。ジャケットはレーベルのオーナー、マンフレート・アイヒャーがギャラリーなどで見つけて気に入ったものを使用してきた、という。

 「沈黙の次に美しい音」、「北欧のナントカ」サウンドなど、今ではよく知られたこのレーベルの戦略的に練ったかのようなブランドイメージは、巷が勝手に育てたパブリック・イメージに過ぎない。このレーベルは無論、そんな戦略とは無縁で自由なのだ。

 今年レーベルは創業から50年を迎えた。しかし数年前にレーベル初期からの重要なアーティストであったポール・ブレイが他界して、世界中のオールド・ファンはECMにもとうとう節目が訪れたかと感じたのではないだろうか。ダウンロード、定額制というノン・フィジカルなフォーマットに押されてクラシックやジャズではCDの制作を見合わせるレコード会社があいつくぐ中、ECMだけが創業当時のペース、あるいはそれ以上にアルバムを制作していたのに、である。つまりECMにとってブレイの他界が特別な意味を持つのには理由があった。

 1969年にレーベルを立ち上げたアイヒャーは以前から、ブレイの欧州ツアーでベーシストを務めたことがあり彼とは音楽的にも交流があった。「アイヒャーの即興音楽についてのアイデアやディレクションは、ブレイ、ゲイリー・ピーコック(b)、ジミー・ジュフリー(reeds)の、トリオの音楽から思いついたものだった」という。大事な音楽だったのだろう、 当時ヴァーヴから発売されていたこのトリオの音源を買い取りECMのカタログに加えている。アイヒャーは、アルバート・アイラー、ジョン・コルトレーン、ビル・エヴァンス・トリオ、それにジュリアード弦楽四重奏団といった名前をあげて、60年代のアメリカの音楽に随分、影響をされたと語ったことがある。このジミー・ジュフリー・トリオは勿論、ポール・ブレイ・トリオの『フットルース』(65年発)も彼の念頭にはあっただろう。サヴォイからリリースされたこのアルバムは、キース・ジャレットもなんども繰り返し聞いたという。ジャレット本人曰く、彼の最初のトリオにはチャーリー・ヘイデンではなくてこの録音のベース、スティーヴ・スワロウが予定していた。当時このトリオはオーネット・コールマンに代表されるフリーなアプローチをピアノトリオにもたらしたとされ、ミュージシャンたちから高く評価されたアルバムだった。アイヒャーもこのトリオの音楽に新しい自由を感じていたのだろう。創業当時ブレイが録音していたピアノ・トリオの音源を買い取ってはECMのカタログに加えたくらいなのだから。

 ブレイ初のソロであり、彼のもう一つの名盤、『オープン・トゥ・ラヴ』の制作は、彼がアイヒャーに持ちかけて実現したという。あらゆるピアニストに影響を与えたこのアルバムが録音された1971、2年当時、チック・コリアの『ピアノ・インプロヴィゼーションvol.1&2』があり、ジャレットの『フェイシング・ユー』も録音されていた。ECMに芽生えた方向性をこのアルバムが定着させた。そして1975年、『ケルン・コンサート』が録音、発売されて大成功を収める。この時ECMは自由な音楽をシンプルに追求できる自由、「ケルン奨学金」を手にしたのだ。

 後年、ジャレットがスタンダーズで録音した『インサイド・アウト』(2001年)を聴いたブレイは、「なんだキースもできるじゃないか、俺が65年にやったことを。」と叫んだという。ジャレットがフリージャズを知らないジャズメンに向けて作ったとされる音楽は、35年後をかけて高度に自由な音楽家の胸に刺さった。オープン・トゥ・ミュージック、これこそがECMの不変のポリシーなのだろう。 *高見一樹